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かくも無名な木食上人ではありますが、井月の生きた天保から幕末にかけて江戸に出たとすれば、木食但唱の名を必ずや耳にするはず。・・芝下高輪に如来寺という寺があります。
品川の泉岳寺の方が有名でしょうけど、そのすぐ南隣です。泉岳寺は討ち入りをした赤穂浪士の面々の墓所ですが、如来寺は高輪の大仏さんと呼ばれ、丈六の五智如来像が安置されていました。今は西大井に移された如来寺ですが、高輪の如来寺は寛永十二年(1635)木食但唱によって創建されました。この木像五智如来像は坐像で立てば丈六のものが五体あり、なんと伊那の山中で作られました。
但唱年表の続きは、
寛永2(1625)45 駿河国富士山麓に山居する。
伊豆三島に移り、寺を建立して千体仏を納める。
富士山麓の須走村に堂を建て千体仏を安置する。
駿河口大宮の信誉上人の寺に千体仏を納める。
飯田の光明寺に千体仏を安置する。
房州清澄に千体仏を安置する。
上総国尾瀧の観音寺に千体仏を安置する。
越後、信州松本、同国亀倉、佐州、如来寺に千体仏を安置する。
寛永3(1626)46 弟子の唱嶽長音に教えを授ける。
寛永8(1631)52 信州上穂村(現駒ヶ根市)に安性寺を建て、本尊阿弥陀如来像を造立する。
都合2万体を供養し、所願成就のため五智如来を造ることを志す。
寛永9(1632)52 信州伊那の山吹村小横沢(長野県下伊那郡松川町)を拠点とし、弟子とともに五智如来像を造る。
寛永12(1635)55 五智如来像を天竜川から江戸の霊岸島[東京都中央区新川]に船で運送する。
7.- 如来寺を開創し、五智如来像を安置する(江戸名所記)。
・・但唱作仏は千体仏を重ねて都合二万体が本願のようです。
○千体仏と細石刃
…伊那宝泉寺
…浮見堂千体仏
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