万葉集の第3番歌を見てみましょう。
歌の前にある解説=詞書(ことばがき)には、舒明天皇が内野という所に狩りに出かけた時に、王子が使いの者に作らせた歌とあります。
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安泰(やす)見しし
我が大王(おおきみ)の
朝(あした)には 取り撫でたまふ
夕(ゆうべ)には い寄り立たしし
御執(みと)らしの 梓の弓し
中筈の 音を為すなり
朝狩りに 今立たすらし
夕狩りに 今立たすらし
御執(みと)らしの 梓の弓し
中筈の 音を為すなり
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多くの人が「梓弓之」「梓能弓之」を「あずさのゆみの」と「之」を「の」と読んでいます。
同じ歌の中で「八隅知之」「伊縁立之」「今他田渚良之」では「之」を「し」と読んでいます。
同じ歌の中で違う読み方をしても問題ありませんが、同じ読みでも良いはずです。
「梓の弓の中筈の」と読むと「中筈」という何かが弓の一部と解釈されます。
ところが、弓には「中筈」に相当するものがありません。
「之」を「し」と読めば、その「し」は強調の副助詞と解釈できます。「中筈の音を立てている」という文の主語が「梓の弓」になります。
そうなれば「中筈」は、弓の一部と考えなくていいことになります。
弓の両端には本筈(もとはず)と末筈(うらはず)という弦を掛けるために溝を切った部分があります。(今は違いますが、昔はV字型の溝でした。)


(愛知県埋蔵文化財センター研究紀要 第9号2008.3『弭形製品・浮袋の口について—東海地域の縄文時代後晩期を中心に—』より)
矢の後ろの方にも弦を掛けるために溝を切った部分があり、矢筈と言います。


「筈」とは、溝を切るなどしてV字型になっている物のことです。
弓自体に本筈と末筈の間にV字型の部分はありません。矢筈は、ちょうど本筈と末筈の真ん中を通って飛んでいくので、矢筈が「中筈」とも考えられます。
ところがこの歌では、「中筈」の音がすると歌っています。矢筈は、弓の弦を引っ掛ける場所であり、どうやっても音は出ません。
弓の弦を振るとブンブンと音が出るとして、弦を中筈と考察している方もいますが、遠くにいて聞こえるような音ではありません。また、形も筈とは言えません。
当時弓を射て起こる音は、弦が鞆(とも)を打つ音です。

鞆は「弓返り」を防ぐために左手首に巻く中の詰まった革袋です。弦を鞆に当てることで弓返りを防ぎます。その時大きな音がします。
鞆がなければ、矢を放った後、弦が持ち手の反対側に回ってしまいます。それを元に戻す動作が必要で、次の矢を放つのが遅れてしまいます。
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筈押しという相撲の動作があります。親指と残りの四本指の間を広げV字型(L字型)にして相手の脇の下や首を押す動きです。



この時の手の形と鞆の形はよく似ています。
形だけでなく、機能としても同じです。凹凸の凹の形と凸の形を合わせて外れないようにします。弓筈と弦、矢筈と弦、筈押しの手の形と脇の下や首といった凹と凸の形が合わされます。同じように鞆の凹形と手首の曲線(凸形)を合わせてしっかりつないでいます。
以上のように考えれば、中筈とは鞆のことだと分かります。
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以下、鞆について考えていることを書き連ねてみます。
今の和弓の道具に鞆はありません。
古墳時代の武人埴輪は鞆を身に着けていますが、
平安時代に鞆の使用は廃れていきました。

鞆は弓返りを防ぐたものものだと考えられます。鞆が無くなると文字通り「矢継ぎ早」に矢を放つことが出来なくなります。
鎌倉時代、元寇を迎え撃つ鎌倉武士が射程距離で勝る和弓で相手将校を射抜いていたようです。今で言う一撃必殺のスナイパー戦を行っていたことになります。

以前の速射を必要としていた戦術(今ならば機関銃戦)からスナイパー戦に戦術が変化したということなのかもしれません。

もう一つの可能性として、鞆の役割が弓の共振の防止にあったということが考えられます。
弓の弦はギターやバイオリンの弦のようなものです。矢を放つがままにすると、弦の振動が続いて弓の本体に伝わり共振を始めます。共振の力はとても大きいので強い振動を制御できなくなります。
洋弓ではその共振を抑える為の装置(スタビライザー)が色々ついています。

鞆は矢を放った直後に弦とぶつかることで弦の振動を止め、弓本体に共振が起こらないようにします。
鞆が要らなくなったということは振動を制御する別の技術が確立したのかもしれません。
現在の和弓では、持ち手を弓の下から3分の1にすることで、振動が打ち消し合う不動点で弓を持つことができます。このようにして共振の影響を避けています。この技術が確立できたので鞆が要らなくなったのかもしれません。
(画像は宮内庁HP正倉院、イラストAC、Wikipedia、コトバンク、袴美人.com、ミズキクリニック)