大和ヒトシの足踏み行進記~ママチャリ日本一周編~

大和の唄と三線・俵積田等による日々日記番外編

40日目

2005年05月12日 11時47分24秒 | 実家(鹿児島県)⇒萩市(山口県)
8時起床、朝食を食べ荷物をまとめ、じゃあ行ってくるわと母に軽く手を振り実家を後にし、ウチが営んでるガソリンスタンドへと。
そろそろタイヤがすり減ってツルツルに近くなっていたので換えようかと新品のタイヤを注文してもらっていたので、そのままオヤジに交換してもらいました。
自転車に乗っていながら、自転車の事なんて恥ずかしながら全く知らない事だらけ。次々と分解されていく様を、今度は自分でトライするぞとしかと目に焼き付けます。
そして、チェーン他に油もさしてもらい、ピカピカに甦ったマイチャリ☆
ありがとうとオヤジに礼を言い、10時いざ出発。
少し枕崎市内をまわってから、12時にお隣の知覧町、そして特攻平和会館へ。
沖縄戦で無惨に空に散華していった特攻隊を謹むと共に、二度とこういう事を起こしてはならないと祈念して展示物がなされています。
特攻隊(特別攻撃隊)というのは、戦闘機に爆弾を積んで飛行機もろとも敵の艦隊に突っ込んでいった有人ミサイルの事。特攻って言われてもピンと来ませんが、英語読み「SUICIDE ATTACK」と聞くと恐ろしくピンと(というよりグサグサっと)きます。
当時、沖縄に一番近い本土最南端の基地がここ知覧にあったらしく、全国からぞくぞくと隊員が集結し、ここから飛び立っていったそうです。
ここの資料館が他と決定的に違うのは、遺影と共になんと、遺書がある点。他のそれとは違い、確実に戦死する事がわかってますから、出発までに書き記し、それを軍が荷物(遺品)と共に家族のもとへと届けるんだそうです。
当時はお国の為に戦死する事は大変栄誉ある事だったとはいえ、しかしながらその胸中は果たしていかがなものであったであろうか。
14時に特攻館を後にし、知覧峠を越えて16時鹿児島市内へ。
このまま北上を続けようかなとも思ったけど時間ももう微妙だったしどうせならハルジュクに挨拶でもと思い、本人がいるかいないかは分からないけどとりあえずダメもとで記憶をたよりにハルジュクの働く焼酎工場へ。
あ、いた~♪
ハルジュクや焼酎工場の皆さんと楽しく再会のおしゃべり。本当にここの方々は素敵な人達ばかり。いつかここにも恩返しがしたいです。
そして、ハルジュクに訊ねます。
「今晩何か予定ある?」
「何もないし明日仕事休みだよ」
即決、お世話になります!(笑)
温泉に連れてってもらい、居酒屋に連れてってもらい、いたれりつくせりのホロ酔い気分で何時就寝だったか全く記憶に無し!(笑)
写真は実家のガソリンスタンド。
左端でオヤジがタイヤ交換中なんですが真っ暗で分かりませんね。

今日の移動:枕崎市(鹿児島県)→鹿児島市(鹿児島県)
走行時間:4時間
走行距離:57.4Km
積算距離:3328.8Km

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1 コメント

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あうあうあ- (全身音楽家)
2005-05-12 12:18:17
特攻隊は何の目的で作られたのか?と僕は一人授業中に考えました。もちろん、アメリカ軍に損害を与えるのが表\向きの目的ですが、実際のところは相手に与えた損害はほとんどない。僕は、日本の特攻隊を作った本当の理由は日本国民にやる気を出させるためだと思う。最低なことだ。「特攻隊は命を張って戦っていますよ、私たちも戦いましょう。」みたいな感じで。本当最低だ。こんなことが過去の日本にあったなんて、僕は日本人として情けなくなる。そんな強い怒りの感情を、今授業中で感じているのは僕だけだろう。じゃあ今僕は何ができるのか?そんなもの何にもない。できるとしたら、今の一日一日を楽しく一生懸命生きることだろうと僕は思います。それでは、全国周り頑張ってください!!!(コメントの域越えてるよ-笑)
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