下町のまちづくりを考える・・・・・・・・・・

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7月26日.地盤調査 報告書

2010-01-10 10:00:12 | 仕事のこと.ハウスDT10.工事過程
7月21日の地盤調査の結果が地盤調査報告書として送られてきました。内容は、①基礎仕様の計画(調査結果の判定)、②調査の概要(調査場所、調査方法、敷地調査、周辺調査、調査箇所位置)、③調査のデーターの見方、④調査データー⑤現場記録写真、です。
JHS(ジャパン・ホーム・シールド)の表紙です。




判定は、JHSの地盤保障を受けるには柱状改良が必要と出ました。区役所で地域ごとに地耐力が指定されていて、確認申請では、これをもと計算しますが、実際の地盤は、そんな、一律のものではありません。




奥に細長い敷地で、5点の調査位置が示されています。




ポイント①②④⑤はほぼ同じでした。-1.0Mくらいのところが不十分ですが、-2.0Mくらいから-7.0くらいまでしっかり使えそうですね。改良柱の長さは2.0Mくらい済みそうですね。




と思いきや、③。-2.75Mくらいからですかね?改良柱の長さによって、改良の工事費がかなり違いますからね。それでも、建物荷重が軽い方の位置であったから、良かったほうかな。




現場記録写真。




仕様図面によると、長さ3.5M必要だとのことでした。なぜそんなに長い必要があるのか直ぐに分からないので、自分たち監理側でも分析をはじめました。最悪の③点で、換算N値を許容支持力に置き換えます。この係数は土質によって違うのですが、スウェデン式では細かくサンプル調査できないので、地盤保障会社などでは、粘質土で10N(kN/m2)、砂質土で8N(kN/m2)(8)で行うのが一般的です。
 参照住宅基礎地盤調査のためのサウンディング

この建物では許容支持力30KN/㎡ですから、支持力の水色部分が十分な許容支持力のある土です。しかし、実際に建物の荷重を支えるには約2M位の厚みが必要ですから、支持の適否はもっと狭いです。さらに、同じ土質で約2M位の厚みがある方が望ましいので、この件では砂質まで入れてしまった方が、最善であるということが分かりました。赤線の深さ(-3.5M)に支持し、貫入0.5M、である、JSHが判断が適切であることが分かりました。


下町の地盤は結構均質かと思っていましたが、同敷地内でも結構違う部分があるのですね。
木造3階の建物は、22KN位の軽量なものならば、柱状改良等が必要ない場合もありそうですが、下町の狭小3階では、際どそうですね。いままで、地盤調査は必須で、柱状改良等もほぼ必要との方針できましたが、その通りの結果でした。

7月21日.地盤調査

2010-01-08 22:09:03 | 仕事のこと.ハウスDT10.工事過程
スエーデン式サウンディングの試験を行いました。小雨ですが、作業には問題ありません。昔は手動で回転していたので、2人一組で、大変腕力の使う仕事でした。最近はゴムキャタビラがついた機械で行います。4隅と中央の5点行います。まず中央から。


次は、北西の角。この辺は。大きなガラがあったのでよけながら行いました。

そして、南西の角。アンテナみたいな細い棒をねじ込んでいきます。ジョイントしながら、約10Mまでねじ込みます。
敷地には普段は自動車が止まっていますが、予め調査位置を除けて止めて置いてもらいました。時には、自動車を移動しながら、やる場合もありますが、なんとかできます。

1時間半くらいで終了しました。土質を野帳に書いていき、事務所にもどって、回転抵抗値を土質に応じて、割り出します。ということで、現場では、直ぐには何も結果が出ないで終わります。

多聞寺

2010-01-07 20:59:46 | まち その他
堀切駅から多聞寺へ行ってみました。石畳を軸に全体が整然としています。ちょっと本堂が軸線から外れています。


本当のかやぶきの門なんですね。


墨田で一番古い木造の建物だそうです。


かわいい黒猫が4匹迎えてくれました。長い歴史の建物もネコションには弱いのですね。


建物は古く風格ありますが、石畳はモダンに改修されています。スロープで、お年寄りにも優しいのです。


片隅に、映画人の墓碑というのがあります。ここも、新旧がコラボした空間です。

全体的に、新旧を上手く織り交ぜ、時代を重ねていると感じました。


久しぶりに堀切駅

2010-01-06 22:53:04 | まち その他
2009年12月26日、天気がよかったので、堀切から鐘淵あたりを散策してみることにしました。

もう、40年以上前ですが、5歳くらいの子どものころの記憶では、木造の堀切橋を渡ってくると、丁度、駅舎の当たりに上陸し、少し左にクランクして、線路を踏み切りで渡っていました。そして、水路脇を通って、右に折れ細い路になり、斜めに墨堤通りに出ていました。今考えると、モータリゼーション前期とはいえ、橋につながる道としては貧弱であったと思います。


駅舎の形は、昔の通りですが、昔は、セメント瓦で全体的にもっと田舎くさかった感じがします。今の東武カラー(小豆色)で統一したのですね。


昭和40年代に新堀切橋ができ、踏み切りがなくなり、この道は駅で行き止まりになっています。
でも、昔、どのように踏切があったのか。土手と3m近くの高低差が有るけど、土手が上がったのか、電車が下がったのか、不思議です。実際は、どちらでもなく、橋の付け根がだいぶ川の方うあったため、傾斜距離が長くとれていたみたいです。

金八先生では、ここがよく出てきましたが、確かに、「都内の田舎」的な雰囲気がある駅アプローチですね。駅へ入る角にラーメン屋さんがありますが、幟旗なんか置いて、売れているかどうかは知りませんが、「都内の田舎」的ですね。
ブルーハーツの歌で「ホームラン」という歌があります。「野球をやりに行こうよ、河川敷のグランドへ、野球をやりに行こうよ、皆を集めて、、、」。私は野球は嫌いだったですが、小学校のころ、よく友達とこの辺の河川敷に遊びに来ましたね。今は冬ですが、子供の時の心持はいつも「ホームラン」の歌の色だった気がします。
http://www.youtube.com/watch?v=2Q1T8OjY588