しろみけちびまいにち

生活全般について呟きます。最近は、双極性障害二型について書いていることが多いです。

ワールズエンド

2014-04-30 22:53:55 | インポート
朝から雨で調子ワルイ。 借りてる「めまい」を観ようとしたけど、こっちがめまいを起こしそうになったんではじめのほうだけみてやめる。

だけど今日は昼からシネルーブル池袋で「ワールズエンド----酔っ払いが世界を救う!」を観に行くのだ! スタートレックでも大活躍したサイモン・ペグが脚本、主演、そしてマーさん(マーティン・フリーマン)も出演となれば行くしかない。?


90年代に高校生だった、男友達五人が、いまではすっかりアラフォーの二十年後、リーダーのゲイリー(ペグさん)が招集をかけて、一晩で12軒のハシゴ酒リベンジをしに故郷に帰る、という話。

そしたらなぜかそこの住民は人類じゃなくなっていて、酔っ払い五人が世界を救うための戦いがなぜかはじまる………は?すいません、ビール持ってきて~!素面でみたらもったいない、いーかげんでハチャメチャな話で、面白かったぁ!

マーティンの頭が半分なくなったまま終わってるし、とりあえず十二軒のハシゴが成功したところでハッピーエンド!! ごきゅごきゅっと、五人で一気にビールをうまそ~に飲み干すシーンは圧巻だった。 夜の回を飲みながら観たかったなあ!


というわけで、観たあと早速ライオンで昼間からビールを飲む!今観た映画にひたりながら飲み干す!美味かった。*\(^o^)/*


でも、鬱病の薬とアルコールが相性良いわけなく、家に帰ってからぐったり。映画のなかのアラフォー男たちも、翌日はきっとこんなカンジだったに違いない。 時は無常だ。五人はもう一回集まって12軒のハシゴ酒ができるだろうか。 ゲイリーをのぞくそれぞれ、元の仕事に戻って働いている。(マーティンは顔に包帯巻いて(^_^;))そうしながら、今度はいつゲイリーの招集がかかって、12軒のハシゴ酒(ワールズエンド)がかかってもいいように心の準備をしてるとみた!!

おわり


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コリオレイナス

2014-04-27 23:27:42 | インポート
ナショナルシアターライブの今回の出し物は、シェイクスピアの「コリオレイナス」。 はじめてのコレド室町で観る。

私はなぜか直前までギリシャ悲劇の「オイディプス王」だと思い込んでて、はじまって関係者のインタビュー映像で気がつく(^_^;)。

それにしても、久しぶりのシェイクスピア、日本人のは今まで何本も観てるけど、やっぱり本場もんは違うなあ!! 訓練された無駄のない動き、わかりやすく冗漫に感じない台詞(上演時間休憩入れて3時間)。面白かった!!

とーっても狭い舞台(青山円形劇場ぐらい?)に、必要最低限のセット。客席も近い近い。だから余計スピーディーに見えたのかも。

ただ衣装が現代風なんだか古代ローマなんだかよくわからないところがちょっと気になった。トーガを着ろとは言わないけど、ふつうのチノパンみたいなのに短い布羽織られても、どこの時代の人で何をしたいのかさっぱりわからない。まあ、そこを曖昧にする趣旨だったのかもしれないけど、私はちょっと違和感あった。


でも、トム・ヒドルトンの涙は美しかった? やっぱりワタシ、シェイクスピア好きだわー、と改めて思った夜^_^

帰りも電車座れてラッキー?


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誕生日に観た映画

2014-04-25 21:18:28 | 映画

「ベニスに死す」DVD観た。

粗筋はWIKIで調べてから観た(笑)
でも、風景美しく、時代の雰囲気でてて、きれいな映画だった。
老芸術家が、旅先で少年を一目見て愛してしまうのは、老人の人生の最後の試練のようで見ていて切なく、辛い。
少年は意味ありげに(老人の目を通しているので実際には分からない)老人を振り向いて見せ、海水浴ではあますところなく若い肢体を晒す。
そのたびに老人は、みっともないほど、簡単に、少年の術中に落ちる。
文学作品を映画化するとこうなるのかな。退屈になりそうなときに音楽やら当時の風俗やら出てきて飽きさせないつくりにはなってたと思う。

余談:誕生日に一人で観たDVD。夫は飲み会でまだ帰ってこな~い。
DVD借りるついでにケーキ買ってきて、さっき一人で食べた。以上お誕生会終わり。旨かった。


「悪名の館」読んだ

2014-04-25 15:21:10 | 本と雑誌

「悪名の棺 笹川良一伝」工藤美代子著(文庫)を読んだ。


表紙からあのアクの強い顔がどんとこちらを睨んでくるようだ。

笹川良一といえば、「人類みな兄弟」のCMを子供の頃みたことを思い出すが、
両親が、「この人はこんな良いことを言っているけれどもいろんな事件の黒幕なのよ」と言っていたのを思い出す。

そんな人のひとりだと思っていたので、この本を読んで驚いたことはたくさんある。

まず右翼の大物。
戦前に「国粋大衆党(昭和17年に国粋同盟と党名変更)総裁に就任。結党スローガンはこの時代に数えきれないほど結成された右翼結社のそれと大差ない。
「三井財閥のドル買い批判、満州国即時承認、暴支膺懲(横暴な中国を懲らしめる意)、国際連盟脱退、国体明徴・天皇機関説批判、親独伊策、汪兆銘南京政府承認、南洋進出ーーー。(p68)


そして戦後自らはA級戦犯容疑にかけられたが不起訴で釈放。だがB,C級戦犯として、いわれのない容疑で巣鴨プリズンに取り残されている人たちの「家族援護と釈放運動を火ブタを切ったのは笹川良一氏である」(東京新聞)(p305)


女性に対してはちょっと考えられないくらいの艶福家であり、伝記に華を添える。
自分の家族のことより、常に巣鴨プリズンへの物資救援、ハンセン病対策など社会福祉に全力を尽くしてきた人だった。

この本を読む限り、文芸春秋その他の当時のマスメディアが、なぜこぞって彼を「悪の黒幕」として書き立てたのか、理解出来なかった。


笹川良一氏は、相場に強くお金と相性が良く、何をするにもすぐに行動に移せる財力があった。それを全て福祉関係に使ってしまうので、ふだんは粗食、家族は苦労したと言う。


新聞、雑誌で叩かれても(表面上は)どこ吹く風で相手にしなかったらしい。


彼は善意でもって、善行をなしていたのだから。

そして、善意=正しいこと ではなく、善意だけで何かを成し遂げるということは、世の中からは胡散臭く見え、善意で世の中を変えることはできない、ということが、この本を読んで学んだことのひとつだ。


きっととても良い人であったのだろう。
そして巨額の財力がついてきた。
巣鴨プリズンで苦しんでいる人のことを考え、出来ることを実行することはイコール戦争を始めた人も支えるということだ。
それが、再び戦争を齎した方向に戻そうとしているのでないか?と、当時の新聞やマスコミは危惧したのではないか。


悪意はないが、それ(戦争)を齎した歴史に対して、日本の選択は正しかったのか、そうでなかったのか。
彼はその精算をしていないように見える。


悪意が悪とは違うように、善意は正義ではない。

彼の思想、行動は、最後まで、日本は他の国を統べ、そのうえでの「人類みな兄弟」に思える。


見えない弱者を踏みつける「善意の闇」をこの本から感じた。



以上おわり。あまり理解が及ばなくて読みにくかったらすみませんです。


ちびのこと

2014-04-25 11:54:24 | ペット

今日はワタクシの誕生日で、ここ何年か、自分の誕生日には、チビがはじめてきた日のことなど思い出します。たぶん、チビと私は誕生日が近いのです。


せっかくなので、その前にチビの母猫、トラの話を。
2010年秋頃、トラとシロにそっくりなきょうだいでうちの庭にやってくるようになったんだけど、とにかく警戒心が強くて(あのシロよりも!)そして、体がものすごく小さかったんだけど、ものすごく度胸があって、いつも一緒にいたチビシロ(私がシロと区別するためにつけた名前)を守ってた。自分よりずっと大きな猫にもシャーッと立ち向かってたのをみたことがある。


ゴハンは、トラの前で袋のまま皿に盛ろうとすると、袋ごと手から奪いとって行く。ものすごい殺気だった。

動物を飼ったことのない私は、思い余ってペットショップの店員さんに相談してみたりした。そういうケースは、近所で虐待に合っている可能性があります、とのことだった。
とにかく人間には一切心を許さず、そのままゴハンをあげると怪我をするので、ハンズで皮の手袋を買った。


そしていつも一緒にいた二匹は、いつの間にか分かれ、チビシロは縄張りをトラに明け渡していなくなった。(でも、時々近所でみかけた)
本当のことを言えば、まずこの二匹を引き取りたかった。


でも、同じ頃にシロもうちにくるようになり、トラ、チビシロと違ってとにかく時間ぴったりに現れる美猫シロを、なんとかうちに保護できないかと思うようになる。


そんで、2011年初頭はシロを保護するので手一杯でバタバタ。シロは外にいたときはそこそこ一緒にオモチャで遊んだりしたのに、保護してみたら、全然なつかないじゃないか!!(>_<)今に至るまで・・・^_^;


さて、2011年4月、トラをなんとかしてTNR(不妊手術後、元いた場所に返す)しなければと思いつつ、警戒心強くおそらく自力では捕まえられない(シロもそうだった)ので、ボランティアの方に、また捕獲器をお借りしてトラを待ち構えていたのが、4月になってから。

そして4月11日のメモにこうある。「トラのお腹が大きくなってるような気がする・・・」

トラは小さい猫だった。気がつかなかった。その翌日から、トラはうちにゴハンを食べにこなくなり、3~4日姿を見なかったと思う。

そのあとは、ふつうにゴハンを食べにきていたが、あらまあ、おなかがぺったんこ。
どこぞで子供を産んできましたね、トラさん(>_<)。
てことで、ボランティアの方に捕獲器を返した。


そうしたら、6月25日朝、トラが、仔猫二匹連れてうちの庭に来た。
チビと、クロ(真っ黒だったので)と私が名づけた。

それからは、ほぼ毎日のように子猫連れでやってきて、うちにゴハンを食べに来た。


トラは本当に二匹の面倒をよく見ていた。
チビが庭で遊んでいるときに、私がちょっと庭に行こうものなら「んに”ゃ”~~~~!!!」と母さんを呼ぶ。そうすると、どこからともなく「ハイハイ」って感じで現れてチビの側に寄る。


ゴハンを出しても、チビとクロがお腹いっぱいになって、皿から離れるまで絶対に自分は食べ始めない。じっと二匹と外界の様子を見ている。

夏になって、チビとクロは私が用意した箱に入って遊ぶようになり、チビに至っては腹を出して大の字になって寝るようになる。

チビはかなり大きくなっても、まだトラのおっぱいを吸いたがる超甘えん坊だった。トラは請われるままに、あげていた。

とにかく、この親子は結束が強かった。いつも三匹一緒だった。トラが具合悪そうなとき、私が近寄ろうとすると、クロはトラを守るように前に立ちはだかった。あの小さい体で。



でも、10月も半ば過ぎになると、いよいよ「子分かれ」が始まった。
トラにチビやクロが近寄ると、怒って追い払う。トラのいる箱にチビが甘えて一緒に入ろうとすると、叩く。


こうして、野良猫として一人前にしていこうとしているトラ。

クロは比較的すぐに子別れしていったが、チビはなかなか子別れできなくて、うちの庭に居てトラがやってくると、(叩かれるので)怯えて後ずさりしながらも絶対そばから離れようとしなかった。
(私は、「がんばれ、チビ!」と心から応援してた。まさかそのときチビがうちの一員になるとは思ってなかった)


そうこうしているうちに、冬になり、チビもうちの庭にこなくなった。
どうしてるかなあ、と思ってたら、うちの裏の駐車場で、他の猫やクロと一緒に居るところを見てホッとしたりしてた。


うちは、2011年夏にはミケが我が家に加わり、さすがにもう猫を飼う予定はなかったのだが、真冬の寒い日、何日か、チビが現れてゴハンを食べにくるようになった。
許可もしてないのに家に入ってくるようになり、ある日、部屋から動かなくなった。
このあとはプロフィールに書いたとおり。



ちなみに母猫トラは、相変わらず時々うちの庭にゴハンを食べにきており、次の年にはなんとうちの段ボールで仔猫を四匹も産んだ。すぐにボランティアの方に連絡して「どうしましょう~」と相談。(相談の内容は秘密)そうこうしているうちに、ジャスト一週間で、トラは四匹とも連れていなくなった。



トラはそれ以来、うちの庭には来ていない。
どうしているのかな。
まだ生きているかな。
都会の野良猫は頻繁に住む場所を変え、餌場や縄張りも変え、たくましく生きている。


もう一匹、とても気になっている猫がいるが、ここでは書かない。


とにかく、チビと私は誕生日が近いということを書きたかった。
3歳だぞ、チビ。人間で言えば高校生くらいなのかな。今はミケにべったり甘えている。
おそれを知らずにシロの猫ベッドでぐーすか寝てたりもする。

あのとき、トラを捕まえて不妊手術しなくて本当によかった。
トラ、こんないい子を産んでくれてどうもありがとう。

201404251