「ワシはの。あの孫に大きな期待をかけておる。将来、必ず大きな仕事を成すであろうと」
曹騰様の迫力に負け、そのまま淹れて貰っていたお茶を無意識に飲み干してしまった私でしたが、すぐに使用人が入室して来てお替りのお茶を淹れ、再び曹騰様は話を続けます。
「他の孫も可愛い事は可愛いのじゃ。じゃが、あの子の覇気と才能は別格じゃの」
「それが、曹孟徳様であると?」
「左様じゃ。ワシは、あの子の活躍を最後まで見れん。その前に寿命が来るであろうからの。だからじゃ、その前にあの子の手助けをしたいのじゃ」
そのために、早くから優秀な人物をご学友にして交友関係を結ばせる。
悪くない手ではありましたが、どうして私なのでしょうか?
曹操には、夏侯惇、夏侯淵、曹洪、曹仁、曹純などの優秀な一族がいますし、他にも多数の有能な家臣を自力で招集しています。
その中のメンバーに比べれば、対孫権戦におけるディフェンス名人であった私など、どう考えても二級線の人材でしかないはずです。
「お主は、自分の才能を過小評価しているの。まあ、ワシが勝手に金を出して援助しておるだけじゃからの。期待外れでもそれはワシの責任。気にせずに、勉学に励んで欲しい。官学近くにもワシは屋敷を所持しておってな。そこに下宿して通うが良い。立派な馬もいるようだが、厩と餌代も卒業までは面倒をみてやろう」
「ありがとうございます」
偶然にも手に入れた絶影でしたが、その管理をどうしようかと真剣に悩んでいたのです。
『乞食が馬を貰う』という諺もあったのですが、体に大きい自分がこれから先、絶影ほどの馬を手に入れられるか不安だったので、どうにか飼ってやりたいと。
なので、曹騰様からの好意に心から感謝する私でした。
「ところで、他に私のような立場の人は……」
「ああ、おらぬよ」
「あの、それはどうして?」
「玉無しの義孫などと付き合っても、良い事など無いと思うのが普通じゃからの」
曹騰様自身は現職である間に多くの有能な人材を推挙し、しかもその推挙した者達に一度も恩着せがましい事を言わなかったそうです。
ですが、やはり彼は宦官であり、宦官と対立した豪族や名士階級とは折り合いが悪く、表面上はともかくその義孫である曹操と付き合おうとする者は少ないのでしょう。
特に、漢王朝で官位を持つような家の子息などは。
一部の例外と、あとは私のような大した家柄でもない者の子弟という選択肢になるのですが、
前者は後漢時代に四代に渡って三公(司徒、司空、太尉)を輩出した汝南袁氏出身の袁紹くらいで、その従妹である袁術などは、あからさまに曹操を宦官の家の出だとバカにしていたようです。
それと、やはり遙と同じく曹操も袁紹も袁術も女性らしく、むしろその方が色々と気になってしまう私でした。
「そなたのような、有能な若者を探すのも骨でな」
既に他の名家の連中に唾を付けられていたり、宦官に良い印象を持っていなくて断られたりと、曹騰様は孫のための人材集めに苦労しているようでした。
「それは、こちらの都合じゃからの。そなたは気にせずに勉学に励んで欲しい」
「はあ……」
私は再び好々爺となった曹騰様との面会を終え、下宿先となるもう一つの屋敷へと向かいます。
「あなたが、住み込みの書生さんかい?」
「満伯寧と申します。宜しくお願いします」
「季興様からお話は聞いている。部屋に案内しよう」
官学らしき建物の近くにある屋敷に到着した私は、屋敷付きの家令だと思われる初老の男性の案内で、数年間をお世話になる部屋へと案内されます。
その部屋は使用人が使う部屋の一つのようでしたが、綺麗に掃除されていて外の窓からは広い庭が見えていました。
「屋敷の仕事の手伝いとかは必要ないが、連れて来た馬の世話は君の担当だ。食事の時間は決まっているので、遅れないように。あとは勉学に励んで欲しいな」
「わかりました」
「夕食の時間に遅れないようにな」
その後は、部屋で自分の荷を解いて配置し、庭にある厩に行ってから絶影の世話をします。
「新しい生活の始まりだ。一緒に頑張ろうな」
「ひひぃーーーん!」
こうして、私の新しい生活は始まるのでした。
「そういえば、まだ曹操様に会っていないんだよな……」
翌日、遂に始まった官学へと通う学生生活のスタートでしたが、私はいまだにご学友として接する必要のある曹操様との出会いを果たしていませんでした。
昨晩の夕食時も、翌朝の朝食時も。
私は居候の身なので屋敷に仕える使用人達と一緒に食事を取っていて、彼らとはお互いに自己紹介をして仲良くなったのですが、曹操様は所用で他のお偉いさんが開催した宴会に出ていたそうで、結局会えませんでした。
更に、この屋敷には曹操様以外の曹家の家族はいないそうで、私が昨日顔を合わせたのは、屋敷に住み込みで働いている使用人達だけであったようです。
朝は朝で、曹操様は早くに起きて馬で遠出をしてしまったらしく、やはり顔を合わせないままで通学の時間となってしまいました。
「何々……。生徒達の班分けと、その知識を見るための試験を行うのか……」
多くの、大半が自分と同年代の生徒達が集まっている掲示板の前には、それぞれに指定された講堂へと向かい、そこで試験を受けるようにと書かれていました。
何でも、この試験結果を参考に班分けを行うようです。
所謂、クラス分けでしょうね。
その辺はいつの時代も同じというか、ここは三国志の世界らしいのですが、どこか正規の歴史とは違うパラレルワールドのようなので、今更それは気にしない事にします。
なぜか、生徒達にかなり女性が混じっていたり、この時代では考えられないような服装をしていたり、髪の色が赤や緑や金髪など。
まず古代どころか、現代・未来でもありえない事象が発生していてもです。
「試験かぁ。知っていれば、試験勉強くらいしたのにな……」
「ちょっと、そこのあなた」
そんな事を考えながら指定された講堂へと歩いていると、突然後ろから何者かに声をかけられます。
「はい?」
後ろを振り返ると、そこには長い金髪ロールが特徴の、いかにもタカビーそうな女性が立っていました。
その両脇には、お供らしき同年代に見える二人の女性が立っています。
一人は水色の髪の元気そうな子で、もう一人はおかっぱ髪が特徴の見た目はおしとやかそうに見える子でした。
「そこのあなた、私が試験を受ける講堂に案内しなさい」
「あのう……。私は、あなたが誰か知らないのですが……」
いきなり案内しろと言われても私は彼女が何者かも知らないし、そもそもそんな事は自分で掲示板を見て判断して欲しいものです。
もう子供ではないのですから。
「あなた、この私が誰だかをご存じないの?」
目の前の金髪ロールっ子は、『信じられない!』と言った表情で私を名指しで非難します。
「すいません、つい先日に田舎から出て来たばかりでして」
「まあ、一体どんな僻地の田舎なのかしら? 私をご存じないなんて」
そこまで田舎でもないのですが、相手はそこまで言うという事はかなりの名家の娘さんなのでしょう。
両脇に二人の御付きまでいますし、この世界では実は名家の当主やその子弟が女性であればあるほど、その家の権力と財力が大きいという変な法則も存在していました。
「(何か、腹立つけど……)出来れば、そのご高名を教えていただきたく」
エン州の田舎県で、そこそこの土地持ちで両親が役人であったり、元役人で知識階級であるくらいの私が変に怒って、もしこの金髪ロールの怒りを買ってしまったら?
わざわざ洛陽まで出て来た意味が無くなってしまうので、ここは我慢して下手に出る事にします。
それに、ふと両脇を見ると、二人の御付きの女性がとても申し訳なさそうな表情を私に向けて来ましたし。
「手掛かりを差し上げますわ」
「(手掛かりねえ……。そいつはどうも……)」
色々と思うところはありましたが、ここは静かに手掛かりとやらを聞く事にします。
「私の家は、四代に渡って三公を輩出して来た……」
「袁本初様でいらっしゃいますか?」
簡単なヒントで助かりましたが、どうやらこの金髪ロールが袁紹のようです。
正史ではかなり有能であったと記されている人物なのに、この世界の袁紹はどうやら三国志演技基準のようです。
どう見ても、ただ家柄の良さだけを誇るバカにしか見えませんでした。
「おわかりになりましたら、私を案内しなさい」
「畏まりました。こちらです」
実は偶然にも、掲示板の紙で私の隣に名前が書かれていたので、同じ講堂で試験を受ける事になっていたのです。
本当は袁紹に会うのを楽しみにしていたのですが、現実とは厳しいものでした。
「ご苦労様」
そのまま袁紹を講堂まで案内し、更に空いている席へと誘導してから、椅子まで引いて彼女を座らせます。
何でこんなに卑屈にとも考えなくも無いのですが、彼女が袁紹ともなれば仕方がありません。
彼女の叔父である袁隗は司空の職にあり、その気になれば私など蟻のように踏み潰されてしまうはずなのですから。
「おーーーほっほ! あなたは道理もわかっていられますし、見た目もなかなかに優れているようですから、これからも使って差し上げても……」
「麗羽、その男は何者なの?」
「あら、華琳さんではありませんか」
麗羽とは袁紹の真名のようですが、袁紹も声をかけて来た少女を真名で呼んでいたので、二人はかなり仲が良いようです。
普通真名とは、よほどお互いに認め合わないと呼び合うような事はしないからで、私が真名で呼んでいる人は両親と徐伯さんと徐晃だけ。
思えば、見た目は子供でも精神年齢が大人な私は、故郷に全く同年代の友人が存在していませんでした。
勉学や、武術の稽古や、畑の世話などの家の手伝いが忙しかったのと、今更鬼ごっこや石蹴りなどの遊びに興じる気分にもなれなかったので、自慢ではありませんが初めての友人は遙だったのですから。
「ええと、あなたの名前は?」
「麗羽、あなたは、名前も知らない男に何をさせているのよ……」
袁紹に声をかけて来た少女は、彼女と同じく金髪でしたが髪型はグリグリドリルのツインテールで、髪留めにはドクロとなかなかに個性的で、体は小さくスタイルもスレンダーなのですが、その眼光と体から溢れるオーラに私は圧倒されてしまいます。
まだその名は聞いていませんでしたが、間違いなく彼女が曹操なのでしょう。
「紹介が遅れました。私は、満寵、伯寧という者です」
「あら、あなたは」
「はい、季興様の援助を受けております。曹孟徳様には、挨拶が遅れまして」
「昨日は、麗羽の主催する宴会で遅くなったのよ」
「おーーーほっほ! 我が袁家に相応しい華麗な宴会でしたわね」
「お嬢、完全に浮いているけど」
「余計なお世話ですわ! 猪々子さん!」
せっかく曹操と会えて話をしている私達に無視されている事を、御付きの一人である水色の髪の元気そうな子から指摘され、袁紹は声を荒げていました。
「そんなに改まる必要は無いわよ。伯寧は、お爺様には恩があるかもしれないけど、私とは同じ官学の同級生なんだし。敬称なんて付ける必要は無いわ。敬語もね」
「わかった。宜しく、孟徳」
「それでいいわ」
初対面で自然とその器の大きさを見せる曹操に、私はある意味納得していました。
なるほど、曹騰様がその才を認めて可愛がるわけです。
ですが、そんな彼女の態度を気に食わなかったのでしょう。
すぐに袁紹が話に割り込んで来ます。
「おーーーほっほ! 私は華麗なる袁家の者ですので、伯寧も私に敬語など不要ですのよ」
「お嬢、もう手遅れのような……」
「猪々子ちゃん、麗羽様は孟徳様に対抗しているだけなのよ」
「なるほど」
「外野さん! 五月蝿いですわよ!」
その後、袁紹とも敬語を使わずに普通に接する事が決まったのですが、そろそろ試験も始まるという事で、御付きなのに意外と失礼な発言もする二人の名前を聞いてから席に座ります。
「(顔良と文醜ねぇ……。やっぱり、女なんだ)」
二人は官学の生徒ではないので、試験が始まる前に講堂を出て行きます。
さすがに試験中にも残って袁紹の隣に立っていたら、カンニングを疑われてしまうでしょうし。
そして試験が始まりましたが、私の両脇にはなぜか曹操と袁紹の二人が座り、そのまま試験がスタートします。
内容は、簡単な軍学や、儒学、算術・経書・歴史・政治の基本的な問題が出題されていました。
私は、子供の頃から家で読んでいた本の内容が沢山出ていたのでそれほど苦戦しませんでしたが、袁紹は苦悶の表情を浮かべながら筆を動かしていました。
多分、見た目通りにオツムは残念な子なのでしょう。
反対側の曹操は、すぐに筆を止めて余裕綽綽の表情をしていましたが。
この日は午前中の試験だけで終業となり、生徒達は数名同士で固まって試験の出来などを話しながら帰宅の途についていました。
私も、ようやく出会えた曹操と話をしながら歩いて屋敷へと戻ります。
「伯寧、試験の出来はどう?」
「何問か自信がない。試験なんて聞いてなかったからなぁ」
「班は成績順らしいわ。お爺様から援助を受けている手前、一番の班じゃないと駄目なんじゃない?」
「何気に心を抉ってくる発言だなぁ」
試験はそれなりに出来たと思うのですが、地方の田舎県の希望の星が洛陽でどれほど通用するのか?
私には、判断が付かなかったのです。
「実は全く心配はしていないけど。むしろ、麗羽が一番下の班にならない事を祈るわ」
曹操に危惧されているところからして、やはり袁紹は頭の出来が残念なようです。
まあ、見ればわかるんですけど……。
「でも、それこそ心配無用かも」
「それは、どういう事?」
翌日、一日で採点された試験の点数を元に、私達の班分けが発表されていました。
予想通りに一番は全科目満点の曹操であり、二番目はそれより十点ほど低い私でした。
「お爺様から、目をかけられるだけの事はあるわね」
「それを、首席に言われてもね……」
当然、私達は成績が優秀な者だけを集めた班に分けられたのですが、なぜかそこにはあの人物も振り分けられていました。
「おーーーほっほ! あの程度の試験、私にとっては余裕でしたわ」
「……。なあ、猛徳」
「伯寧の言わんとしている事はわかるわ。つまり、そういう事よ」
官学の講師達が、袁家に気を使ったのか?
間違いなく試験の点数が水増しされていて、それでも実力で首席や次席を取った私達に慮ったらしく、三位という成績が紙に書かれていました。
他にも、明らかにバカそうな名家の御曹司・令嬢達が同じ一番の班に振り分けられます。
「こんな事だろうと思ったわよ」
「私は勉強さえ出来れば、あまり気にならないけどね……」
思い出せば、母が教える私塾にも頭の出来とやる気が残念な豪族の子弟などがただ箔付けのために通っていたので、私はあまり気にならなかったのです。
ただ、さすがに試験の点数改竄まではしなかったのですが……。
曹騰様の迫力に負け、そのまま淹れて貰っていたお茶を無意識に飲み干してしまった私でしたが、すぐに使用人が入室して来てお替りのお茶を淹れ、再び曹騰様は話を続けます。
「他の孫も可愛い事は可愛いのじゃ。じゃが、あの子の覇気と才能は別格じゃの」
「それが、曹孟徳様であると?」
「左様じゃ。ワシは、あの子の活躍を最後まで見れん。その前に寿命が来るであろうからの。だからじゃ、その前にあの子の手助けをしたいのじゃ」
そのために、早くから優秀な人物をご学友にして交友関係を結ばせる。
悪くない手ではありましたが、どうして私なのでしょうか?
曹操には、夏侯惇、夏侯淵、曹洪、曹仁、曹純などの優秀な一族がいますし、他にも多数の有能な家臣を自力で招集しています。
その中のメンバーに比べれば、対孫権戦におけるディフェンス名人であった私など、どう考えても二級線の人材でしかないはずです。
「お主は、自分の才能を過小評価しているの。まあ、ワシが勝手に金を出して援助しておるだけじゃからの。期待外れでもそれはワシの責任。気にせずに、勉学に励んで欲しい。官学近くにもワシは屋敷を所持しておってな。そこに下宿して通うが良い。立派な馬もいるようだが、厩と餌代も卒業までは面倒をみてやろう」
「ありがとうございます」
偶然にも手に入れた絶影でしたが、その管理をどうしようかと真剣に悩んでいたのです。
『乞食が馬を貰う』という諺もあったのですが、体に大きい自分がこれから先、絶影ほどの馬を手に入れられるか不安だったので、どうにか飼ってやりたいと。
なので、曹騰様からの好意に心から感謝する私でした。
「ところで、他に私のような立場の人は……」
「ああ、おらぬよ」
「あの、それはどうして?」
「玉無しの義孫などと付き合っても、良い事など無いと思うのが普通じゃからの」
曹騰様自身は現職である間に多くの有能な人材を推挙し、しかもその推挙した者達に一度も恩着せがましい事を言わなかったそうです。
ですが、やはり彼は宦官であり、宦官と対立した豪族や名士階級とは折り合いが悪く、表面上はともかくその義孫である曹操と付き合おうとする者は少ないのでしょう。
特に、漢王朝で官位を持つような家の子息などは。
一部の例外と、あとは私のような大した家柄でもない者の子弟という選択肢になるのですが、
前者は後漢時代に四代に渡って三公(司徒、司空、太尉)を輩出した汝南袁氏出身の袁紹くらいで、その従妹である袁術などは、あからさまに曹操を宦官の家の出だとバカにしていたようです。
それと、やはり遙と同じく曹操も袁紹も袁術も女性らしく、むしろその方が色々と気になってしまう私でした。
「そなたのような、有能な若者を探すのも骨でな」
既に他の名家の連中に唾を付けられていたり、宦官に良い印象を持っていなくて断られたりと、曹騰様は孫のための人材集めに苦労しているようでした。
「それは、こちらの都合じゃからの。そなたは気にせずに勉学に励んで欲しい」
「はあ……」
私は再び好々爺となった曹騰様との面会を終え、下宿先となるもう一つの屋敷へと向かいます。
「あなたが、住み込みの書生さんかい?」
「満伯寧と申します。宜しくお願いします」
「季興様からお話は聞いている。部屋に案内しよう」
官学らしき建物の近くにある屋敷に到着した私は、屋敷付きの家令だと思われる初老の男性の案内で、数年間をお世話になる部屋へと案内されます。
その部屋は使用人が使う部屋の一つのようでしたが、綺麗に掃除されていて外の窓からは広い庭が見えていました。
「屋敷の仕事の手伝いとかは必要ないが、連れて来た馬の世話は君の担当だ。食事の時間は決まっているので、遅れないように。あとは勉学に励んで欲しいな」
「わかりました」
「夕食の時間に遅れないようにな」
その後は、部屋で自分の荷を解いて配置し、庭にある厩に行ってから絶影の世話をします。
「新しい生活の始まりだ。一緒に頑張ろうな」
「ひひぃーーーん!」
こうして、私の新しい生活は始まるのでした。
「そういえば、まだ曹操様に会っていないんだよな……」
翌日、遂に始まった官学へと通う学生生活のスタートでしたが、私はいまだにご学友として接する必要のある曹操様との出会いを果たしていませんでした。
昨晩の夕食時も、翌朝の朝食時も。
私は居候の身なので屋敷に仕える使用人達と一緒に食事を取っていて、彼らとはお互いに自己紹介をして仲良くなったのですが、曹操様は所用で他のお偉いさんが開催した宴会に出ていたそうで、結局会えませんでした。
更に、この屋敷には曹操様以外の曹家の家族はいないそうで、私が昨日顔を合わせたのは、屋敷に住み込みで働いている使用人達だけであったようです。
朝は朝で、曹操様は早くに起きて馬で遠出をしてしまったらしく、やはり顔を合わせないままで通学の時間となってしまいました。
「何々……。生徒達の班分けと、その知識を見るための試験を行うのか……」
多くの、大半が自分と同年代の生徒達が集まっている掲示板の前には、それぞれに指定された講堂へと向かい、そこで試験を受けるようにと書かれていました。
何でも、この試験結果を参考に班分けを行うようです。
所謂、クラス分けでしょうね。
その辺はいつの時代も同じというか、ここは三国志の世界らしいのですが、どこか正規の歴史とは違うパラレルワールドのようなので、今更それは気にしない事にします。
なぜか、生徒達にかなり女性が混じっていたり、この時代では考えられないような服装をしていたり、髪の色が赤や緑や金髪など。
まず古代どころか、現代・未来でもありえない事象が発生していてもです。
「試験かぁ。知っていれば、試験勉強くらいしたのにな……」
「ちょっと、そこのあなた」
そんな事を考えながら指定された講堂へと歩いていると、突然後ろから何者かに声をかけられます。
「はい?」
後ろを振り返ると、そこには長い金髪ロールが特徴の、いかにもタカビーそうな女性が立っていました。
その両脇には、お供らしき同年代に見える二人の女性が立っています。
一人は水色の髪の元気そうな子で、もう一人はおかっぱ髪が特徴の見た目はおしとやかそうに見える子でした。
「そこのあなた、私が試験を受ける講堂に案内しなさい」
「あのう……。私は、あなたが誰か知らないのですが……」
いきなり案内しろと言われても私は彼女が何者かも知らないし、そもそもそんな事は自分で掲示板を見て判断して欲しいものです。
もう子供ではないのですから。
「あなた、この私が誰だかをご存じないの?」
目の前の金髪ロールっ子は、『信じられない!』と言った表情で私を名指しで非難します。
「すいません、つい先日に田舎から出て来たばかりでして」
「まあ、一体どんな僻地の田舎なのかしら? 私をご存じないなんて」
そこまで田舎でもないのですが、相手はそこまで言うという事はかなりの名家の娘さんなのでしょう。
両脇に二人の御付きまでいますし、この世界では実は名家の当主やその子弟が女性であればあるほど、その家の権力と財力が大きいという変な法則も存在していました。
「(何か、腹立つけど……)出来れば、そのご高名を教えていただきたく」
エン州の田舎県で、そこそこの土地持ちで両親が役人であったり、元役人で知識階級であるくらいの私が変に怒って、もしこの金髪ロールの怒りを買ってしまったら?
わざわざ洛陽まで出て来た意味が無くなってしまうので、ここは我慢して下手に出る事にします。
それに、ふと両脇を見ると、二人の御付きの女性がとても申し訳なさそうな表情を私に向けて来ましたし。
「手掛かりを差し上げますわ」
「(手掛かりねえ……。そいつはどうも……)」
色々と思うところはありましたが、ここは静かに手掛かりとやらを聞く事にします。
「私の家は、四代に渡って三公を輩出して来た……」
「袁本初様でいらっしゃいますか?」
簡単なヒントで助かりましたが、どうやらこの金髪ロールが袁紹のようです。
正史ではかなり有能であったと記されている人物なのに、この世界の袁紹はどうやら三国志演技基準のようです。
どう見ても、ただ家柄の良さだけを誇るバカにしか見えませんでした。
「おわかりになりましたら、私を案内しなさい」
「畏まりました。こちらです」
実は偶然にも、掲示板の紙で私の隣に名前が書かれていたので、同じ講堂で試験を受ける事になっていたのです。
本当は袁紹に会うのを楽しみにしていたのですが、現実とは厳しいものでした。
「ご苦労様」
そのまま袁紹を講堂まで案内し、更に空いている席へと誘導してから、椅子まで引いて彼女を座らせます。
何でこんなに卑屈にとも考えなくも無いのですが、彼女が袁紹ともなれば仕方がありません。
彼女の叔父である袁隗は司空の職にあり、その気になれば私など蟻のように踏み潰されてしまうはずなのですから。
「おーーーほっほ! あなたは道理もわかっていられますし、見た目もなかなかに優れているようですから、これからも使って差し上げても……」
「麗羽、その男は何者なの?」
「あら、華琳さんではありませんか」
麗羽とは袁紹の真名のようですが、袁紹も声をかけて来た少女を真名で呼んでいたので、二人はかなり仲が良いようです。
普通真名とは、よほどお互いに認め合わないと呼び合うような事はしないからで、私が真名で呼んでいる人は両親と徐伯さんと徐晃だけ。
思えば、見た目は子供でも精神年齢が大人な私は、故郷に全く同年代の友人が存在していませんでした。
勉学や、武術の稽古や、畑の世話などの家の手伝いが忙しかったのと、今更鬼ごっこや石蹴りなどの遊びに興じる気分にもなれなかったので、自慢ではありませんが初めての友人は遙だったのですから。
「ええと、あなたの名前は?」
「麗羽、あなたは、名前も知らない男に何をさせているのよ……」
袁紹に声をかけて来た少女は、彼女と同じく金髪でしたが髪型はグリグリドリルのツインテールで、髪留めにはドクロとなかなかに個性的で、体は小さくスタイルもスレンダーなのですが、その眼光と体から溢れるオーラに私は圧倒されてしまいます。
まだその名は聞いていませんでしたが、間違いなく彼女が曹操なのでしょう。
「紹介が遅れました。私は、満寵、伯寧という者です」
「あら、あなたは」
「はい、季興様の援助を受けております。曹孟徳様には、挨拶が遅れまして」
「昨日は、麗羽の主催する宴会で遅くなったのよ」
「おーーーほっほ! 我が袁家に相応しい華麗な宴会でしたわね」
「お嬢、完全に浮いているけど」
「余計なお世話ですわ! 猪々子さん!」
せっかく曹操と会えて話をしている私達に無視されている事を、御付きの一人である水色の髪の元気そうな子から指摘され、袁紹は声を荒げていました。
「そんなに改まる必要は無いわよ。伯寧は、お爺様には恩があるかもしれないけど、私とは同じ官学の同級生なんだし。敬称なんて付ける必要は無いわ。敬語もね」
「わかった。宜しく、孟徳」
「それでいいわ」
初対面で自然とその器の大きさを見せる曹操に、私はある意味納得していました。
なるほど、曹騰様がその才を認めて可愛がるわけです。
ですが、そんな彼女の態度を気に食わなかったのでしょう。
すぐに袁紹が話に割り込んで来ます。
「おーーーほっほ! 私は華麗なる袁家の者ですので、伯寧も私に敬語など不要ですのよ」
「お嬢、もう手遅れのような……」
「猪々子ちゃん、麗羽様は孟徳様に対抗しているだけなのよ」
「なるほど」
「外野さん! 五月蝿いですわよ!」
その後、袁紹とも敬語を使わずに普通に接する事が決まったのですが、そろそろ試験も始まるという事で、御付きなのに意外と失礼な発言もする二人の名前を聞いてから席に座ります。
「(顔良と文醜ねぇ……。やっぱり、女なんだ)」
二人は官学の生徒ではないので、試験が始まる前に講堂を出て行きます。
さすがに試験中にも残って袁紹の隣に立っていたら、カンニングを疑われてしまうでしょうし。
そして試験が始まりましたが、私の両脇にはなぜか曹操と袁紹の二人が座り、そのまま試験がスタートします。
内容は、簡単な軍学や、儒学、算術・経書・歴史・政治の基本的な問題が出題されていました。
私は、子供の頃から家で読んでいた本の内容が沢山出ていたのでそれほど苦戦しませんでしたが、袁紹は苦悶の表情を浮かべながら筆を動かしていました。
多分、見た目通りにオツムは残念な子なのでしょう。
反対側の曹操は、すぐに筆を止めて余裕綽綽の表情をしていましたが。
この日は午前中の試験だけで終業となり、生徒達は数名同士で固まって試験の出来などを話しながら帰宅の途についていました。
私も、ようやく出会えた曹操と話をしながら歩いて屋敷へと戻ります。
「伯寧、試験の出来はどう?」
「何問か自信がない。試験なんて聞いてなかったからなぁ」
「班は成績順らしいわ。お爺様から援助を受けている手前、一番の班じゃないと駄目なんじゃない?」
「何気に心を抉ってくる発言だなぁ」
試験はそれなりに出来たと思うのですが、地方の田舎県の希望の星が洛陽でどれほど通用するのか?
私には、判断が付かなかったのです。
「実は全く心配はしていないけど。むしろ、麗羽が一番下の班にならない事を祈るわ」
曹操に危惧されているところからして、やはり袁紹は頭の出来が残念なようです。
まあ、見ればわかるんですけど……。
「でも、それこそ心配無用かも」
「それは、どういう事?」
翌日、一日で採点された試験の点数を元に、私達の班分けが発表されていました。
予想通りに一番は全科目満点の曹操であり、二番目はそれより十点ほど低い私でした。
「お爺様から、目をかけられるだけの事はあるわね」
「それを、首席に言われてもね……」
当然、私達は成績が優秀な者だけを集めた班に分けられたのですが、なぜかそこにはあの人物も振り分けられていました。
「おーーーほっほ! あの程度の試験、私にとっては余裕でしたわ」
「……。なあ、猛徳」
「伯寧の言わんとしている事はわかるわ。つまり、そういう事よ」
官学の講師達が、袁家に気を使ったのか?
間違いなく試験の点数が水増しされていて、それでも実力で首席や次席を取った私達に慮ったらしく、三位という成績が紙に書かれていました。
他にも、明らかにバカそうな名家の御曹司・令嬢達が同じ一番の班に振り分けられます。
「こんな事だろうと思ったわよ」
「私は勉強さえ出来れば、あまり気にならないけどね……」
思い出せば、母が教える私塾にも頭の出来とやる気が残念な豪族の子弟などがただ箔付けのために通っていたので、私はあまり気にならなかったのです。
ただ、さすがに試験の点数改竄まではしなかったのですが……。