
1月17日
あの日、ちょうど東京下町の実家から出勤するところで、
今は亡き母と「あ、地震だね」と話したのを今でも鮮明に覚えている。
でも、
友人宅は、そんな悠長なことを言っている状況ではなかった。
助かった友人の中にも、
避難所生活を何ヶ月も続けた人がいる。
とがったアスファルトを徒歩で越えながら、
今里から神戸までミネラルウオーターを毎日運んだ木村さんの話は今でも忘れない。
そして、心の傷、
タンスの下敷きになっていた時、
親から名前を呼んでもらえず、
未だにトラウマになっているMさん。
全壊した家から逃げ出したものの、
精神的なダメージが大きく、鬱になってしまったCさん。
災害協力が一段落した後も、
弔意から、私はあの日以来2年間神戸に行くのをやめた。
どんな気持ちで神戸を訪ねても、
関東の人間が行けば物見遊山と言われても仕方ない。
後に関西で働くようになって、友人も増えたが、
経験したことがない私は、未だにただ話を聞くことしかできない。
画像はルミナリエ。
あの日から3年目の冬、ルミナリエを見に行った。
いくつもの光はとても美しかったが、
何のための光かを考えたら、
複雑な気持ちになった。
被災者の方のご冥福をお祈り申し上げます。
あの日、ちょうど東京下町の実家から出勤するところで、
今は亡き母と「あ、地震だね」と話したのを今でも鮮明に覚えている。
でも、
友人宅は、そんな悠長なことを言っている状況ではなかった。
助かった友人の中にも、
避難所生活を何ヶ月も続けた人がいる。
とがったアスファルトを徒歩で越えながら、
今里から神戸までミネラルウオーターを毎日運んだ木村さんの話は今でも忘れない。
そして、心の傷、
タンスの下敷きになっていた時、
親から名前を呼んでもらえず、
未だにトラウマになっているMさん。
全壊した家から逃げ出したものの、
精神的なダメージが大きく、鬱になってしまったCさん。
災害協力が一段落した後も、
弔意から、私はあの日以来2年間神戸に行くのをやめた。
どんな気持ちで神戸を訪ねても、
関東の人間が行けば物見遊山と言われても仕方ない。
後に関西で働くようになって、友人も増えたが、
経験したことがない私は、未だにただ話を聞くことしかできない。
画像はルミナリエ。
あの日から3年目の冬、ルミナリエを見に行った。
いくつもの光はとても美しかったが、
何のための光かを考えたら、
複雑な気持ちになった。
被災者の方のご冥福をお祈り申し上げます。
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