やっとコロナ対策のマスクの着用から解放されつつある。電車、バスの中は
半々くらい。中学生の三年間、学校は勿論家庭までマスクに拘束されたように思う。
マスクするということは咳。唾液の放出だけでなく会話を制減することに通じる。学校の給食も集団で一人食。帽子とマスクでは、会話相手の表情,言葉の強弱も理解が困難。同級生の友人化も制限されて、校友関係も減少化し卒業後も会話能力も減速する。
八十老がマスクをしている中学生に声かかけても振り向くだけ、一人歩きの高校生は
エヤホーンはずしマスクをとる。自分の携帯電話の画面を見てからこちらの質問を聞く。
このように会話不足の年代の子供タ達が成人して社会人になったとき、対人対面の会話交渉力がし疎通を成熟したものとなるだろうか。必然課題になる。情報機器 パソコンや携帯電話の多重化から人間関係の弱小化が進み、言語の国語能力が上達せず、学生の同年代習性から、社会の年齢、知識経験及び役職の多重性の理解を早急に習得しなければ実社会から落ちこぼれる。これが学校では優等生扱えとなり、試験問題の解答は万点近く、常に自分が学識だけ上位にあり同級生と交流はマスクが邪魔をした。この同年代の交流の希薄者は会話交渉力に劣等感を抱き、離職し転職より自宅待機となり、社会を悪者にして実家の居候となり、その居候が長期化して自閉症となり自宅の閉じ籠りになる。これが長期すれば家庭内暴力を引き起こす。ここから肉親同士の葛藤始まる。
さてここで問題にしたいのは中学時代、高校生時代の3年間、6年間のマスク着用の期間の長い人達が社会人になったとき、このような社会から落ちこぼれになった精神構造の人材を、日本社会は今後どのように処遇していくのか。これに関するえ^たも見たこともない政治家も人材育成の評論家からも意見陳述が出てこない。日本学術会議のお偉いさんにでもお願いしようか。税金の報酬にはそのくらいあるだろう。23.10.9