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>木食  2017-04-22 11:03:00 | 日記

2025-04-29 17:21:51 | 日記

 

かくも無名な木食上人ではありますが、井月の生きた天保から幕末にかけて江戸に出たとすれば、木食但唱の名を必ずや耳にするはず。・・芝下高輪に如来寺という寺があります。

品川の泉岳寺の方が有名でしょうけど、そのすぐ南隣です。泉岳寺は討ち入りをした赤穂浪士の面々の墓所ですが、如来寺は高輪の大仏さんと呼ばれ、丈六の五智如来像が安置されていました。今は西大井に移された如来寺ですが、高輪の如来寺は寛永十二年(1635)木食但唱によって創建されました。この木像五智如来像は坐像で立てば丈六のものが五体あり、なんと伊那の山中で作られました。

 

但唱年表の続きは、

 

寛永2(1625)45 駿河国富士山麓に山居する。

伊豆三島に移り、寺を建立して千体仏を納める。

富士山麓の須走村に堂を建て千体仏を安置する。

駿河口大宮の信誉上人の寺に千体仏を納める。

飯田の光明寺に千体仏を安置する。

房州清澄に千体仏を安置する。

上総国尾瀧の観音寺に千体仏を安置する。

越後、信州松本、同国亀倉、佐州、如来寺に千体仏を安置する。

寛永3(1626)46 弟子の唱嶽長音に教えを授ける。

寛永8(1631)52 信州上穂村(現駒ヶ根市)に安性寺を建て、本尊阿弥陀如来像を造立する。

都合2万体を供養し、所願成就のため五智如来を造ることを志す。

寛永9(1632)52 信州伊那の山吹村小横沢(長野県下伊那郡松川町)を拠点とし、弟子とともに五智如来像を造る。

寛永12(1635)55 五智如来像を天竜川から江戸の霊岸島[東京都中央区新川]に船で運送する。

7.- 如来寺を開創し、五智如来像を安置する(江戸名所記)。

 

・・但唱作仏は千体仏を重ねて都合二万体が本願のようです。

 

○千体仏と細石刃

 …伊那宝泉寺

 …浮見堂千体仏

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