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2009/12/10新宿署違法捜査憤死事件(原田信助25歳)東京地裁2016/3/15判決[国家賠償訴訟]原田尚美

2009年07月01日 23時58分56秒 | Weblog
18000文字数

清水勉主任弁護士

原田尚美(母親)

新宿署、痴漢冤罪めぐる証拠隠蔽・改竄工作が発覚…違法捜査受けた男性は直後に死亡
2016/3/16ビジネスジャーナル/サイゾー

息子(原田信助)の死後の冤罪に涙する母親(尚美)に、裁判の舞台は高裁へ移る。
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2016/3/15東京地裁判決709号法廷(小海隆則裁判長)
▼国家賠償訴訟▼
原田尚美59は2011年4月26日東京都(警視庁)に対して1000万円を求める国家賠償訴訟を提起した。
東京地裁709号法廷(小海隆則裁判長)
原告=原田尚美(59)/清水勉弁護士(さくら通り法律事務所)~原田信助(痴漢冤罪自殺)
被告=東京都(警視庁)
判決=[原告の訴えを棄却する。裁判費用は原告の負担とする]

「原告の訴えを棄却する。裁判費用は原告の負担とする」
2016/3月15日午後1時10分、東京地裁709号法廷に小海隆則裁判長の抑揚のない声が響いた。
その瞬間、傍聴席は水を打ったように静まり返った。
5年をかけた母親(原田尚美59)の願いはわずか1分で打ち砕かれた。

2009年12月10日午後11時過ぎ、転職先の職場の歓迎会を終えて帰宅を急いでいた原田信助さん(当時25歳)は東京・新宿駅構内の階段で酔客らにすれ違い様いきなり殴りかかられ、階段から引き落とされる。さらに男性らは馬乗りになって信助さんの頭を床に打ち付けた。「階段ですれ違い様に痴漢された。お腹を触られた」という女性の一声で騒ぎに駆けつけた駅員からも暴行を受け、信助さんは警察に助けを求めて110番通報する。しかし信助さんを待っていたのは、「痴漢の容疑者」としての取り調べだった。

携帯電話の充電が切れるなどの不運が重なり、信助さんは外部との連絡が取れないまま、新宿西口交番で1時間半にわたり取り調べを受ける。外部との連絡を認めない取り調べは「逮捕・監禁状態」であり、違法捜査そのものだ。信助さんは警官から「新宿署へ行けば電話を貸す。あなたの話を聞くから」と新宿署へ連行された。

しかし、信助さんは新宿署でも徹底的に痴漢の被疑者としての扱いを受ける。刑事は所持品検査や指紋押捺を行い、信助さんが拒否しているにもかかわらず無理矢理に全身写真を撮るなど、人権を無視した違法捜査を行った。これらはすべて信助さんが所持していたICレコーダーに記録されている。

●被害者が存在しない痴漢事件

新宿署で「痴漢の被害者」と自称した女性は、信助さんの供述とは違う服装をしており、当日本人が書いた上申書では「人違い」ということで信助さんへの被害届を出さずに立ち去っていた。新宿署には当日の取り調べについて、「痴漢の事実なく相互暴行として後日呼び出しとした」とするメモが残されている。

新宿署の刑事はその事実を信助さんに伝えていない。それどころか、ICレコーダーには信助さんが痴漢の容疑者だと誤解させる暴言が記録されている。信助さんは刑事に「僕はこれから冤罪被害者として生きていかなくてはならないのでしょうか」と問いかけ、「それは相手の出方次第だな」と事もなげに答える刑事のやり取りが残されている。この時、刑事が痴漢の容疑が晴れたことを伝えていれば、信助さんが将来を悲観する必要もなかったのだ。

結局、翌朝4時に取り調べから解放され、しばらく署で仮眠した後、信助さんは街へ出た。暴行被害と長時間の容疑者扱いに疲労困憊し、心神喪失していたのか通い慣れた母校、早稲田大学近くの東西線早稲田駅まで歩いた。

信助さんの帰宅を心配する母親の原田尚美さん(59)に、「息子さんが電車にひかれ危篤だ」と告げる電話がかかってきた。09年12月11日午後9時3分、病院に駆けつけた尚美さんの目の前で信助さんは息を引き取った。尚美さんが息子の声を聞くために遺品であるICレコーダーのスィッチを押すと、警察署で行われた取り調べの一部始終が記録されていた。それはもの言えぬ信助さんが遺族に託した「潔白と違法捜査の証言」だった。

尚美さんは息子の死の原因は警察の違法捜査であると確信。尚美さんは新宿警察に抗議し事情説明を求めた。すると新宿署は信助さんの死亡から49日後の10年1月29日に信助さんを痴漢の容疑者として書類送検した(東京都迷惑防止条例違反)。

被害者が存在しないのにもかかわらず、信助さんが送検されたのはなぜか。それは、新宿署が尚美さんの提訴を予測して、新宿署に不利な違法捜査の証拠を不開示とするのが目的だといわれている。被疑者死亡の場合は不起訴処分となり、送致書は不開示扱いとなるのを逆手にとった「証拠隠滅」が目的の送検だったのだ。これにより、信助さんは社会的に痴漢事件の被疑者として名前が残る事になった。

●2011/4/26国家賠償訴訟へ

原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)に対して1000万円を求める国家賠償訴訟を提起した。そして少しでも事件の手がかりをつかもうと新宿駅で目撃者探しを始める。やがてビラ配りやインターネットを通じての呼びかけに応じて、目撃者の女性が現れた。尚美さんは事件当日、現場で原田信助さんが茶髪の若者グループ数人から激しい暴行を受けていたという証言を得る。信助さんが集団暴行の被害者であることは、記録からも目撃証言からも裏付けが取れたのだ。

■「まるで刑事ドラマ。新宿署が裁判対策で『特命捜査本部』を設置」

尚美さんの弁護を引き受けた清水勉弁護士(さくら通り法律事務所)は、「信助さんが痴漢をしている証拠を出せ、出せないならこの事件は捏造だ」と被告に迫り、仕方なく被告側の弁護士は検察に送致記録の開示を求め、新宿署が検察に送った送致記録は開示された。これにより新宿署のずさんな捜査方法と信憑性に欠ける証拠物件が次々と明るみになった。送致書によると、新宿署は信助さんの自殺を受けて09年12月14日に「原田信助さんの痴漢容疑を捜査する」と「特命捜査本部」を設置している

尚美さんによると、送致書に提出されている信助さんに暴行をふるった若者の写真は、目撃証言とは違う服装をしていた。さらに自称痴漢被害者の女性は事件当日酩酊しており、信助さんを痴漢扱いしたことについて「人違いでした」という上申書を書いて立ち去ったが、10年1月26日に突然、この女性当人によるものとされるワープロ打ちの被害届が新宿署に提出された。裁判対策用に信助さんを容疑者に仕立てる証拠品や調書の偽造が「特命捜査本部」で行われていたのは、想像にかたくない。

●犯罪立証に目撃者はいらないのか

敗訴の判決を受け都内で開かれた裁判説明会で清水弁護士は、「痴漢事件など存在しない」と怒りを露わにした。「防犯カメラの映像は警察で恣意的に使われている」と清水弁護士は監視社会に警鐘を鳴らす。送致書では信助さんの「犯行現場」は階段から通路へと「移動」されていた。110通報した信助さんの暴行被害を一切捜査しなかったため、暴行されている場面が映っていない場所へ事件発生現場をずらしたことに、弁護団も支援者も驚きを隠せない。

清水弁護士は続けて以下のように述べ、国と闘う姿勢を見せた。

「JRが協力して証拠を出したら裁判所は無視した。暴行の間接的目撃者がいても無視した。そうなったら、犯罪立証に目撃者はいらないじゃないですか。警察官が適当に報告書を書けば有罪になる。そういう事になりかねない。それは着々と進んでいる。この問題に気がついた私たちとすれば、このまま済ますわけにはいかないと思います!」

また、元北海道警察の原田宏二さんはこう語った。

「警察にとって何が一番重要か、というと組織防衛なんです。組織を守るということは何よりも大事なのです。対応方針は変わる。(国賠に備えて)痴漢はないと言った判断は取り消しです。判断するのは警察署長です。(当時立延哲夫氏)現場の警察官の判断はいとも簡単に変わります。組織防衛のためには(信介さんを痴漢の被疑者として送致したのは)当然の結果だったのです」

この事件を追い続けるフリージャーナリストの林克明さんは「判決は認められません」と憤る。「裁判所は判決文で新宿署が信助さんに痴漢の容疑が晴れた事の告知と弁護士を呼ぶ権利の告知をする義務はない、としています。それじゃ、警察はやりたい放題です。そんな判例を認めたら大変です」さらに「信助さんの死後、新宿署がやった事はもっと問題です。開示された送致書の調書はめちゃくちゃ。信助さんの痴漢の証拠だと提出された防犯カメラのビデオ映像は改ざんされています」とこの事件の本質は捜査権限を逸脱した「調書偽造事件」だと問題視した。

また、裁判の傍聴に訪れた支援者達は個人が国賠に勝つ事の難しさを口々に訴えた。

自らも犯罪被害者の家族だと言う50代の女性は、「国は絶対に非を認めません。死者に法律は冷たいですから。果たして、息子さんを亡くしたお母様の被害を国が認めるのか。でも、この裁判により『痴漢冤罪という犯罪がある』『女性が虚偽の告発をして男性が被害者になる』という可能性が知れ渡った。これはとても重要な事です」

また法律に詳しい林田力さんは、この判決を「冷血判決」だと切って捨てた。

「この裁判で警察の決めつけ捜査が浮き彫りになりました。そして、それをごまかそう、なかったことにしようという工作が明らかになった。裁判所は行政に寄り添って国民の声に耳を傾けない。消費者が企業を訴える場合も同じ構図です。弱者の声に耳を傾けない裁判官が法律を扱うから、血の通わない判決になるのです」


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この日、涙をたたえて愛息の遺影を抱いた尚美さんは、控訴の意志を弁護団に伝えた。

尚美さんは筆者の取材に対して裁判を続ける目的をこう答えた。
「息子がなぜ突然いなくなったのか、その理由が知りたいのです。警察は記録を改竄したりせず、真実を明らかにしてほしい」

警察の仕事は犯罪を捜査し犯人を逮捕するのが仕事だと思われがちだが、実はそれは警察の職務のほんの一部に過ぎない。「警察法」第一章の2条に警察官の守るべき職務としてこう書かれている。「警察は個人の生命、身体および財産の保護に任じ」暴行されて怪我だらけの信助さんを前に、痴漢容疑で取り調べした新宿署はこの法令を忘れていたのだろうか?

たとえ、尚美さんがこの裁判に勝っても、尚美さんの悲しみが癒えることはない。息子の死後の冤罪に涙する母親に、国はどう答えるのか。裁判の舞台は高裁に移る。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)

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2009/12/10新宿署違法捜査憤死事件(原田信助25歳)東京地裁/国賠訴訟2011/6/14~

【新宿署違法捜査憤死事件】
大学職員(原田信助当時25歳)自殺の″容疑″はやはり新宿署の捏造!?
なぜ警察は証拠VTRを提出しないのか!!

2011年11月09日日刊サイゾー

■東京地方裁判所/国賠訴訟
■原告=原田尚美(信助の母)=清水勉弁護士(9名弁護団主任弁護士)
被告=警視庁(東京都)

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事件発生時刻=2009年12月10日のPM10時55分頃
JR新宿駅構内で酒に酔った女子大生1人と男子大学生2人に、原田信助は
「痴漢」と呼ばれて激しい暴行を受けた後、警察に連行された。

後日出頭での釈放=2009/12/11AM5:45
原田信助自殺(当時25歳)=2009/12/11AM6:40=地下鉄東西線早稲田駅ホームから投身

遺品=ボイスレコーダー=信助の7時間の"最後の記録"

原田信助=生年月日1984/4/30

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2011年4月26日に原田尚美は国家賠償請求を提訴(記者会見2011/4/26東京都霞ヶ関弁護士会館)

■第1回口頭弁論=2011年6月14日(火)10:30~709号法廷=15分程度で閉廷
裁判官=3名
被告=東京都代理人=5名
傍聴席=42名

■第2回口頭弁論=2011年8月30日(火)14:00~
■第3回口頭弁論=2011年11月8日(火)11:30~709号法廷
■第4回口頭弁論=2012年1月末あたりか?




ひとりの青年(原田信助)がJR新宿駅で通りすがりの大学生らに痴漢の容疑をかけられ、
激しい暴行を受けた後、警察からの違法な取調べなどが原因で、
自らの命を絶った2009年12月の「新宿署違法捜査憤死事件」。

憤死=ふんし=憤慨して死ぬこと、例文=世に入れられず憤死する

自殺の背景に新宿警察署によるずさんな捜査や、
JR東日本の不適切な対応があったことが徐々に明らかになりつつある(※記事A)。


青年(原田信助)の母・原田尚美の求めに応じて昨年2010年12月に開示された警察の取り調べ調書によれば、痴漢の「被害者」を名乗っていた、
【 女子大生 】が青年を犯人と「見間違えた」と証言していることも判明。

新宿警察が、証言もないまま痴漢事件を組織的に捏造し、
デッチあげの書類送検をした疑いが極めて濃くなっている。


そんな中、母・原田尚美は警視庁を相手取り、
今年2011年4月に国家賠償請求を提訴(※記事B=最下部にある)。

■その第3回口頭弁論が2011年11月8日(火)、東京地方裁判所で行われた。


公判のポイントのひとつは、
原告=原田尚美側が前回公判で求めた、青年(原田信助)を犯人と断定した根拠となる駅の防犯カメラの映像記録の提出を、被告である警視庁がどのような形で応じるかというもの。

警察側は、
青年(原田信助)を犯罪者と断定しているすべての根拠を、
その一点(駅防犯カメラ)に依存しているからだ。

前回(第2回)公判で原告(原田尚美/清水勉弁護士)が提出した書面の中から該当箇所を以下に抜粋する。


■「被告(=警視庁)は(略)防犯カメラ3つの映像によって事件を確認することができた、としており、更にそのカメラの映像によって判明したとされる事実を主張している。(略)ついては、これら3つのカメラの映像内容及び、各カメラが設置されていた配置や当時の新宿駅構内の様子が分かる実況見分調書その他の参考となる図面を提出されたい」


ところが、
警察からは証拠となる映像は提出されず、
それどころか、なぜ提出しないかについても書面には一切触れられていなかったのだ。
原告代理人を務める清水勉弁護士があきれながら言う。



「警察側が青年を犯人とする主張の内容があまりにこちらの見解と異なるので、そんなに言うなら証拠を出しなさいよと言ったのが(第2回公判の)8月です。で、3カ月待った今日の被告の返答が、『あるかどうかも含めて検討します』ですからね。冗談じゃないですよ。3カ月間何をしていたのか。もし証拠がないならこれまでの主張を撤回しろという話です。しかも、こうしたふざけた対応を裁判長が注意することもなく、『じゃあ被告は検討してよ』という態度ですからね」



これについて、
今回の事件を見続けているあるA弁護士が次のように説明する。


「裁判官が公正中立なんて話は幻想であって、基本的には裁判長も"向こう側"の人間ですから。しかも、一般的な行政事件と比べて、警察が絡む場合は特に裁判所が"向こう寄り"になるので最悪です。検察と警察、裁判官がグルになって冤罪を量産している組織が裁判所だと思えば間違いありませんよ」



また、今回の事件は新宿警察の捜査過程に違法性の疑いがあることが重要なポイントになるわけだが、「裁判所は基本的に、警察の言い分を100%信用して進めてしまう」と、このA弁護士は指摘する。


「警察が提出する供述調書などの内容を、裁判所が疑うことはまずありません。警察がウソの書類なんか作るはずないという大前提で公判を進めてしまう。でも実際は、警察なんて捏造集団なんですよ。■ノルマ達成■のために事件をでっちげるなんて日常茶飯事。しかも、裁判官も事実の究明なんて二の次だから、とにかく警察の味方をする。日本の司法制度なんてそれくらい脆弱でいい加減なんです。国民はもっとそのことを知らないといけない。決して他人事ではありませんよ」



警察にはびこる■ノルマ達成■のための"でっちあげ体質"については、
先の清水勉弁護士も今回の事件と絡めて次のように説明する。

「警察と一般人の社会常識があまりに違いすぎるんですよ。彼らの頭の中にあるのは、
とにかく■ノルマ■。今回だって、事件があった夜の宿直の職員がたまたま条例違反を主に取り扱う生安(せいあん=生活安全課)だったから『じゃあ、迷惑防止条例違反で片付けようぜ』と。それだけのことですからね。もし宿直が傷害事件を専門にする捜査一課だったら、扱いはまるで違っていたはずです。それくらいいい加減だということなんですよ」



自分の成績を上げるために一般人を犯罪者に仕立て上げる警察組織と、
その言い分をそのまま引き受けてしまう裁判官たち。
母・原田尚美の「この国の司法に正義はあるのでしょうか」(Twitterより)との言葉が重く胸にのしかかる。清水勉弁護士は、支援者を対象にした公判後の報告会で次のようにコメントした。

「当初の予測では、この裁判ってもっと淡々と進んでいくのかなと思っていたのですが、予想以上というか、予想通りというか(苦笑)、被告(=警視庁)の対応があまりにひどい。今後も公判を重ねるごとに警察のひどさが一層明らかになっていくことになるでしょう」

(日刊サイゾー/文=浮島さとし)

●新宿署違法捜査憤死事件(支援者によるまとめ)
http://harada1210.blogspot.com/

●【短期集中連載】発生から1年「新宿駅痴漢冤罪暴行事件」の闇
http://www.cyzo.com/2010/12/post_6078.html


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■記事A■

「新宿駅痴漢冤罪暴行事件」の闇
痴漢冤罪で命を絶った青年が録音していた「警察の非道」


「新宿駅 痴漢冤罪」――今、この言葉でネット検索をすると、ブログや記事、掲示板の書き込みなど、溢れるほどの関連情報を検出することができる。そしてその「情報」はどれも、日本社会の巨大な矛盾を浮き彫りにする悲痛で救いようのないものばかりだ。

2009年12月に新宿駅構内で一人の男性が痴漢容疑をかけられて暴行を受け、警察からの取調べの後に自らの命を絶った。男性の名は原田信助(25歳・当時)。

2008年に早大商学部を卒業後、
宇宙開発研究機構(JAXA)に入社した後、
2009年10月に都内の私大職員へ転職していた。


事件はその2カ月後、
2009年12月10日の夜10時55分頃に起こる。
職場の同僚から歓迎会を開いてもらった原田信助は、

ーーーーーー↓

帰り道の新宿駅で酒に酔った男女数人の大学生グループとすれ違った際、
「お腹をさわられた!」「痴漢!」と叫ばれ、連れの男子学生に殴られて階段から引き落とされるなどの激しい暴行を受ける
■(茶髪の若い男が数人で一人の男性を取り囲み、激しく蹴り続けている様子や、
■"ギャル風"の若い女数人がそれを見守っていたなどの目撃証言が、
最近になり徐々に集まっている)。

ーーーーーー↑

事態が理解できないまま殴られ続ける中、信助はうずくまりながら携帯電話で110番に通報。
しかし、駆けつけた駅員や警察は助けるどころか信助を痴漢と決めつけ、

新宿駅西口交番および新宿警察署へ連行、
翌朝6時(2009/12/11AM6時)まで取調べなどで拘束する。
激しく殴打された信助は治療を受けさせてもらうこともなく、
身の潔白を主張するも言い分は一切聞き入れられない。


最後に「後日出頭」の確約書を書かされて翌朝"釈放"された信助は、
そのまま家へ向うこともなく、大学時代に慣れ親しんだ地下鉄東西線早稲田駅のホームから
身を投じ、自らの命を絶つのである。


大手町駅地下街の防犯カメラの映像には、信助がさまようように歩く姿が残されているという
(信助が所持していたPASMOカードには新宿駅→東京駅→大手町駅→早稲田駅への移動記録が残されている)。牛込署からその画像を見せられた母・尚美は愕然とする。


「息子が写っている白黒のコマ撮り画像を30枚ほど見せてもらいましたが、そこに写っていた信助は、Yシャツがズボンから飛び出し、服も髪もボサボサで、手に何も持たずに歩いていました。いつもきちっとしていた子でしたので、本当に驚きました。あんな姿を見たのは初めてで......」



当初は
■「お腹を触られた!」と大騒ぎした張本人の女子学生も、
警察からの聴取では「触られたかもしれない」「よく覚えてない」「顔は見ていない」と大幅にトーンダウン『 (最終的に被害届は出さず) 』。

暴行を振るった連れの男も含め、誰一人として"犯人"の顔を確認していないことが明らかになった。


しかし、↓『 新宿警察署は被害届を出させた 』↓
■新宿警察署は事件の1カ月後に原田信助を東京都迷惑防止条例違反(痴漢容疑)で
■2010/1月29日に書類送検(被疑者死亡で不起訴処分)をした。
さらに、
■東京地検も、不起訴記録の不開示を決定した。


事件のさらなる詳細は、
信助の母・原田尚美や支援者が作成したまとめブログなどを参照されたい
『目撃者を探しています!平成21年12月10日(木)午後11時頃新宿駅での出来事です。』
■原田尚美のブログ http://harada1210.exblog.jp/
●支援者によるブログ http://harada1210.blogspot.com/



すれ違いざまに厚いコートの上から「お腹を触る」という行為の不自然さや、
"被害者"の二転三転するあいまいな主張など、事件の発端からあまりに多い疑問点。
さらには、
信助が事件直後から自殺をするまでの約7時間を、
普段英会話の勉強に使っていたボイスレコーダーですべて録音していたため、


①現場にいた新宿駅職員や
②西口交番警察官、
③新宿警察署の刑事らによる理不尽な対応や取調べの内容も徐々に明らかになっている


この記録された音声は、
ニコニコ動画『痴漢と呼ばれ自殺~残されたボイスレコーダーは何を語っているのか?』で、
2010年6月と8月の二回にわたり放送され、ジャーナリストの江川昭子などが出演。
放送中に7,000件を超える署名が集まるなど大きな反響を呼んだ。


今回の事件における諸悪の根源が、
酔った大学生グループであることはもちろんだが、
組織対応として明らかな過ちを犯したのが『 新宿警察署 』である。


残されたレコーダーには、
警察が信助に外部と連絡を取らせず、
言葉巧みに西口交番から新宿署へ移送し、
不確かな学生の"証言"のみを根拠に痴漢と決めつけて追い込んでいく様が克明に残されている。以下にその一部を再現する。

 
↓* * * * * * * * * * *↓



信助(以下、信) 電話借りられませんか? お金は払いますので。

西口交番警官(以下、警) 貸すときは貸すので。そのときはお金もいらないので。

(信) すぐほしいんですよ。(携帯の)充電器がないので。

(警) 警察官は携帯を持ってないんですよ。

(信) いや、電話でいいですよ。これ(交番の電話)、外線につながってますか。

(警) つながるけど、一般の方には原則お貸ししないんですよ。



そして、「あなたは被害者なんだから、署に行って、刑事さんに話さなければいけない」と、
騙されて、パトカーで新宿警察署に連行されました。
(その後、「暴行の被害者」として「任意同行」という名目で新宿警察署に移動)
刑事=3名
原田信助=1名


刑事(以下、刑) 取り調べますんで。

(信) 取り調べって、どういうことですか? 私は任意でこちらにお伺いしたんですよ。

(刑) あなたはですね、痴漢の被疑者ということなんで。

(信) ちょっと待ってください! 被疑者というのはどういうことですか!?

(刑) 理由は、あなたがね、痴漢したんじゃないかって疑われているわけですよ。

(信) 私は暴行を振るわれて、警察の方が来たから交番に行って、警察署に連れて行かれただけなんですよ! 意味が分かりません!



(警察庁は09年6月の通達で、こうした事件に際しては「早期に被疑者の手指から微物採取を行なうこと」を全国の都道府県警に指示している。信助は、大学時代に友人が痴漢被害に遭った際に相手方の代理人と折衝した経験から、刑事に次のように切り出す。)



(信) 指紋とか取れないんですか?

(刑) どっからですか?

(信) どこ触られたんですか、その女性の方は?

(刑) 当然、服の上からですよね。

(信) じゃ、服の上から何か反応とれないんですか?

(刑) ん~、それはこれからの話だから。

(信) すぐとって頂きたいですね。

(刑) うん、これからの話になりますんで。

(信) いや、これからって......。



(取調べはこの調子で延々続く。気丈だった信助の声は、時間の経過とともに明らかに弱々しくなり、口数も減っていく)



(信) あの......。ニュースとか、ドラマで見るような、職場に知らされたりみたいな......。

(刑) そんなことはしない。ハハハハ(笑)!

(信) じゃぁ......。

(刑) ンフフフ......フフフフ......フフフフ(しばらく笑いが続く)


(中略)


(信) 冤罪で社会生活に支障をきたすような、ドキュメンタリー(番組)みたいなものが世の中にはあるような、そういう支障がある可能性は......。

(刑) だって被害届出すわけでしょ。

(信) 出しますね。

(刑) ねえ(笑)。出すんなら別にね。あとは話がつかなければ、お互いに裁判になるしさ(笑)。



↑さらに詳細な会話応答は、
↑原田尚美ブログに克明に記載されている=それを見て下さい↑
↑ * * * * * * * * * * * * * * * * *↑



憔悴した信助を嘲笑するかのように会話を続ける刑事は、
2009/12/11午前4時頃にようやく「取調べ」を終えると、
信助に署内の長椅子で仮眠をとるように伝える。
「目が覚めたら帰ってけっこうですから」という刑事の声。
その数時間後の午前5時40分頃、ボイスレコーダーには、
信助が目を覚まして立ち上がる靴の音、トイレで顔を洗うような水道の音が残っている。
アザだらけの顔を何度も洗ったのだろうか、
水流音は鳴っては止まり、止まっては鳴り、その音が何度も繰り返される。


(信助)「よし、行こう」


■2009/12/11/AM5時45分頃、ため息とともに小さくつぶやいた信助は、
タクシーの運転手に行き先を「新宿駅へ」と告げると、その約1時間後の、
■2009/12/11午前6時40分頃、早稲田駅のホームから、向かってくる電車に身を投じ、
自らの命を絶つ。

処理にあたった牛込警察署から、
遺品の一つとしてボイスレコーダーを渡された原田尚美は、
7時間にわたる信助の"最後の記録"を聞き終わり、悲しみと怒りで崩れ落ちた。


尚美が言う。
「とにかく先に病院で治療を受けさせてもらいたかった。暴行を受けたときに、頭を何度も強く打ちつけられていたようで、(「後日出頭」の)確約書に書いた息子の文字も後で見せてもらったのですが、震えるような弱々しい字で、文字も大きかったり小さかったり、斜めになっていたり......。言葉使いも時間とともにだんだんおかしくなっていますし、精神的に憔悴しきっていたというだけでなく、なにか障害のようなものが出ていたのではないかと思えてなりません」


一人息子を救いようがないほどの悲惨な形で亡くし、
そこに至る生々しい記録を聞かざるを得なかった母親の悲しみはいかばかりか──。



(日刊サイゾー/取材・文=浮島さとし)


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暴行を受け警察に連行された私大職員(原田信助当時25歳)自殺



「お腹触ったでしょ!」酔っぱらった大学生3人組(♀1+♂2=3)に暴行を受けた後、
警察に連行された私大職員(25)自殺


★事件概要■
2009年12月11日早朝AM6:40、25歳の男性(原田信助)が自殺した。
男性が死に場所に選んだのは、大学時代に通い慣れた地下鉄早稲田駅のホーム。
男性は前夜、JR新宿駅構内で酒に酔った女子大生と男子大学生2人に、
「痴漢」と呼ばれて激しい暴行を受けた後、警察に連行された。


またこの事件後信助が英語の勉強のために持ち歩いていたボイスレコーダーで
『暴行直後から釈放までノンストップで全てを録音していた』ことが判明した。


★被害者について
信助は2008年に早大商学部を卒業後、
宇宙開発研究機構(JAXA)に入社。
1年半後の2009年10月、都内の私大職員に転じた。

仕事に慣れ始めた2009/12月10日午後11時すぎに事件は起きた。
職場の懇親会の帰り、乗り換えのため、
新宿駅の15番線と16番線(山手線池袋方面と中央・総武線三鷹方面)のホームに向かおうと西口の北通路代々木側階段を上った際、

■すれ違った女子大生に
「腹を触られた」と訴えられ、仲間の男子大学生2人に階段から突き落とされた後、
馬乗りで暴行を受けたのだ。

信助は翌朝の、
2009/12/11午前5時45分、再び事情聴取に応じる確約書を書いたうえでようやく解放された。
だが、家には帰らず、新宿駅のコインロッカーに鞄を預けた後、JR中央線で東京駅へ。
さらに地下鉄東西線で早稲田駅へ向かい、

2009/12/11午前6時40分、早稲田駅で1本後の電車に身を投じた。

新宿署を出てからわずか55分後。警察は死んだ原田信助を痴漢容疑で送検し、
被疑者死亡で不起訴処分とした。
また、大学生たちの情報を一切教えず、東京地検も不起訴記録の不開示を決めた。


★警察の対応■
両者、新宿署に連行されたが、結局、女子大生は被害届を出さず解散。
原田信助も逮捕はされなかったが、23時から朝の6時まで拘束聴取。

暴行されたと訴える原田信助に、
刑事は「向こうも、暴行で訴えると言っている」
「その件は、後で訴えればいい、今日は痴漢の件だ」と。 
今日は、痴漢の件は正式決定ではないので、後日再出頭を確約しろと
朝6時前に釈放されるが、そのまま母校の早稲田大学のある地下鉄東西線早稲田駅で
飛び込み命を絶つ。



以下が警察との会話の一部である。
・「15番線と16番線の階段を登っていたら、
突然3段目か4段目から下に落とされ馬乗りになられた。
『おまえだろう、おまえだろう』と暴力をふるわれ、身の危険を感じ相手を反転させて、
自分が上になってもみくちゃの状態になった」
・「駅員には『暴行を受けたので助けてください』と言ったが、
『おまえだろう、おまえだろう』と一方的に詰め寄られた」
・「帰らせてください。暴行をふるわれているんですよ」
 
こんな信助に対し、警察はこのように発言している。
・「お前、詰め所に行けない理由があるんだろう」
・「女性の方は何であなただと言ったのかね」
・「女の方が確認しているんですよ」


★事件の問題点■
すれ違いざま「腹を触る」、そんな痴漢は聞いたことがない。
その点は、当日の取り調べで刑事も認めている。
にもかかわらず、死後一ヶ月して警察は原田信助を痴漢容疑で送検、
根拠は開示されない防犯カメラの映像・・・。

そもそも、原田信助は暴行の被害者。
警察にその認識があれば、当然、暴行で受けた傷の処置が最優先され、
「悲劇は起こり得なかった」のである。

しかし、実際は
口ではそんな痴漢は前代未聞といいながら、
実際は原田信助を痴漢容疑者と決めつけ、
彼の受けた暴行被害については聞く耳を持たない警察。

そして、「死人に口なし」と言わんばかりのその後の対応。
原田信助の自殺を知った警察が、
冤罪で連行した青年がその直後自殺では警察はまずい立場になるとして、

↓↓↓

原田信助に、
「痴漢の濡れ衣」を着せようと新宿警察署は画策。
■あわてて大学生らに新宿警察署は『 被害届 』を出させ、
■結果的に被疑者死亡での不起訴としたのではないか・・。
疑念は拭えない。

↑↑↑


荒川区議員の小坂曰く、
日本の司法は「疑わしきは罰せず」です。
「不可解な状況で痴漢被害を受けた」との女性の「証言」だけで、
痴漢と決めつけられる筈も有りません。
手に繊維が付着しているかどうかの検査も警察は怠っており、証拠は有りません


現在、信助の母親原田尚美は駅頭での目撃者捜しと同時に、
これまで触れたことのなかったパソコンやインターネットを独学で学び、ブログを開設。
原田信助が使っていた携帯電話を連絡先として情報提供を呼びかけている。
■原田尚美ブログ http://harada1210.exblog.jp/



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■記事Bその1■

新宿駅痴漢冤罪暴行事件
原田信助の母親尚美が警視庁を相手取り提訴へ


大学職員の原田信助が2009年12月10日PM11頃、JR新宿駅にて、
通りすがりの大学生グループに痴漢の容疑をかけられて激しい暴行を受けたり、
警察による冷徹な取調べが理由で自らの命を絶った、

いわゆる「新宿駅痴漢冤罪暴行事件」
事件の背景に新宿警察署のきわめて強引な捜査や、
現場となったJR東日本の不適切な対応があったことは既報の通りである。


警察の取調べに強い疑問を持った遺族の母・原田尚美は、
裁判所を通して当時の警察の取調べ調書の開示請求を行い、
その調書が2010年12月27日に開示された。

この結果、痴漢の「被害者」を名乗っていた女子大生が、
信助を犯人と「見間違えた」と証言していることが判明している。

新宿警察は被害者の証言もないままに信助を痴漢犯として書類送検したことになり、
組織的な犯人でっちあげの可能性が極めて高くなった。

そんな中、母・尚美は警察庁を相手取り、国家賠償請求の提訴をこのほど決断。
■その記者会見が2011/4月26日15時より、
■弁護士会館(東京都霞ヶ関)5階で行われるという。

「明るい警察を実現する全国ネットワーク」(以下、警察ネット)代表で、
今回の弁護団の主任弁護士を務める清水勉弁護士は、
信助のような冤罪事件は「決して例外的なものではない」とした上で、
警察の日常業務のやり方に構造的な原因があると指摘する。


「信助さんを取り調べた警官が特別にひどいという話ではなく、普段から警察の取調べというのは人権に配慮がなされているとは言えない状況です。仮に内部で誰かがそれを問題提起しても、『人権配慮なんて必要ない』『ミスをしたらもみ消してやる』というのが今の警察組織のスタンスです。警察の側にもひどいことをしているという自覚はあるのですが、『とにかく検挙率を上げろ』という空気の中で、警官たちは仕事をしている。その延長上にあるのが、足利事件であり、原田信助さんのような冤罪事件なんです」


日常的な職質や任意の取調べで酷い目に遭わされ、しかも不起訴になるようなケースは法廷ですら争われることもなく、ほとんどすべての人が泣き寝入りしているのが現状だというのだ。警察白書の数字に出てくる検挙数の中には、かなりの部分でこうしたケースが含まれていると清水勉弁護士は言う。

「今回は信助さんが、ICレコーダーで警察とのやりとりなど、かなりの部分を録音していてくれたわけですが、死ぬ間際のギリギリまで録音していたというのは、彼が『なんとかしてくれ』と我々に問題提起をしたのだと受けとめています。『警察ネット』では警察のあり方について、警察の側からも相談を受けているわけですが、その立場から考えても、今の警察の仕事の仕方には大きな問題があると言わざるを得ない。そのことを今回の裁判を通してしっかりと提起しなければならないと考えています」

不適切な警察の取調べが日常的に行われ、これにより冤罪が構造的に生み出され続けているとすれば、信助の事件はすべての日本人にとって他人事ではない。今後の裁判の行方が注目される。

(日刊サイゾー/文=浮島さとし)


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■記事Bのその2■

原田尚美のブログより、記者会見全文コピペ


平成23年4月26日(2011/4/26) 
【記者会見の趣旨】

私の息子原田信助(当時25歳)は、
平成21年12月10日午後11時頃、帰宅のため、新宿駅構内を通行中に、見知らぬ男子大学生より、突然階段から引き落とされ、暴行を振るわれました。
信助が、その大学生の友人の女性に対して「お腹を触る」痴漢行為をはたらいたというのです。
男子大学生から殴られ続けた息子は、何とか抵抗して体制を反転し、
「今、暴行を受けている」と、携帯電話から110番通報しました。


その後、女性に「痴漢」と言われて駆けつけた2人の駅員に、息子は襟首を?まれたり、突き飛ばされたりしました。駅員の通報で、新宿駅西口交番から駆けつけた3人の警察官に
「任意同行」と称されて、交番に連行された後拘束され、
私に電話をすることも許可して頂けませんでした。

そして、「あなたは被害者なんだから、署に行って、刑事さんに話さなければいけない」と、
騙されて、パトカーで新宿警察署に連行されました。

息子は、新宿署の刑事に、
「痴漢容疑の取調べだ」と言われて、初めて自分に痴漢の容疑がかけられていることを知りました。
息子は、自分が一方的に暴行を受けた被害者であることを説明しましたが、
3人の刑事は、息子の被害の訴えにメモでさえ取らず、
息子を痴漢の被疑者として、朝4時頃まで取調べを行いました。


その結果、信助は自分の無実の訴えが通り、後日新宿署に暴行の被害届を提出することになったものの、刑事の「お互いに訴えあえ」「証人として、駅員さんに話を聞く」等の言葉に、自分の前途を悲観して、また長時間の取調べに依り、心身ともに疲れ果て、翌朝自殺に追い込まれました。

さらに警察は、亡くなった信助を、痴漢の被疑者と認定して書類送検し、
一方で、息子が必死で訴え続けていた暴行事件については、捜査を行わないまま、書類送検も行わず、事件として終わらせてしまいました。

私がその夜、息子の身に何が起きたのかを詳しく知ることができたのは、
息子が英会話の勉強のために持ち歩いていたボイスレコーダーを、私に残してくれていたからです。

新宿西口交番と新宿警察署の取調べの一部始終を録音した息子のボイスレコーダーには、
突然の暴行によって傷ついた身体の手当てもされず、
自分は110番通報した被害者だと説明しても、訴えを取り上げず、電話も許されず、身に覚えのない痴漢の被疑者として一方的に追及され、どんどん衰弱していく息子の声が収められています。

息子の人生は、希望に向かって歩み始めたばかりでした。
息子は意志の強い努力家で、JAXAに入る時には、一日15時間も勉強していたことを、親友の方から教えて頂きました。
息子がいなくなり、初めてむすこの部屋に入りましたら、部屋中本がいっぱいで、資格試験の参考書が積まれていました。
事件の前月には情報処理技術者の資格も取得していました。他にもまだまだ人生で挑戦したいことが沢山ありましたし、
「将来、早稲田大学に奨学金をつくりたい」などの夢もありました。

昨年の2010/12月27日の警視庁通信指令本部の証拠保全の検証において、
「お腹を触られた」被害を申告した女性が、
事件の翌朝前には、「(息子は)人違いだった」と証言していた事実が明らかになりました。
人違いであることが判っていながら、

■2010/1月29日に、息子を、「東京都迷惑防止条例の被疑者」として、
■書類送致した新宿署の行為は、犯罪と言わざるを得ません。


この度、国賠を提訴したのは、息子の名誉の回復のためと、この国の警察の捜査によって、息子のような被害者を二度と出してはいけないという思いからです。どうぞ、皆様のお力を私にお貸しください。よろしくお願いいたします。

4月30日は息子の誕生日でした。
生きていれば27歳になっていたはずでした。
今年は息子に「国賠を提訴した」ことを伝えることができました。
今年は息子に「お誕生日おめでとう」と言うことができました。

昨年の2010/12月11日に、同僚の方々から頂いたドラセナ・サンデリアーナは、
今日も元気に葉を伸ばしています。
2011/1月11日に頂いた猫柳も帽子を脱いで、可愛い姿を見せてくれています。
息子の名誉を回復する第一歩を祝福してくれているかのように見えます。
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■主任弁護士を務める清水勉(東京都四谷の事務所にて)
90年代の薬害エイズ訴訟では中心的役割を担い、
その経過が人気漫画『ゴーマニズム宣言』にたびたび登場したことでも知られる。
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