ぼくの行方は不明になりそう

世界の行方とぼくの行方

初詣と日本の神々

2016-12-20 | Weblog
正月には、日本人ならばなんの信心もない人でも初詣に出かける。普段は決して足を踏み入れない神社や仏閣を訪ねてはお参りをする。

お参りの中身と言えば、家内安全などはいい方で、金持ちになりたいとかいい人が見つかりますように(要するに玉の輿に乗れますようにと言うこと)だとか、商売繁盛で儲かりますようにとか、そんな現世利益的なお願いばかりをするようだ。

しかしながら、日本の神々というのは本来、人のためには何もしてくれない神様だ。もっと言えば、雷を落としたり、噴火を起こしたり、地震を起こしたり、洪水を起こしたり、地滑りを起こしたりする、それこそ恐ろしい神様ばかりだ。いわゆる荒御霊というもので、人に恩恵を施すよりも害をもたらす方がずっと多い。

商売繁盛で有名な神田明神の主神は平将門でとてつもない祟り神だったので手厚く祀っているのだし、太宰府天満宮の菅原道真もとんでもない祟り神だったからこそ大切に祀られている。

そんな神々に対して、個人が金持ちにしてくれとか幸せにしてくれとか願ったとして、聞く耳を持っていると思いますか?

彼らはそんなにヒマじゃないし、個人のことなんぞ何も気にしてはいないだろう。

本当にこれらの神様にお願いすることはただ一つだけで「人間の力ではどうにもならないような災害だけは起こさないでください」という内容だけだろう。

結局、他力本願はやめて、自分の生活は自分で何とかするしかないと、ぼくは思うな。


神社と麻

2016-12-13 | Weblog
神事には麻(それも大麻)が欠かせなかったそうだ。

本来、しめ縄というものは大麻を編み込んで作っていたそうだ。

それだけではなく、新嘗祭や大嘗祭の際にも麻が重要な役割を担った。麻でできた衣服や御幣(幣束)は大麻の繊維を使っていたそうだ。

やっぱり大麻取締法ってどうなのかなあ。

右翼の皆さん、大麻取締法に反対するために自民党本部や国会や厚生労働省に出かけないんですか?

ボブ・デュランの歌詞

2016-12-02 | Weblog
ボブ・デュランがノーベル賞を受賞したと言うことで、とっくの昔に聞かれなくなっていたボブ・デュランの曲がまた聴かれているらしい。

まあ、彼の曲のカッコ良さなどは、彼独特のもので、傑出したロックアーティストであることは誰も否定はしないだろう。

だけど、例のごとく歌詞に関する深読みが始まったのは、個人的に許せない。

彼の歌詞が難解なのは、彼の脳みそが特別製だからと言うことも当然あるものの、若い頃の歌詞はほとんどドラッグでラリっているときに書いたものだからだ、ということになぜ誰も言及しないのだろうか。

”彼の歌詞は難解で、時にはスペルを間違っているものもあるが、それをも含めて彼独特の世界を構成しているのだ”的なことをわかった風な文章で大御所ぶって書いている人たちがいるが、とんでもない大馬鹿だ。

デュランはずっとラリっていた。ビートルズに大麻を勧めたのはディランだし、彼自身、かなりのヘロイン中毒だったと聞いている。

今回の授賞式への不参加は、未だにドラッグをやっていて、依存症を隠すためだと勝手に思っているが、おそらく、当たらずとも遠からずという状態だろう。

ドラッグでラリっているときに彼の中から奔流のように流れ出したすばらしい言葉の数々を詩の形にしてそれをメロディーラインに載っけることは、凡人にはできない技で、そのところがボブ・デュランのすばらしいところなのに、深読みしすぎてありがたがるバカがなんと多いことか。

ロックやメタル、パンクなどは哲学者のものではなく、魂の叫びのような音楽だと言う初歩的なことを認識して、あまりありがたがらない方が本質的な楽しみ方ができるのだと、ぼくは思うな。