テレビとうさん

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「主体」 と 「客体」

2019年09月22日 | 思想・思考

 「主体」は英語で"Subject"です。「サブジェクト」は文法では「主語」、表現物に対する「主題」の意味も有ります。つまり、「主体」とは言っても、これを名付ける「上層の主体者」がいることで「主体」の存在が可能になります。「仕事を主体的にしなさい。」と「命令する人」がいると云う事です。

 「客体」は英語で"object"です。「オブジェクト」は文法で「目的語」、表現物の「実体」です。つまり、「客体」とは言っても、その本質を意味します。「私は山に登る。」では「山」が「客体」になりますが、実際には「私より山の方が実存的」です。「私は、そこに山があるから登る。」が、これを表現しています。

 英語の「主体と客体」は、認識論では「主観と客観」とも訳されます。これは「唯物論」の原点になり「神」の入り込む余地はありません。自分の体にしても「自分が認識(主観)」するか「他人の認識(客観)」を受け入れることで、その「実存」が担保されます。「他人の認識」を受け入れられなくなった場合は、頼りになるモノが「自分の認識」しか無くなり、自分の体を維持する事が難しくなります。「神の存在(実在ではない)」は、この時には有益かもしれません。

 「主体思想」というコトバが有ります。これは「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」に書かれた「マルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用した朝鮮労働党の主体思想」にある「朝鮮人民が国家開発の主人であり、国家には強力な軍事的姿勢と国家的資源が必要。」とする思想です。

 つまり、朝鮮人民は「主人」で、朝鮮労働党が「主体」になり、これを統括し「命令するのは朝鮮労働党主席(委員長)」と云う意味になります。ここに「主(あるじ)」は色々いますが、「人民全員が主人」なので「客体」は定義外に見えます。恐らく「客体は外国人」になると思います。日本人の「拉致被害者」は目的物(客体)の一つであり、「国家的資源」にされました。韓国も目的物の一つに過ぎなく、国家開発計画は進行中です。

 「主体に命令する人」と「実体である目的物」が「主体思想」では判りません。「主体」とは実際に行動をする人の事なので、プログラミング(洗脳)を終えた自力行動型ロボットでもよく、「客体」を求めて「主体的」に行動します。

 日本における「チュチェ思想研究会全国連絡会」の会長は、佐久川政一沖縄大学名誉教授で、「主体思想」の信奉者が全国にいて、北海道や沖縄などで、半ば公に活動しています。しかし、昭和憲法が有る限り、これを阻止する事は絶望的です。




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