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仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

51.日本神話の大八洲の誕生と実際の歴史(5)  島が消える(縄文海退の秘密)

2024年06月14日 | 日本神話を読み解く
日本神話の国産みの話です。

今回は現在のどの場所に当たるか定説のない島についてです。


イザナギのミコト、イザナミのミコトの二人が作った洲(しま)は、日本書紀本文によると、次の八つです。


1.大日本(おおやまと)豊(とよ)秋津(あきづ)洲:本州
2.伊予二名(いよのふたな)の洲:四国
3.筑紫(つくし)の洲:九州
4.億岐(おき)の島:隠岐の島(島根県 出雲の沖)
5.佐度の洲:佐渡ヶ島(新潟県)
6:越(こし)の島:(これがどこを指すのか定説がありません。)
7.吉備の子洲:岡山県児島半島(島だったのですが、干拓等により半島になりました。)
8.大洲:(定説なし。)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、定説がないのは、6番の越の洲と8番の大洲です。
この謎解きの鍵となるのは、私が営業で担当していた栃木県の会社の会長さんの一言です。

その会社は、東武日光線の藤岡という駅とJRの岩舟という駅のちょうど真ん中にあります。

そこは関東地方の中では「ザ・内陸」と言って良い場所で、夏の暑さ日本一を熊谷と争っている群馬県館林市の近くなので、夏はとても暑いです。

(Googleマップより)

館林で39度を超える暑さの時にお邪魔しましたが、
日なたでは、「暑い」どころか、火鉢に当たっているような「熱さ」でした。

そのような内陸の土地で、その会社の会長さんは、

「このあたりは海だったんだよ」

とおっしゃいます。

埼玉県の浦和も昔は海だったから、
「浦」の字がついているそうです。
不動産としては地盤が不安な浦和より、
昔から陸だった大宮(大宮台地)が良い
とのことでした。(個人の意見です。)

初めは何かの冗談かと思っていましたが、
確かにその会社の近くには貝塚があり、
調べてみると縄文時代には海だったことが
分かりました。

縄文海進という言葉をその時初めて知りました。

そのあたりの海抜は14mくらいなので、

縄文海進により、今より海面が14m高かったのかなと、うっすら思いそのままでいました。

ところが、山野井徹先生の『日本の土』という本を読んで、土壌の堆積はものすごく速いことを知ります。

日本の土―地質学が明かす黒土と縄文文化

山野井徹[著]


縄文海進でピーク時の海面は今から2~3mしか高くありませんから、
土壌の堆積は6000年で11~12mもあります。

年2mmです。

この地区は、渡瀬川が氾濫する場所なので、土壌の蓄積は比較的速い地域です。

数年前、荒川が大氾濫するのを防いだ最大の功労者と考えられる渡瀬遊水池のすぐそばです(普段はハート型の池が見える会長の散歩道です)。

渡瀬遊水池のすぐ北側の小高い場所に篠山貝塚があります。
もちろん貝塚には海洋性の貝殻が埋まっています(牡蠣とかです_縄文時代の人々も牡蠣を食べていたんですね)。

篠山貝塚 - Wikipedia


土壌の堆積とは、雨や風で山が削られて、平地や海の底に土が積み上がっていくことです。

日本の平野部では関東平野と同じ程度の堆積が進んでいたと仮定して、
縄文海進の最盛期に、
どこが島=洲だったかを見てみましょう。

そのために、国土地理院地図の標高によって色が変えられる機能を使います。縄文海進の最盛期に海だったであろう海抜15mまで青(水色)で表しています。

(国土地理院地図より)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まずは、謎の越の洲を探します。

越の国と言えば、北陸地方です。
岩波文庫版日本書紀の解説では、縄文海進の時代でも、越前、越中、越後に島だった場所はないような書きぶりです。
きっと、土壌の堆積の速さを考えていないんだと思います。

貼付の地図の通り、石川県の能登半島の先の奥能登がほぼ島になります。

次の陰影起伏図を見るとよく分かりますが、
本州との間に邑知潟地溝帯という
細長い平野があり、
そこは海だったと考えられます。


色別標高図に一部黄色いところがあります。
そこは、扇形になっていて、
その要(かなめ)のところに川が流れています。
扇状地と呼ばれる地形てす。



川が運んだ土砂で盛り上がった地形を、
河口では三角州、山と平野の境では、
扇状地と呼びます。
ここは元々海だったので
三角州だった場所です。

扇状地のや三角州は、山からの土砂が一番堆積する場所です。
三角州が有名な広島市の例では年10mm堆積していました(6000年続けば60m)。
広島の事例について海面上昇と土壌の堆積が追いかけっこするグラフがあります。

邑知潟地溝帯(おうちがたちこうたい)は調査が進んでいます。
完新世(沖積世)になってからの土砂の堆積は20mから多いところで40m程度であろうと推計されています。

奥能登は、邑知潟地溝帯で本州から分断された島でした。

越の洲を見つけました。
奥能登が越の洲です。

【2024年1月1日の奥能登地震で被災された方へのお見舞いと、お亡くなりになった方へのお悔やみを申し上げます。】


次は大洲です。

山口県の周防大島を日本書紀で言う大洲だという説があります。

でも、吉備の子洲を敢えて子どものように小さい洲と呼んでいるのに、

それより小さい島を大洲と呼ぶでしょうか。



(添付の国土地理院地図で周防大島と吉備の子洲を同じ縮尺で載せました。)

他のところで適当な大きさの島を探してみましょう。

日本海にあります。

貼付画像の通り、

出雲は島でした。


中国地方を挟んで、

北の大洲と南の吉備の子洲が

同じような感じで並んでるようにも見えます。

龍の親子ですかね。


吉備の児島は、右を向いて口を開けているティラノサウルスに見えます。



大洲(出雲)は、右を向いたカジキマグロに見えますが、
竜に見えなくもありません。
(上下逆にすると、頭でっかちな首長竜にも見えます。)


そもそも出雲には、国引きという伝承があります。
出雲はあちらこちらから島を引っ張ってきて、
今のところで本州と繋がったという伝承です。
(朝鮮半島や越の国などから引っ張った来たそうです。)

この伝承は、海で隔てられた島が土壌の堆積で陸と繋がった史実を表しているのではないでしょうか。

出雲にいた神様を大国主のミコトと言いますよね。
越の洲がどこかという議論の中で、
越の洲を越の州、越の国のことだと言っている人がいました。
洲と州と国は意味が繋がっていると思います。
島は、海に囲まれた境界のはっきりした土地を指します。
「や☆く★ざ」のみなさんが使う言葉で、
ある人の影響力の及ぶ範囲を「しま」と呼びます。
この「しま」は、「島」から派生した言葉だと思われていますが、
本当にそうでしょうか?
普通ある人の「しま」と他の人の「しま」は、隣接しています。
これは、海に浮かぶ島のイメージと異なります。
元々境界のはっきりした領域という意味があって、
それが島と「しま」の語源になったのではないでしょうか。

隠岐の島のお役人さんを隠岐の国造(オキノクニノミヤツコ)と言うので、
大洲にお役人さんがいれば大の国造(オオノクニノミヤツコ)と呼ぶのでしょう。
独立していた出雲は、中央から派遣された役人ではなく、
その国の首長が治めていたと考えると、
大の国造ではなく、大の国主(オオノクニヌシ)がいたことになります。

大国主(オオクニヌシ)は、大の国主=大国主=大洲主と考えることができます。

出雲が島だった時の西端の対岸の本州側の海の中にあった場所に島根県大島町があります。


何かの経緯があってそちらに名前が残ったのではないでしょうか。

大洲を見つけました。
出雲が大洲です。

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50.日本神話の大八洲の誕生と実際の歴史(4) 日本海の島の誕生

2024年06月09日 | 日本神話を読み解く
日本神話の国産みの話です。
今回は隠岐の島と佐渡ヶ島についててです。

イザナギのミコト、イザナミのミコトの二人が作った洲(しま)は、日本書紀本文によると、次の八つです。

1.大日本(おおやまと)豊(とよ)秋津(あきづ)洲:本州
2.伊予二名(いよのふたな)の洲:四国
3.筑紫(つくし)の洲:九州
4.億岐(おき)の島:隠岐の島(島根県 出雲の沖)
5.佐度の洲:佐渡ヶ島(新潟県)
6:越(こし)の島:(これがどこを指すのか定説がありません。)
7.吉備の子洲:岡山県児島半島(島だったのですが、干拓等により半島になりました。)
8.大洲:(定説なし。)

〜〜
隠岐の島について

海底の標高を見ることができるサイトによると、
4番の隠岐の島と本州の間は浅い海です。
2万年前は陸地でした。
そこに四国と九州が分離した後に関門海峡を通ってきた海水が流れ込みます。
そのようにして本州から離れ、隠岐の島が生まれたということになります。

アップにしてみると、隠岐の島と対岸の島根県出雲地方との海の水深は、60mと80mの間だと分かります。
仮に70mだとします。

ウィキペディアの「縄文海進」の項目にある海面上昇のグラフを見ると、世界の標準的な海域では水深70mの海底が陸から海に変わったのは、12,000年前頃と考えられます。

(ウィキペディア「縄文海進」より)

けれども当時の日本海は、太平洋からほぼ隔絶した内海または、湖(塩湖)だったと考えられています。

イスラエルにある死海のように水面が外洋の海面より何百メートルも低かったとは考えられないでしょうか。

(Googleマップより)

そう考えると、日本海が太平洋の海水面に追いつくのにもう少し時間が掛かります。隠岐の島が誕生したのはもう少し後かもしれません。

縄文時代は草創期(約16000~11500年前)、早期(約11500~7000年前)、前期(約7000~5500年前)、中期(約5500~4400年前)、後期(約4400~3200年前)、晩期(約3200~2400年前)の6つに区分されています。

さっきのグラフを見ると、2万年前に現在の海抜マイナス125mから始まった海面の上昇は、縄文草創期である1万5千年前から急激に加速していきます。

その急激な海面上昇が落ち着くのが縄文前期が始まる7千年前です。鹿児島で完新世最大の火山噴火があった頃になります。

鬼界カルデラは、鹿児島南方の東シナ海に位置する、東西20km、南北17kmに及ぶ大型の海底カルデラです。

7300年前に鬼界カルデラで発生した「鬼界アカホヤ噴火」は、完新世では世界最大規模かつ最新の大規模カルデラ噴火です。この噴火により西日本の縄文文化は壊滅しました。

この時期は、完新世の気候最温暖期(7000年から5000年前)の少し前です。

鬼界アカホヤ噴火を逃れることができた人々がいるとします。
完新世の気候最温暖期は、彼らの南方の生活様式のまま、東北地方や北海道で暮らすことができた時代です。

自然はときに厳しく、ときに優しいですね。

縄文中期の始まりの5千年前になると縄文海進が終わり、土壌の堆積による海岸線の後退である、縄文海退が始まります。


さて、
国産みに戻ると、
5番の佐渡ヶ島と本州の間は
比較的深い海で遮られていて、
現在の海底の深さを前提にすると、
125m程度海面が低くても、
本州とは繋がってきません。

(「みんなの海図」より)

日本神話が史実に沿ったものであるとすると、
重要な仮説に行き着きます。

現在日本海がある場所は、中心部の一部を除き
海ではなく大きな盆地だったのではないでしょうか。

〜〜
日本海が盆地になっていたのでは、
というアイデアについて、

直接それを示すものではないのですが、
宗谷岬と間宮海峡は陸で、対馬海峡も満潮時に少し海水が流れてくる程度だったのでは、という論文を見つけました。

津軽海峡も陸橋で繋がっていた可能性も記載されていました。


『東アジアにおける最終氷期最盛期から完新世期の海洋古環境』
菅浩伸 2004

地層に含まれる水分の酸素同位体の濃度でどこから来た水かが分かるそうで、黄河の河口が済州島の東にあって、黄河の水が日本海に流れ込み、日本海の塩分濃度が下がったと書いてあります。
(Googleマップ より)

こんなことが分かるんだという驚きと、どういうこと? という戸惑いが起こります。
黄海は水深が浅いので、縄文海進前には陸地だったと考えられます。

〜〜
この論文は、検索で「日本海 干上がる」とかで調べたら出てきたのですが、

なぜか、消滅の危機にある「アラル海」が検索に引っ掛かってきます。
(ウィキペディア より)

アラル海はたった30年で消滅の危機に陥ってしまったので、

長い時間のなかで、日本海でも同じようなことがあっても不思議はないと思います。

少なくとも、一時期日本海は外洋と隔絶した内海、または、湖(塩湖ですが)だった可能性は高いということですね。

後は、乾燥と真水の流入の差で盆地だったかどうかが決まるのでしょうが、
まさか、黄河の河口があったとは思いませんでした。

17,000-15,400年前の出来事だそうです。

日本で最古の土器が発見された時期です。

文化交流にどのような影響があったのでしょう。

長江周辺では、もっと古い土器が発見されているそうです。

なので、長江だったら分かるのですが、黄河流域とはどんな関係があったのでしょう。

〜〜
最後の文章を書いた後、
黄河の水量では日本海の海水濃度を下げることは難しく、
長江の水が日本海に注ぎ込んでいたのではないかという記事を読みました。

沖縄トラフを除く東シナ海の大半が陸地だったことを考えると、
黄河の河口よりも長江の河口があってもおかしくないと感じられます。
朝鮮半島を回り込まなければいけない、黄河より、上海から直線で流れて来ることができる長江のほうが距離は短いとも言えます。

(Googleマップ より)

中国の江南地方と日本の深い関係は、こういう地理的な条件が基になっているのではないでしょうか?

[国立環境研究所HP 水環境研究の最前線(9)より …東シナ海の特徴は、全面積の3分の2を占める水深150 m以浅の大陸棚と、その南東側の縁に伸びる最大水深2,700mの沖縄トラフだ…]
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