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松戸 戸定邸へ

2009-11-24 09:49:24 | まち その他
11月23日 子どもの用事で松戸へ行き、待ち時間があったので市立図書館へ行きました。ふと目に止まった「写真集松戸の100年」という本を1時間くらい見ていました。明治期の庶民の生活を写した写真のうちのかなりに徳川昭武撮影とありました。水戸藩最後(11代)の藩主、徳川昭武が松戸の丘上の戸定邸で隠居生活をしていたことを知りました。他の写真は、式典や行事での写真がほとんどですが、徳川昭武の写真は、庶民の生活と景観に関する視点で、叙情的な写真です。当時まだ写真撮影が高価だったころに、このような被写体を、このような視点で撮影できたのは、大変稀で、今となっては、大変貴重なものだと思いました。
(この辺は、また後日の話題とします。)
徳川昭武のころのようにとは言いませんが、意外と最近まで、松戸あたりに緩やかな時間が流れていたことを知りました。市内を通っていた水戸街道に変わって昭和38年に国道6号バイパス線が通りました。このモータリゼーションまでは、全く違う世の中だったのですね。

街に「戸定邸にいってみてよ」(正確に覚えていないので、違うかも?)という小さなポスターを数箇所で目にしました。「とさだ・てい」か「とてい・てい」か読み方が分かりませんでしたが、子どもの用事が終わったので、そのキャッチにも誘われて、戸定邸に行ってみることにしました。

駅から約600m位でしょうか、丘に上がる坂道で、石段の上に門が見えてきました。



石段は最近改修したと思われますが、コケラ葺きの野太い構えの門です。銀杏の巨木のかかりも趣きあります。


太径の丸太仕立てはオリジナル性が高いと思います。作りこまず、量感を表して勝負しています。


戸定邸南西の大広間。夕方だったので、太陽の逆光はご勘弁。外気との一体感は伝統的な日本家屋には標準装備だったと感じる空間です。


携帯のカメラに、夕焼けモードというのがありました。この空間を、他の客がいないほんのひと時だけでも独占できるのは格別です。眼下に江戸川葛飾橋、向こうに東京の喧騒が見えます。この縁からの眺めは「富士見100景」とのことです。下界から、電車の通る音が、ちょっと忙しく走り過ぎかと思いましたが、許せてしまいました。


大広間の南側は芝の庭園で、向こうに樹林があります。


北側の棟の部屋


風呂です。土間まで降りて、スノコの洗い場です。浴槽は小さいです。


西日が落ち着いたか、もう一度、大広間に行ってみましたが、あまり、変わりませんでした。職員の人がガラス戸を締めていました。


東側の棟の広間。


入り口の小舞戸越に外を見る。


石敷きの小道を行くと、敷地奥の方に洋風の庭園がありました。結構な大木が何本もあります。


携帯のカメラではなく、デジカメでないとピントが甘い点、午前中だと眺めも良いし、撮影も○かと思います。また、再度、行って見たいと思います。


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