親子の人間関係を学び直す 親業

とても大切な我が子に、貴方を大切に思っているんだよ。という思いをちゃんと伝える方法を学びませんか。

ジェラシ―

2013-10-29 19:45:00 | お知らせ

前回、嫉妬について書きました。同じタイトルでは何だと思い、ジェラシ―と今回は、タイトルを付けました。当然同じ意味です。短いタイトルの方が目につきやすいかと思いあえて同じ意味だけどちがう言葉を使わせてもらいました。

内容は、ジェラシーを持ったときにこう考えてはどうでしょうと提案してみたいわけです。これ以降、また嫉妬という言葉を使わせていただきます。前回書いたように、嫉妬は世にも恐ろしい、生産性のない心と時間の無駄使いの感情だと私は認識しています。

それで提案したいとおもったわけです。しかし、その前に国語辞典で調べた嫉妬の意味を少し書き出させていただきます。ご存知とはおもいますが、改めて辞書にはどのように書いてあるかを。三省堂第4版による。

1自分より幸福な状態にある相手を憎む気持ち(を持つこと)。

2愛する人の気持ちが、別な相手に移って行くことをうらやむ気持ち(を持つこと)。

2については、どうも私のこの提案では、及ばない気が、しますので1についての提案とさせていただきます。

それでは提案です。小耳にはさんでから気になっていたホルモンの作用です。自分が幸せと感じるときに出る、良いホルモンはセロトニントいうそうです。そりゃそうですよね、自分が幸せだと感じるときには、良いホルモンが出まくるのも当然うなづけます。

ところが、相手の幸せを喜んでいるときにもオキシトシンという、自分に良い作用を与えてくれる良いホルモンが出るそうです。かなりはしょった説明ですが、要するに人の幸せを喜ぶことが自分の幸せにつながるわけです。

今回気になっていた、このことを書こうとしてオキシトシンをネットで調べてみたら情報がでるわでるわ。そんなホルモンがあると知っただけでわたしは、嬉しくなりました。皆さんも私のはしょりすぎの説明でなく。ネットを見てみてください。

一部調べたことを書いてみます。男女に関係なく、好きという感情を抱いたり、人に親切にしたり、スキンシップをしているときに脳内で分泌されていることがわかっています。他の人を幸せにしようと思ったり、人のために自分の持っている力の一部を使ってあげたりすることで、オキシトシンが分泌される。(内科医 鎌田 實氏談)

ますます、人に嫉妬している場合ではないと思いませんか?これが、私の提案です。

「あなた、楽しんでね。嬉しいことがあって本当によかったね。」と。

 

 

 

 


嫉妬

2013-10-21 23:36:45 | お知らせ

 前にも書きましたが、高校で非常勤講師として家庭科を教えています。家庭科の内容は、多岐にわたっています。その中で、家庭経済と保育の分野を教えるのが、ここ数年楽しいです。

教えながら勉強し、学んでいく部分がかなりあります。保育の教材研究をしながら驚愕したことがあります。皆さんは、嫉妬という感情はいつ頃芽生えると思われますか?

な!なんと!興奮から始まり、快・不快に分化する感情。さらに不快の分化として嫉妬は、すでに1歳半から始まるそうです。

わたしは、自身、人と比較する癖がないせいか初めて嫉妬という感情の矢に気がついたのはかなりおそくです。

しかも見当違いな嫉妬の矢に悲しくなるという状況でした。優れているから嫉妬されるのではない、ということにも気がつきました。見当違いにターゲットになる場合がある。勝手にこの人は、自分より幸福だと思いこまれた場合にもそれが生じるらしいこと。

ですから、生徒に1歳半から嫉妬が芽生える事を得意そうに話し、いろんな感情があるけれども嫉妬ほど厄介で、非生産的な感情はない。人生でこれを上手にコントロールしないと本当に、醜く、くだらないことになるからね。と持論を繰り広げる。そのコントロールができるかどうかで心の幸せ感を左右すると。

そんな折、かって華々しくキャスターをしていらした、櫻井よしこさんの文章を新聞で読んだ。お父様に愛人がいて、思春期の娘の櫻井さんの葛藤に対して母からかけられた言葉が書いてあった。

(この場合決して嫉妬ではないので誤解のないようにお願いします。ただ、心の守り方として同じだと感じるので引用させていただきました。)

「一日は24時間しかないし、人間の持っているエネルギーはだいたい同じしかないのよ。くやしい辛い気持ちがあっても自分のエネルギーは、前向きに使いなさい。どんな人も幸せになる権利があるのよ。あなたは周囲を責めるよりも自分をもっと充実させなさい。」

わたしには、胸に響きました。こんなスタンスで生きていけば嫉妬などという無駄なことにかかわっている暇はないはずですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


母からの手紙

2013-10-08 23:37:44 | お知らせ

 12年前に亡くなった母から手紙が届いた。正確に言うとすでにその手紙は、以前読んでいた、遺品の整理の際にである。先日、机で探しものをしていて、久しぶりに見つけたのである。

 もっと正確に言うと、その手紙は母が自分の母に対して出した手紙である。母の母つまり私の祖母が亡くなった時に、同居していた母の妹夫婦、つまり私の叔母夫婦が気を利かせて母に返したものと思われる。そして、それを母が大事にとっておき。12年前母の死をきっかけに私の目に触れることになった。

それはまさに、母からの私への手紙と解釈する。この手紙を読むともうずいぶんいい大人すぎるわたしが、母に包まれて子供に戻り、幸せな気分になる。

私のことを書いてある部分をここに写してみる。Yちゃんは、相変わらずおやんちゃでほとほと手をやいています。落ち着いてやれることは掃除くらいです。でも、「あのね、あのね。」とお話しするときなど、夜「おやちゅみなさい。」というときは、ほんとうに可愛いなあーと思ひます。

Yは本当に行動的で先日も私が、布団の掛布をとり布団の表布を洗おうと思って布をめくり、それを持ってお風呂場へ行って、洗濯機を動かして来て見るとさあ大変、Yが自分の掛け布団を鋏でチョキチョキ、綿をだして「お母さんお手伝ひしてあげた。」とすまし顔そのときはギョッとしてガックンというところでした。

また、ボタンがとれれば、針で糸をさしてくれと申し「危ない。危ない」と言ってもきかばこそ、ひやひや見守る中にボタンをぶらさげて、ケロリンコ万事こんな調子です。Kちゃん(一つ違いの従姉妹)は、お利口ちゃんでしょうね。

手を焼きながらも愛してくれていたことが改めて伝わってくる。大事にされていたという記憶のよびさましで、大人の私さえ生きる勇気がわく。

複雑化する社会の中で、子育てで疲れてしまっている方もずいぶんいるとは思います。しかし、子供に勇気をあたえられる、大切な存在は、あなたです。少し深呼吸しておもいっきり、現時点の、お子様を抱きしめ可愛がってあげてください。

こんなことも思い出しました。3ヶ月ほど前のことです。息子より一つ年下の友人が私にはいます。彼女を含む4人で飲んでいた時、ふと彼女が、3年前に亡くなられたおばちゃまの俳句を写メったものを見せてくれました。幼い彼女が、自分に勇気をくれる様子を詠んだものです。彼女は5人兄弟の末っ子。その素敵な名前もおばあちゃまが命名くださいました。期せずして2人で、涙ぐんでしまいました。ふと気がつくと、俳句を覗き込んでいた40過ぎたばかりの男性の目にも光るものがありました。とても可愛がってくれた、大好きなおばあちゃまと以前から聞いていました。彼女もおばあちゃまから、亡くなられた今も、常に勇気をいただいているそうです。