子育てカウンセラー・作家:山本勝美ブログ「子育ておしゃべりコーナー」

子育て・心理カウンセラー山本勝美のブログ。子育て・介護・障害者などの悩み相談も。

ショートステイに従事して

2008年09月21日 | Weblog
皆さんこんにちは。

今日は雨です。
昨日はあんなにきれいな青空に恵まれたのがうそみたいです。
この所急に寒くなったかと思うとまた急に暑さがぶりかえってきたり・・・
とても不安定な気候ですね。
お互いに体調を崩したり、風邪を引いたりしないよう気を付けましょう。

さて、ぼくは今ちょっと一つの作業に集中していて
申し訳ありませんが、ブログに何かを投稿するゆとりがありません。
ぼくはやはり何かテーマをめぐって
筆を振るうたちでして、
息子の言うように、フランクに日誌みたいな書き方で
一言書けばいいんだというふうにはなりません。

それにも関わらず、毎日のように
ブログをチェックして下さる方々が幾人もいらっしゃいます。
ありがとうございます。

そこで思い付いてのですが、
これまでに何かに載せたぼくの文を
掲載させていただこうと思うのです。
少し長いですが、
ぜひご一読下さいね。
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    ショート・ステイに従事して


 いま「この年になってなんて幸せなんだろう」と思っています。
そう、もうすぐ70回目の誕生日を迎えようとしているのですが、
タイトルの通り、約2年前から知的障害者を対象としたショート・ステイ、
つまり短期入所施設で仕事をするようになりました。
これまで心理相談の仕事に従事して40年、
保健所の乳幼児健診や精神病院などでたずさわってきましたが、
これも充実した半生でした。
おっと、もう「半生」なんて言ってられませんねえ。
とっくに折り返し点は過ぎていますから。
でもまだ「晩年」と言うには少し元気が良過ぎます。
それはともかく、ショート・ステイに従事してみて、
従来の仕事で接してしてきた障害のある人たちと、
全然違った関わり方をしています。
いまそんな新鮮な体験の連続です。


     ショート・ステイって

 ショート・ステイについては多くの方がご存じとは思いますが、
ここで簡単に説明しておきましょう。
 障害のある人たちが地域の中で在宅生活を送るための
支援システムと言えるでしょうか。
施設には違いないのですが、従来のような長期収容型の入所施設と違って、
いろんな理由で、必要に応じて1,2泊とか数泊を家から離れて過ごす施設です。
いま勤務している施設は東京近郊の、緑の木々に囲まれた一軒家を利用しています。
 知的障害のある人が地域で住むには、グループ・ホームか、
でなければ家族と共に暮らしている場合がほとんどですが、
家族と共に住む人の場合に、たとえば保護者が病気で入院し、
ほかの家族も病院で付き添っているといった時に、
障害のあるその人はショート・ステイを利用します。

 こんな例があります。
30歳の男性がお母さんと二人で暮らしていたご家庭ですが、
ある日お母さんが急死してしまいました。
そしてその朝たまたまヘルパーさんが訪問してそれを発見したのです。
彼はお母さんが倒れた経過を全て見ていた筈ですが、
誰かに知らせるということができませんでした。
そればかりか、それ以後一人で暮らす事もできません。
そこで急きょその日ショート・ステイに福祉事務所から紹介されて来ました。
彼はおよそ半月ほどここに滞在していました。そのあと入所施設へ移って行きました。
 家族の事情で利用する場合ばかりでなく、
むしろ当事者自身のために家族と離れて宿泊する事に意味がある場合に利用されます。 

19歳の女性の例ですが、親元から離れたことがない。
そこでご本人の自立のためということで1泊。
ところが一晩中泣いてほとんど一睡もできなかった。
でも夜明けには、家に帰れると気が付いてニコニコしてきた。
そこでしばらく期間をおいてもう一回泊まったところ、
もう慣れてきてその晩は楽しく過ごし、ぐっすり眠れた。
2回で親から離れて楽しく過ごすことができたことは早かった方ですし、
この体験は今後いろんな場合に生かされるでしょう。

このように、今後は家族の事情より、
先ず当事者にとって意味あるショート・ステイ利用のあり方について
もっと研究されていいのではないでしょうか。



  最も感動した体験:古いシャンソンが接点に

今度はスタッフとして関わるぼくにとって感動的な体験になった例をお話ししましょう。
 K君は、養護学校3年の男の子ですが、
職場の責任者の話では最も対応がむずかしい青年だと聞かされました。
彼は気分、情緒にムラがあり、こちらの言うことを聞いていないで
自分の世界の中に閉じこもっている。
弱視で言葉もほとんど話せない。まあざーっとこんな説明を受けました。
今日はそのI君とお付き合いする担当になっています。

 さあいよいよ同僚の送迎の車で家から到着しました。
ぼくもこの仕事にはだいぶ慣れてきていましたので、
何とか関わってゆこうといった気持ちで彼を玄関に迎えに行きました。
心構えはやはり虚心坦懐とでも言いましょうか、
とにかく当たり前の平坦な気持ちでできる限りやさしく接すること、
真心をもってつき合う、それだけです。

 近寄って「こんにちは」と声をかけましたが、
返事はなく視線もそらしてしまいます。
でも手を取ると彼もぼくの手を軽くつかんでくれます。
これなら何とかつながれると思いながら手を引いて奥の部屋へ案内しました。
 彼はこの部屋へは以前1回訪れただけです。
部屋に入り畳の上に座ってからしばらくすると、
彼は自分のかばんから古い型のラジカセを取り出してきました。
そして小さな音で音楽を鳴らし始めました。
何回もリピートしながら2,30分ほど聞いていました。

 元よりぼくには何の関心も示しません。
ぼくはどうかかわってよいか、とまどっていました。
とにかく一晩一緒に過ごして食事もし、お風呂にも入れ、トイレ、就寝など
全てこなさなければならないのです。
それだけのことをやりきるには、最低限の心のつながりを作れることが必要です。
 そのうちぼくは彼がどんな音楽をくり返し聞いているんだろうと興味をいだきました。
これまでも利用者さんの好きな音楽を聞いていると、
言葉ではコミュニケーションが取れなくても、その人の心の世界が感じ取れたからです。
 ぼくは耳をラジカセに近づけて聞いてみました。でも音が小さ過ぎます。
それでなおしばらく、耳をすましてその雑音のような小さな音、いや音楽を聞き続けました。

 その時です!ぼくは飛び上がらんばかりにびっくりしました。
音楽は1950年代に流行ったシャンソンの「ドミノ」です!
これはぼくが最も愛好する曲なのです!
 ぼくは意外なできごとにもう興奮してしまいました。
そして立ち上がってその場で「ドミノ~、ドミノ~、・・・」と歌い始めました。

するとその時です。ずーっと下を向きながらラジカセをいじくり続けていた彼が、
「はっ」とした表情でぼくを見上げました。
そしてまなこを大きく開けてじーっと見続けるのです!
その時までぼくに視線はおろか、顔も向けないで過ごしていた彼が、です。
 これはすごい出来事が起こったぞ、信じられない事だけど、
彼と何か深い関わり合いの接点が見つかった、と思うと嬉しくなりました。
 
ぼくは、歌いながらもやがて腰を下ろしました。

するとどうでしょう、こんどは彼が立ち上がり、
ぼくを見つめながら、げらげら笑い始めました。
しかも間もなくぼくの側に寄ってきて座り込みます。
そして次にはぼくの手を握るのです!
 ぼくはますます感動して、「ドミノ」を歌い続けます。
すると彼もいっしょになって歌い始めました。興奮して笑いながら。
メロディも”ドミノ”という発音も充分には聞き取れません。
でも明らかに一緒に歌おうとしていることはわかります。
二人は共鳴し合ながら歌い続けます。

すると彼は今度は横になり、ぼくの膝に頭を乗せました。
いわゆる膝枕をして、なおも歌い続けます。
笑い声と歌とが混ざり合った感じです。
 彼はぼくに対して、父親にするように甘えてきているのだと感じました。
スキンシップを求めていると思えたのです。
そこでぼくは膝の上に乗った彼の頭をなでてみました。
ちょうど昔、自分の子どもたちにしたように。
こうしてぼくと彼との心のつながりはたちまち深いものになりました。

 その後の日課は夕食です。
ほかに3人の利用者のかたがいますが、
ぼくは彼とテーブルをはさんで向かい合う席に座りました。
あとの人たちは、このステイにすでに何回も宿泊し慣れている上、自分で食事ができます。
他の人たちに比して彼は自分で食事するだけの技能は身についているようですが、
この場に不慣れのため固くなっています。

 あとで分かったことですが、彼はひとつ気分を害されると直ぐ混乱する面があります。
その時もそんなことに気を遣いながら食べさせて上げたりしながら食事をしました。
難なく終了しました。お風呂も就寝もスムースにゆきました。
最もケアがむずかしい青年という情報がウソみたいです。

 ぼくにとってこれ程のドラマチックな、人との関わり合いは過去に経験がありません。
この日の体験を通して、いろんな事を学び大きく目を開かれた気がしています。

 ただ、彼がどのようにして50年代のシャンソンが好きになっていったのか、
それをいつか知ることができたらと思っています。
それと彼は幾年か前にお父さんと死別していることを知りました。
ひょっとするとドミノはお父さんの愛好曲だったのかも知れません。
そうするとぼくが歌ったことが彼にお父さんを思いださせたのかなとも思ったりしています。


ステイで見えてきたこと

以下ではショート・ステイの仕事を通して見えてきたことについて
もう少しご紹介しましょう。

○生活レベルのつき合い

 はじめにお話したように、永年にわたってたずさわってきた心理相談、
あるいはカウンセリングの仕事とは全く違った世界に飛び込んだことから見えてきた、
そんなことからお話しましょう。

 ステイの仕事は、一人の知的障害者のかたと、
一晩の宿泊によっておよそ20時間ほど生活を共にします。
皆さん、自宅、作業所、通所施設、学校などからこちらに到着してから日課が始まります。
といっても、すでに記したように、
夕食、入浴、トイレ、就寝、起床、朝食、出発となっています。あとの時間は自由にしていまが、テレビ、ビデオ、CD、本、お絵かき、ゲーム、散歩などで楽しんでいます。
 心理相談は、通常小1時間、長くても2時間、しかもテーブルをはさんで話し合う、また子どもの場合はプレイルームで遊戯をする、などが伝統的な方法です。

これに対して食事,お風呂、トイレなどどれをとっても生活の日課、
つまり生きて行く上で欠かせない営為です。
ところがこれら生活上の基礎的な日課は、
カウンセリング室では直接に触れられない行為です。
これらの日課を前提にステイの仕事が行われますし、家族に代わってケアをするのです。
ぼくにとってこれは今まで行ったことのない仕事ですし、
相談とは全く違った次元でのつき合いをする事になります。
 そうすると相手の利用者さんの実像みたいなものが身近に見えてくる。
ケアから心の世界だけでなく、生活上の具体的な諸々が見えてくる、
そんな仕事にとても新鮮なものを感じました。
人を生活次元での接触から理解することの必要性が見えてきたのです。

たとえばその人は、どんな食べ物が好きか、
おいしいものを食べている時、どれ程笑顔になり生き生きしているか。
またお風呂がとても好きな人がいます。
部屋にいるときは声も出さないでじーっと座っているのに、
その人にお風呂に入ろうと伝えると、たちまちにこにこする、
浴槽に入ったときには歓声をすら上げて喜ぶ。
その歓声などは聞いていて実に幸せそうな響きがします。
この瞬間のその人の様子などを相談室で想像するには限界があります。


○ 知的障害の人たちとの距離が縮まってきた

 ところで一回20時間の接触をくり返しながら、会い続けてゆくうちに
次第に親しみ、かわいさが感じられてきます。
そうすると相手は言葉が話せないということとか、障害がある人かどうかといった感覚が、
ぼくの中から全く消えてしまう。
これには自分でも驚きました。
これまではどうしても生活上のことや学習上のことで
「できる」「できない」ということが感覚的にどこかに残っていた。
言葉で通じるかどうかなどは、やはりコミュニケーションを図る上で大事と感じたりして、
違和感を感じることがありました。
でもいまはその人を思い浮かべるとき、そんな相違よりも、先ず親近感というか、
かわいさのほうが浮かんでくる。
そうですね、自分の子どもと友だちとの間ぐらいの近しい存在になっています。

 これまで差別意識、違和感は一生なくならないものだと
諦めてきた、あるいは開き直ってきた。
でも今はそんな無理がない。
生きているうちにこうした心境を体験できてよかったというのが
今の心境です。


(おわりに)
 この仕事から得た体験はいろいろあって、まだまだ尽きないところがあります。
たとえば、一人ひとりの持つ個性についても、
幾人もの人の感動するような姿に触れることができました。
そんな事実を知らなかった自分が恥ずかしいですが、
でもこの年になって、その分だけ大発見をしたと言えます。

 利用者の方々が出かけたあと、一人で静かなステイに残って、
風呂場やトイレ、階段の掃除をしていると、
時々ふっと新しい人生修行をしているような気持ちになります。
そう、まるで禅寺で作務(さむ)に専念しているような心境です。
ふるさと福井県の永平寺の場面なんかが思い出されてきます。

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