中日のノリこと中村紀洋選手が笑顔で契約を更新したという記事を目にしました。
きっと人間的にも大きく成長されたのではないでしょうか。がんばってほしいです。
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◆「命をかけて野球がでけへん」
今年1月。
中村選手はオリックスが提示した8000万円を見て「命をかけて野球がでけへん」と発言。その後、両者は折れることはなく、結局、けんか別れの自由契約に。
自ら球団を去った形になった中村選手に、他の球団は声をかけませんでした。
無職になったわけです。
3月。
中日の落合監督から「どうしても野球、やりたいか」の電話をもらい、頭を下げて「はい」と答える中村選手。
丸坊主、背番号205。年俸は前年の2億円から600万円へ。
春季キャンプには、啖呵をきって席を立った2ヶ月前の姿勢は無く、高校生のように真剣に汗をかく純粋な野球選手中村紀洋の姿がありました。
そして開幕。
瞬く間にチームの主力に躍り出し、日本シリーズではMVPを獲得。
まさに人生が凝縮された1年でした。
◆これからの中村選手は強いよ
自信を持つことは大切です。
中村選手も自信を持ってプレーした結果、自分の働きに対する報酬が少ないと感じ、プライドが傷つけられてこのような態度に出たのかもしれません。
でもそれを通り越してしまうと天狗、横柄と見られてしまいます。日本人は、アメリンカンドリームには好意的でも、日本人の成り上がりは許さない風土・・・。
この1年の彼の経過は、
《天狗→謙虚→野球ができる、仕事ができることの喜び→復活》
というサイクルだったと思います。
辛酸をなめた1年。地獄と天国を経験した1年。
1年でこれだけの経験をする人は、そうはいないでしょう。
これからの中村選手、そして引退した後の指導者としての中村さんに注目です。
がんばって!
《中村選手の年俸推移》
1992年(18歳) 近鉄 430万円
1997年(23歳) 近鉄 6000万円
2000年(26歳) 近鉄 1億4000万円
2002年(28歳) 近鉄 5億円
2005年(31歳) ドジャーズ 5200万円
2006年(32歳) オリックス 2億円
2007年(33歳) 中日 600万円
2008年(34歳) 中日 5000万円
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◆「命をかけて野球がでけへん」
今年1月。
中村選手はオリックスが提示した8000万円を見て「命をかけて野球がでけへん」と発言。その後、両者は折れることはなく、結局、けんか別れの自由契約に。
自ら球団を去った形になった中村選手に、他の球団は声をかけませんでした。
無職になったわけです。
3月。
中日の落合監督から「どうしても野球、やりたいか」の電話をもらい、頭を下げて「はい」と答える中村選手。
丸坊主、背番号205。年俸は前年の2億円から600万円へ。
春季キャンプには、啖呵をきって席を立った2ヶ月前の姿勢は無く、高校生のように真剣に汗をかく純粋な野球選手中村紀洋の姿がありました。
そして開幕。
瞬く間にチームの主力に躍り出し、日本シリーズではMVPを獲得。
まさに人生が凝縮された1年でした。
◆これからの中村選手は強いよ
自信を持つことは大切です。
中村選手も自信を持ってプレーした結果、自分の働きに対する報酬が少ないと感じ、プライドが傷つけられてこのような態度に出たのかもしれません。
でもそれを通り越してしまうと天狗、横柄と見られてしまいます。日本人は、アメリンカンドリームには好意的でも、日本人の成り上がりは許さない風土・・・。
この1年の彼の経過は、
《天狗→謙虚→野球ができる、仕事ができることの喜び→復活》
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辛酸をなめた1年。地獄と天国を経験した1年。
1年でこれだけの経験をする人は、そうはいないでしょう。
これからの中村選手、そして引退した後の指導者としての中村さんに注目です。
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1992年(18歳) 近鉄 430万円
1997年(23歳) 近鉄 6000万円
2000年(26歳) 近鉄 1億4000万円
2002年(28歳) 近鉄 5億円
2005年(31歳) ドジャーズ 5200万円
2006年(32歳) オリックス 2億円
2007年(33歳) 中日 600万円
2008年(34歳) 中日 5000万円
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やはり金髪で横柄な中村選手より、今の方がかっこいいです。
僕も中村選手は好きで、応援しています。(金髪時代も)
ドジャースで認められず、オリックスで怪我の期間も年俸の査定対象にされ、イライラが溜まっての退団だったんだと思います。
オリックスに遠慮して手を挙げなかった他球団の中で、手を挙げたヤクルト・中日はえらいと思いますが、阪神に来てほしかった・・・。
単身赴任のYHさん
いつもコメント有難うございます。
中村選手もいろいろと考えた1年だったでしょうね。
でも、好きな野球を、自分のスタイルでしつづける。
これがよかったのだと思います。
自分を信じる。
そう思います。
(^○^)
またお立ち寄りください。
ぽちッ、ポちっ。
自分の力で最高の年にした中村選手は偉いですよね。
自由契約に至った経緯は経緯として、
その結果を謙虚に受け止めて初心に返るというのは、
なかなかできないなと思いました。
我が身を振り返った時にすごいなと。
私も頑張らなくちゃと思いました!
ポチッ
あの豪快なバッティングスタイルを継承した選手を育て上げてくれることを期待したいですね
ビックサイトにはホカロンを持っていきました。
寒さはしのげました。
ほんと中村選手のように、1年でこれだけの経験をする人は、そうはいないでしょうね。
「謙虚」な姿勢は忘れずにいたいものです。
中日が優勝した舞台裏で、こんなドラマがあったのですね。
どん底に落とされても腐らないのが人生の分かれ目かもしれませんね。
そういった意味では、一見華やかに見える一流選手はみんな挫折やどん底を克服しているので、他の人にはないパワーがあるのかもしれませんね。
とっても刺激的な記事でした。
おうえんぽちっ。