愛犬愛紗♪

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第十三話

2015-03-08 21:37:34 | 日記
「さてと、ようやく故郷に到着したな」

「私は、一度だけ親父様と来た事があります。随分と久しぶりですね」

「へえ、そうなんだ」

 朝廷からの勅令で山陽郡の太守に任命された私は、元同僚や部下であった旧何進将軍の配下から人材や兵士を募り、故郷に錦を飾るという偉業?を達成していました。

 まだ数えで二十歳の若造には過ぎた名誉なのでしょうが、実は苦労はこれからです。
 名士の家系でもなく、しかも見た目はただの大きな若造でしかない。
 こんな太守が新しく赴任して来れば、当然良からぬ事を考える者達がいるのが普通でした。

 それでも、久しぶりに故郷に戻って来たのです。
 私と遙は、馬の上から山陽郡の風景を眺めます。

「早く前太守である 史弼殿への挨拶と引継ぎだな」

「ですが、その前に……」

 山陽郡の郡都である昌邑の城門前では、両親と遙の父親である徐伯さんが、集めた地元の若者達や兵士達と共に待ってくれていました。
 いくら正しい政治を成そうとしても、私達だけでは山陽郡の他の役人達や豪族達が相手をしてくれない可能性が十分にあったので、思い切って両親や遙のお父さんに助けを借りる事にしたのです。

 三人は同郷の幼馴染で以前は中央で官職を得ていた事もあり、すぐに事情を察して事前に準備をしてくれていました。

「勇樹、出世したな」

 五百名ほどの地元の若者と五十名ほどの傭兵を率いている以前と変わらず精悍な表情の徐伯さんは、笑顔で私に声をかけてくれます。

「ありがとうございます、襲雷さん。偶然の要素が強いんですけどね」

「偶然でも、出世した奴の勝ちさ」

「ちゃんと得た地位を保全できればですね?」

「ああ、そのために力を貸してやる。何と言っても、遙のたってもない願いだしな」

「親父様、時間が惜しいです」

 遙は気恥ずかしいのか?
 徐伯さんの発言を遮るようにして、私達に早く城内へと入るようにと促していました。

「何だい。久しぶりに会ったら、余計に静かになっちまったな。理平、零泉。無愛想な娘で悪いな」

「何の、襲雷に似ないで美人さんで良かったさ」

「そうね。襲雷君に似た娘さんてのも、ちょっと可哀想な気がするけど」

「お前らな……」

 幼馴染という事で気さくに会話を続ける両親達や、私が連れて来た主だった面々で自己紹介をしてから、一行は整然と整列しながら郡城へと入り、前任者である史弼殿と挨拶をします。

「新任の太守である満寵 伯寧です」

「事前に聞いてはいたが、若いな……。ご両親は、県令の蔡賢殿に仕えているとか」

「今回、私の手伝いをしてくれる事になりまして」

 極悪汚職太守でも出てくると大変だと思ったのですが、この史弼殿はごくごく無難に太守を務めていた人物のようで、引継ぎもすぐに終わって世間話を始めます。
 世間話とは言っても、その内容は私が官学卒業後に何進将軍に仕えた経緯から、黄巾の乱では出陣をした件。
 続いて霊帝崩御から、宦官の虐殺に、董卓が相国に就任するまでと非常に血生臭い物となっていましたが。

「そんな短期間に、そんなに沢山の事がか。なるほど、伯寧殿は若いが、その修羅場を潜って来たのだな」

「それが、実際に経験するとさほど感じないと言いますか……」

「それは生き延びたからであろうな。しかし、となると私が洛陽に戻るのは危険なのかな?」

 既に七十歳近い史弼殿はもう官職など必要ないらしく、後は家族のいる洛陽でノンビリと隠居生活を送りたいようでした。
 知り合いのツテもあるので、空いている時間に私塾で子供達に勉学を教えたいのだそうです。

 ですが、私はまだこの世界の董卓を一度も肉眼で拝んだ事がありません。
 もし彼が正史や演義のような人物であったら、史弼殿やその家族はとんでもない目に遭う可能性があります。

 私としては、もう少し様子を見てからでも良いような気がしますし、彼もその部分を知りたくて私と話を続けているのでしょう。

「董卓殿が、漢王朝初期にあった相国の地位を復活させて大権を握ったのは事実です。更に、何進将軍の死後、洛陽で一番の兵力を有しているのも事実。故丁原将軍の養子であった飛将呂布将軍の兵力もこれに加わっています。大きな力と権力は、正常に行使されれば……」

「この所の、混乱している中央を正常化させる力となりますか」

 逆に、漢王朝の支配力に止めを刺す可能性もあり、私の知っている知識を参考にすると、そちらの方が可能性が高かったのです。

「これは、妻の実家のある陳留に移住して様子を見た方が良いですか」

「新しい陳留太守は、元同僚の曹猛徳です。私が文を認めますので、少々お持ちください」

「忝い。最初はこんな若造に大丈夫かと正直思いましたが、伯寧殿ならば十分に太守の職は務まりそうですな」

 前太守である史弼殿は、洛陽にいる家族と陳留で合流するために私が付けた護衛の兵士達と共にこの城を後にします。
 こうして、私は無事に山陽郡太守の印綬を引き継ぐ事になるのでした。





「希葉、まずは情況の把握から始めようと思うんだけど」

「正解ですね。何事も、情報を知り得なければ対処のしようもない」

 私は、最初に功曹に任命した荀攸に自分の意見を語ります。
 この功曹という職は郡の人事を司る職なので、今までは地元の豪族の子弟などが就任する事が多かったのですが、さすがに黄巾の乱の後とあって、今は特に何も文句は言って来ませんでした。

 荀攸が、有名な名門の生まれであるという点も大きかったのでしょうが。
 まあ、腹の中では何を考えているのかわかりませんでしたが。

 ちなみに、彼の真名は上のに書いてあるように希葉と言って既に真名の交換は済ませていましたが。

 それに、それを言うなら、本来私の山陽郡太守への就任こそおかしいのです。
 漢の官吏は、出生地の長官にはなれないという原則があるのですから。
 
 その辺を言うと張バクなども微妙になってしまうのですが、これも正史とは違う世界という事で、今のところは無視する事にします。

 気にしても仕方が無いですし。

 他にも色々な役職があるのですが、政治的にはナンバー2は希葉で、軍事的には副官を兼任で遙をナンバー2にしていて、その下に韓浩、カク昭、郭淮を置いていました。

 正史基準で言うと、物凄く豪華なメンバーで私には勿体無いくらいなのですが。

 それと徐伯さんや両親は、序列が面倒という事で顧問とかアドバイザーとかそんな扱いにしています。
 後は、私塾を経営している母の助言に従って、地元の豪族達の子弟を次々と登用していきます。

 家の格とか領地の大きさは関係なく、ただ能力だけで適当な役職に嵌めていきます。
 あとは農民や町民でも使えれば即採用で、後は自分の努力次第ですね。

 とにかく五千人ほどの兵を集めてから、それをベテランの襲雷さん指揮の元で遙達に割り振って訓練を行い、私は彼らを率いて各地を視察をしながら盗賊や匪賊を討伐し、黄巾の乱で発生した流民達を保護して空いた土地で耕作を行わせたり、城壁や道の建設、水路工事などの工事に従事させて賃金や食料を支給する。

 計画的な大規模農地開墾や、その土地の地質や気候などに合った作物の栽培指導や、痩せた土地での困窮作物の栽培、軍馬や山羊の餌となる牧草などの生産と、簡易サイロなどの普及、商人を介しての商品となる特産品の開発など。

 私は、体がいくつも欲しいと思うほど働き続けます。

「凶虎、新しい子を紹介するね」

「母上、一体どこから見付けてくるんですか?」

「私の私塾って、もう各県に数箇所ずつ支部があるのよ」

「(私塾のフランチャイズ経営かよ……)」

 このおっとりしているのか? 
 もしくは、物凄く鋭いのか?
 たまにふと考え込んでしまう母によって、これまでにも多くの人材が紹介され、私は無条件に採用していました。

 正直なところ、この母がいなければ私の若さに任せた山陽郡統治は成功していません。
 多分、物凄く地元の豪族達に気を使った、非常にショボイ物となっていたでしょう。

「李典、曼成です。宜しゅうに」

「満、伯寧です(この、似非関西弁巨乳ちゃんが李典なのか)」

 正史では有力な豪族の一族として曹操を支えた李典でしたが、この世界ではゴーグルとドリル武器を持ったかなりファンキーなお姉ちゃんのようでした。

「太守はんの考案した脱穀機。物凄い評判ええらしいな。ウチは工作とか得意やから、太守はんの思案、上手く作ってみせるで」

「城内に工房を作って任せる。農機具の改良とか、武器の改造とか、色々と任せよう」

 武将兼工作・工兵担当として、李典の登用に成功し。

「伯寧様、新兵の訓練は任せるなの。タマ無しのピーーー野郎のフニャチンを切り取ってアスに……」

「うちは、新兵ばかりだから仕事は一杯あるよ」

 声は萌え萌えなのに、口は某軍曹殿のような千禁を雇い入れ。

「頑張ります……」

「頑張ってね(遙とウマが合うかもしれない……)」

 気の使い手で、妙に無口な楽進を採用したりと、どうにか人材の陣容整えていく私なのでした。



「しかし、常に金が無いですな」

「悪徳官吏も全員摘発して、財産を没収してしまったからな」

 物凄く忙しい日々と、皆でバタバタ動いていて、常に物資が右から左に流れる日々を送っていた私達でしたが、それなりに成果はあったようです。
 多くの土地が、流民や降伏した元賊や訓練の合間の兵士達によって耕され、河川から水路が引かれ、私が洛陽の曹操邸でやっていた手法でその土地に合った作物が植えられる。
 更には、し尿や家畜の糞尿などが村ごとに集められ、竈の灰や動物の死骸にゴミや刈られた雑草までもが肥料として生産されて使われていました。

 主要な作物としては、米、麦、キビ、アワ、大豆などを分散して植え、開墾したばかりか痩せた条件の悪い土地には甘藷やヒエなどで収量を稼ぐ。
 他にも空いた土地には栗や柿やウコギなども植えられ、繊維が取れて和紙や織物の材料にもなる青芋も多数植えられて、その生産量を上げる事にします。
 
 織り機も、足踏み式織り機の素案を思い出して李典に渡し、職人達とも相談させて新しい機械の開発と生産を進めます。
 私も足踏み式織り機の詳細な図面を覚えていなかったのですが、李典は優秀な技術者であったようで、すぐに実用に耐える物の試作に成功していました。

「(何か、三国志のゲームみたいだな)」

 現実よりも早く成果が挙がるような気もするのですが、私の山陽郡赴任から二年後の秋、山陽の土地は大いなる実りの季節を迎えます。

「勇樹様、豊作ですね」

「二年では安心は出来ないな。偶然かもしれない。農民達に努力を続けさせるように。農地も水路も、もっと広げるんだ」

「畏まりました」

 遙達武官による兵士達の訓練も満足行くまで進み、兵士の数も二万五千人ほどまでに増えました。
 領内は農業生産も商売の方も順調に伸びていましたし、人口に関してですが、これは流民の受け入れで増えていて、そのおかげで兵士の数も増やせていたのですが、これは逆に考えると他所の州や郡が黄巾の乱以降全く復興していない事の表れでもあったのです。

「希葉、他の州や郡ってどうなっているのかな?」

「曹操様の陳留は良く治まっているようです。参謀である私の姪は優秀ですし、あそこには武の夏侯惇殿と夏侯淵殿もいますからな。済北国の相となった鮑信様も、賊を討ち流民達に開墾させて上手く土地を治めています。張バク様も同じですね」

「皆、優秀だからなぁ」

「勇樹様も決して負けていませんが。いや、むしろ農業生産では圧倒しています。しかし、このような技術をどこから?」

「独学でね。昔から農作業は趣味だったんだよ」

 まさか前世の知識ですとも言えないので、ここは誤魔化す事にします。

「そうですか……。しかし、こんな時代です。より多くの民を食わせているあなたは素晴らしいと思いますし、こんな時代だからこそ、食料があると噂になると守るのも大変です」

「確かにな。軍の練度や、実戦経験回数ばかり上がっていく」

 最近、山陽郡には食料があると噂になっているせいで、隣接する土地から賊などが侵入するようになっていたのです。
 被害は最小限で食い止め、性質の悪い連中は全て討ち取っていましたが、その数は一行に減らなかったのです。
 流民達も、飢えに耐えかねて畑に実った作物を勝手に取ってしまい、畑の所有者と争いになる事例が多発していました。

「皆、悩んでいるだろうな」

「この問題で悩まない太守など存在しません。悩んでいなければ、無能か、汚職官吏なのでしょう」

 私は暫く会っていない友人達の事を考えるのですが、彼らの苦労を思うと、自分ばかりが愚痴を言っても始まらないと思うようになっていました。

「悩んでも何も始まらないか。さてと、蕎麦は無事に収穫できたかな?」

「あのような作物があるとは知りませんでした」

 本来であれば五世紀頃から栽培が始まった蕎麦でしたが、その原種は中国南部という事もあってこれは比較的容易に見付かっていました。
 既に洛陽に居た頃に、絵を書いたら商人が苗を持っていたのです。

 その商人は、観賞用の植物として使えないかと南部から原種の株を鉢に入れて持って来ていたようですが。

 蕎麦は痩せた土地でも作れ、その栽培期間は三ヶ月ほど。
 その花は養蜂にも使えますし、間引きを行った幼い茎や葉は野菜として食べられますし、実の殻は昔は枕に良く入っていました。
 
 これほど役に立つ作物もないので、二年前からすぐに調理法と共に普及させていたのです。

「民に、もっと調理方法を教えないとな」

「勇樹殿は、色々と変わった特技をお持ちですな」

「こんな太守が、一人くらいても良いと思うんだ」

「確かにそうですな」

 私は希葉と共にそんな話をしながら、次の移動予定先へと急ぐのでした。 




『まずは、食わせないと駄目だからなぁ。食えないから、土地を捨てて賊になるわけで』

 これが、私の上司である満寵、伯寧、真名は勇樹様の口癖であった。
 一見単純な、誰にでもわかる言葉ではあるのだが、この言葉の意味は深い。
 現にこれが出来ないから、この漢の国は大きく乱れているのだ。

 私は、代々著名な名士を輩出している荀家に生まれた。
 子供の頃から高度な教育を受け、親戚は誰しもが著名な儒学者や官吏などになる。
 私もそれを目指して勉学に励み、その足がかりとして何進将軍にお仕えする事となった。
 
 何進将軍は元は業で、あまり褒められた手段で成り上がった人物ではなかったが、これも将来のためと我慢して仕える事とした。
 従妹の荀イクや荀も、私と同様であったであろう。

 ところが、私はここで妙な人物と出会う事となる。
 それが、今の上司である勇樹様だ。

 彼はさしたる家柄の出でははなかったが、あの曹騰様が援助していただけあって官学では優秀な成績を収めていた。
 
 その上にはあの曹操様がいたのだが、彼女に関しては私達名士階級の間では評判は低い。
 なぜなら、それは彼女本人の資質というよりも、義祖父である曹騰様が宦官であったからであろう。

 我々名士階級のみならず、世間における宦官の評判は最悪だ。
 自業自得の部分が大半なので仕方が無かったのだが、そのせいで大半の名士階級の人間は表層上以外では彼らとの付き合いを嫌う。
 その昔、荀イクが幼い頃に宦官唐衡の義息と婚約をしたという噂が流れたのだが、それで彼女も周囲から心無い非難を受ける羽目になってしまい、彼女が男嫌いなのはそれも原因であった。
 当然、宦官など普段は顔を見たくないと公言するほどであった。

 話は反れたが、勇樹様は自力で官学における次席という成績と、空いている時間に馬と弓と武芸を修練し、居候している屋敷の庭で生活の助けとして畑を作って作物を作っていた。

 袁紹様などは、『泥臭い勇樹さんにお似合いです事』と笑っていたが、そんな事は無い。
 確かに我々は自分で畑を耕したりはしないが、彼の行動が非常に儒教的な事を良く理解していたからだ。

 それに、彼と一緒にこの山陽郡に赴任して来て良くわかったが、彼の畑仕事の成果はここに良く現れている。
 洛陽で威張っている、名ばかりで実際に畑など耕した事も無い農学者など、ただの詐欺師にしか見えないほどの巧みな農業技術の数々。
 
 この時になって、私は始めて気が付いたのだ。
 曹操邸の裏庭の畑から、彼は天下の安寧を誰よりも考えていたのだと。

『そうか、希葉が来てくれるのか。本当に助かるよ』

 それに、私が彼に付いて行くと宣言した時、彼は心の底から感謝をしてくれた。
 まだ短い付き合いである私を、心から友だと思ってくれているのだ。

「この方では天下は取れまい。だが、誰かの天下取りには絶対に必要な方となろう」

 私は、終生仕える主を見付ける事が出来たのだ。

「ですがねぇ……」

 唯一の不満があるとすれば、いい加減に常に彼に付いて来ている、遙の気持ちに気が付いてあげれば良いのにという部分であろうか。





「桂花、今年の収穫はどうかしら?」

「はい、さすがは華琳様というべきでしょうか。黄巾の乱以前の量にまで戻りました」

「そう、その程度なの」

「あの、来年はもっと……」

「いえ、桂花は良くやってくれているわ。ただ、勇樹の所がね」

 私が陳留の太守に任命されてから二年、黄巾の乱で乱れた陳留の復興もようやく進んでいた。
 農業は、反乱軍や賊のために離散した農民を呼び戻したり、完全な耕作放棄地には流民などを当て、その年の税を免除する方法で努力した結果、ようやく黄巾の乱以前の収穫量に戻って来たようだ。

 だが、税収が回復するのは来年以降になるであろう。
 何しろ、あまりに税の減免をした土地が多かったからだ。

 というか、最初にこれをしないと当面の収入の当てなどない農民達は戻って耕作などしない。
 特に流民などは何も持っていないので、これに普通に税をかけると言うと、彼らはまた流民に逆戻りしてしまう。

 実際に、その部分が理解できなくて、農業生産の回復に失敗している地方長官が大半だ。

 その点、うちは勇樹から色々と農業技術を教わった使用人達がいるので、他よりはマシなのかもしれない。 
 特に彼が栽培方法を見付けた甘藷は、戦略物資としての側面を持つ。

 なので、極限られた者達だけで城内にある研究所で発芽させ、その蔓を農民に配るという方法を徹底している。
 聞けば勇樹もそうしているらしいので、そのくらいこの甘藷という作物は物凄い物なのだ。

『あの独活の大木男にしては、マシな仕事をしたようですね』

 男嫌いで有名な桂花ですら認めるのだから、そのくらい素晴らしい成果でもあった。
 もっとも、彼女は勇樹と一緒に何進将軍に仕えていた時から、彼の能力は認めていたらしい。

『軍師としての本質的な才能は薄いのですが、私達を纏めて上手く使う能力はありました。個人の武も兵を率いる能力も水準以上です。万能で使い勝手の良い人材です』

 あの桂花がここまで言うのだから、彼は本物なのであろう。

 他にも、あの蕎麦という作物であろうか?
 あれも痩せた土地で簡単に作れるし、その調理法も勇樹が沢山編み出しているので、陳留でも良く食べられるようになった。

 だが、それでもこの陳留は山陽郡よりも見劣りがしてしまうような気がするのだ。
 人口や商業規模に関しては元からこちらが上なので、これは比べない事としてもだ。
 
 いや、上記に関しても流民の積極的受け入れと、青芋とその繊維を使った織り物や紙や生活道具などの生産拡大で、次第に商人が集まって潤って来ているらしい。

 そしてその財力を背景に精強な軍を作って、四方から蜜に集まってくる不埒なハエ(盗賊や匪賊)を容赦なく討ち払っているとの、この陳留を本拠とする商人からの話であった。

「あの独活の大木男は、失敗しても失う物が何も無いですから」

 さすがは桂花とあって、彼女は彼女なりに勇樹が山陽郡で実際に行っている手法を調べていた。
 既存の土地は、区画整理と、水路の掘削と、栽培作物と方法と肥料の見直しを。
 新規の開墾は、陣地の構築訓練だと言って兵士を動員し、他にも日当と食事は支給するが、近隣の村などから人手をノルマ付きで薄く広く徴発し、更にはそこの所有者となる流民達と合わせて、一気に大規模に開発してしまうらしい。

 更に、開墾したばかりの土地は痩せているので、まずは安全に蕎麦やヒエや甘藷を植えてしまうのだそうだ。 
 それで肥料や水などで土を富ませてから、次の年からその土地の土の質や気候、取水情況に合った作物を植える。

 確かに私の屋敷の使用人達は、実際に勇樹と作業を行い指示を受けていただけあって優秀な農業指導員になっている。
 だが、その師匠である勇樹は、万里の長城を隔てた存在であったようだ。

「あの男の手法を真似て、すぐに追い付きますから」

 桂花の手法は正しいのであろうが、私は早くもっと大身になって勇樹を部下に欲しいと思ってしまうのであった。