年女
2015-01-13 | 日記
レインボーのひつじちゃんは、娘が描いた年賀状です。
えらく気に入ったので、投函しないで机に飾ってあります。
未年。わたくし年女です。
なんとも月日の経つのが早いこと。
12年前の年女の時は、娘は3歳児。
今年受験生の娘など、まったく想像できなかったわ。
12年前、育児どっぷりの日々の記憶をしみじみ・・思い出します。
一番の思い出話。
娘はなんと!3歳のお誕生日まで、おっぱいを飲んでいました。
そんなチビッ子まわりに一人もいなかったし、話に聞いた事もなかった。
3歳のお誕生日の日に助産婦院で断乳式をして、
本人納得の上、おっぱいにバイバイをしました。
新米ママの時に育児で一番影響を受け、食育の大切さを教えて下さった、
おっぱい育児の師・山西みなこ先生の教えでは、
とにもかくも、ベビーの気が済むまでおっぱいを与えよ!でした。
食育の原点であると。
先生曰く、
人生一番最初の生命と本能の執着であるおっぱいを、
もっともっと欲しい!という気持ちの途中で辞めるから、
口寂しいが、ずーっと生涯残るとか・・。
(タバコ産業大盛況が良い例です。)
極端な話、5歳くらいでも全然あげてもいいし、
辞めなければ母乳はでるとの事でした。
私は人体実験が大好き。
しかも、せっかく今しかできない事だし、
3歳までの食育として試してみようと、チャレンジしました。
実験結果報告。
娘はたしかに、欲と執着心がほぼ無い。
一人っ子なのに依存心も無い。
100パーセントの自己肯定感に満たされており、慈悲深い。
沢山の引っ越しと転校が続き、しんどかったと思うけど、
自分なりに、うまく納めています。
母親の私より人間の器が断然おおきく、精神的に強い。
人体実験は今のところ、まあまあの結果です。
3年間、ドラキュラ・ベビーの下僕生活をクリアしただけの事はありました。
しかし、今の私には同じ事は絶対にできない・・と思う。
3年間も!おっぱいの元の血液を与え続けて、
その間娘が食べた物は、白米のオニギリとタクワン、ゆでた野菜ぐらいでした。
全ての栄養を母乳から吸収して、まるまる太っていました。
私の食生活は、命の責任感から我慢の連続。
慢性輸血状態で、体は疲れやすくボロボロ。
母の体のメンテナンスが追いつかない・・涙。
我慢のストレスで、断乳後の反動がヤバかった。
おっぱい育児の師・山西先生からは、
あなたの体験面白いから、是非とも本に書きなさい、
と進められるくらい、極端な新米ママでした。
無我夢中。身をもって体験した事です。
今も一番の教育方針は食育です。
子供のモチベーションが上がるご飯を食卓に出すと、
何も言わなくても、素直に自分からお勉強します。
巷の知識で良いと云われる食べ物は嫌いみたいです。
これも散々失敗して経験しました。
押しつけは よろしくなかった。
魂と心が欲しているものって、ありますよね!
それを学ぶための修行のようです。
まだまだ修行の道は続くけど・・。
年が明けて12年間を振り返って、
いまの生活について考え込んでいます。
「いま」の連続が「いま」の現実です。
自分に実力が無いという実感をひしひし感じております。
自分が納得する美しい生活。
これが節目である今年の目標かな?
新しい気分で創った。ベビーパール。
3連でブレスレットにすると、とても素敵。