2020:10:31~11:1
今回 オルレ歩きの達人、先輩さんにお誘いいただいて、この歴史ある戦跡陣地を歩く幸運に恵まれ喜んで参加させてもらった、が、それにも関わらず、能天気?な自分は夜の美味&美酒?ばかりが脳裏を支配?していたのか、巡る、訪れる、陣跡の登場武将たちの予習勉強を怠っていた、幸い先輩達人さんたちはしっかり予習されてきていて、なるほどを連発?して聞き入りなんとか理解したような 理解しないような?・・まあ これもまた新鮮味があっていいかもと勝手に解釈して・・さあ~オルレ歩きの始まりです。
まず早朝 フニッシュ地点となる波止岬に着いた(8:05)朝早いとあってだれもいない静かな波穏やかな海と砂浜~(^^♪ 感じ。
まだこの時点ではここに帰ってくると言う実感感覚が理解できていません。
ともかくバスの時間を確認して待つことに。
バス移動にて、ほぼ10分ほどで オルレ歩きの起点(道の駅・桃山天下市)着く。
さあ、身支度も済ませいつでも出発OK・カラ元気ポーズも出して歩き始める(9:19)
ほどなく 前田利家陣跡に着いた。利家は太閤秀吉に仕える 五大武将の一人と称され権勢を誇っていた。家康とも幾度か果敢に小競り合いも起こす勇猛な武将。秀吉の命を受け、京都から8000名~1万名とも言われるような家臣たちを引き連れ 京都を3月16日出陣し名護屋城陣地に4月中旬にほぼ一か月を要して到着したとされている。(9:25)
旗竿石と言われている。ここに巨大な登り旗を立てたのでしょうか。
前田利家・・加賀百万石の藩主で槍の名手として幾多の武功を挙げた。広い陣跡は当時の信頼する秀吉の配慮がうかがえる陣地
さあ次に進もう(9:31)オルレ歩きの指示票(青が正方向・赤が逆方向を示す)
林や農道小道なども当然ルートになっています、これがまたオルレ歩きの特徴ですね
今盛りとツワブキの花が咲いて和ませてくれています
古田織部陣跡(9:48)
古田織部は茶人、利休亡き後は天下一の武将茶人として秀吉。家康・秀忠などの茶の湯 指南役として重宝されていた
この石積もこのように こだわりの大小の石を組み合わせて遊び心を表現した言う。
(10:14)
みかん畑 のどかないい雰囲気
次はこれまた広大な陣跡に出てくる。堀秀治陣跡 越後福嶋藩主
往時 こんな古道も行きかったであろう武将たちの道へ(10:49)
400年つづく串道を進みやがて今回のメインスポットである肥前名護屋城址にたどり着く(11:08)
ここが幾多の思いを詰めた太閤秀吉の野望が凝縮された本丸、築城に際し、縄張りを黒田孝高、そして黒田長政、加藤清正、小西行長、寺沢広高らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心に動員し、突貫工事で8か月後の文禄元年(1592年)3月に完成した。規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであった
やはり素晴らしい地の利、秀吉の強大な野望をこの陣跡にて、まさに号令ひとつで 並みいる強者大名たちを動かしていたのですね
天気がいいと 朝鮮の手前に位置する 壱岐・対馬の島影もきっと見えたのでしょうか。
しばし 秀吉公の気持ち?になって大パノラマを見渡したのでした。しばらく戦国武将になった気分から、一気に平民になって次へ歩を勧めましょうか
やがて人里集落を右へ左へと抜ければ ひっそりと佇む (炎向窯元・ひなたがま)近くを通る 少し立ち寄ってみました。
窯主が親切にお話ししていただいた、要約すれば 、「蛇蠍釉・じゃかつゆう」とされる釉薬の事らしく、この地の特別の石の粉と灰を混ぜて焼くと、蛇や蠍の肌を思わせる仕上がりになるそうで、非常に色変わりする不思議な焼き上がりになって来るそうです。それもガス窯で微妙な温度設定で 焼き上がりは一つとして同じにならず、注文されてもまず 同じものを納品できる保証はないとか。そのため最初からお任せの焼き上がりで了承いただいて注文に応えているとか、まず一品ものですね
<蛇蠍・じゃかつ>とは へびとさそりの総称。人が恐れ嫌うもののたとえ。
素焼のときは 鱗場が浮き上がっているようにみえるが焼きあがると光沢ある器になっていわゆる 俗にいう段染めぼかし模様のような濃淡の濃い焼き物になっていくようです。素晴らしい焼き物に見とれてしまいますね
友人さんは記念にと 高価なお皿を記念にとゲット きっと旅の良き思い出の一品になることでしょうね。
さあ、また先に進もう、視界が広がりて、波止岬 少年自然の家に到着 ここの休憩所を借りて遅いランチタイム(13:35)
夏には子供たちの歓声が聞こえそうな自然の立ち木などをうまく利用した野外施設など完備しています
この近くに有った 足利義明陣跡は気づかずスルー。
暫く農道など歩を進めてゆけばやがて海が見える波止岬キャンプ場に飛び出す(14:46)
休日とあって 多くのファミリなどキャンプ場に来ていた 最近はびっくりするような大型テントも多く テントサイトはカラフルな
テントに彩られている
やがてこのオルレ歩きもフニッシュ地点が近づいてきたとき、少しの突端部に 自分には馴染み深い 薩摩の国 島津義弘公陣跡に到達
まさに絶景のポイントに配された義弘公の陣地、十文字の紋章とともに説明版に見入る。自分自身の原点でもある薩摩隼人の端くれ。薩摩では連綿と語り継がれる名君の名をほしいままにした誇り高いお殿様として慕われていた
関ヶ原の戦いに敗れたものの 残った少人数の兵を率い家康軍のど真ん中突破し薩摩へ帰りついた・・そこことを讃えた”妙円寺参り”が故郷鹿児島の日置郡伊集院近くの大きなお寺にて先日行われたばかりでした、一度だけ見に行ったことが有りましたがそれはそれは盛大なお祭りでしたよ
絶景の島津義弘公の陣跡
この地に立って遠い薩摩の家臣たちに思いを寄せたであろう。この義弘公にあやかって、はるか大海原を見つめる 一人の旅人の姿があった!!
その真剣なまなざしに向かって思いを馳せていると,偽義弘公の背後にムムム・・ 敵軍の気配が! すぐさま身をひるがえして抜刀し振り払おうとしたとき、ふと夢の中から我に返る。 誰だ!! 後ろから襲うのは!!。俗世に還りました!(激爆笑)すぐさま抜刀しなくて良かった!。もちろん長脇差は持ってきていませんでしたが(笑)・・・
そんなこんなでひとしきりその時代の薩摩武士にもなった気分から また歩き始めてゴール地点へ
そんななか、この海岸線は いわば 玄界灘に通じる対馬海流の流れる潮路帯、ひょっとしたら 環境的にこの時期はダルマギクが咲いているかもしれないと岩場を探しながら歩けば 歩道から見えにくい岩場の隙間に見事な咲き始めたばかりのダルマギクを見っけ。同行みなさんも歓声挙げて 写真撮影に挑む。 激写に続く激写 しばしの激写タイムを楽しんだ
まあ目の覚めるような見事な生まれたての綺麗な色合いのダルマギク、まったく予期せぬ想定外の花に一気にオルレ歩きも最高潮のボルテージなりました、
薩摩の殿様からは遠路 よ~く訪ねて来てくれたね! と我が故郷の義弘公が我々に施しを遣わされたか、プレゼント頂いたと勝手に解釈させるような美しいダルマギクとの出会いでした。
さあここの海岸を回り込めば フニッシュ地点の波止岬到達でした。いや~よく歩きましたが オルレ歩き先輩さんに導かれて時間を忘れさせるような楽しい時間を共有できて最高の楽しいオルレ歩きになりました
(15:34)
その後は 今宵の宿、民宿でひと風呂浴びてから、海の幸満載の海鮮料理など舌鼓、話は盛り上がり尽きなく、夜は更けてゆくのでした
今回 オルレ歩きの達人、先輩さんにお誘いいただいて、この歴史ある戦跡陣地を歩く幸運に恵まれ喜んで参加させてもらった、が、それにも関わらず、能天気?な自分は夜の美味&美酒?ばかりが脳裏を支配?していたのか、巡る、訪れる、陣跡の登場武将たちの予習勉強を怠っていた、幸い先輩達人さんたちはしっかり予習されてきていて、なるほどを連発?して聞き入りなんとか理解したような 理解しないような?・・まあ これもまた新鮮味があっていいかもと勝手に解釈して・・さあ~オルレ歩きの始まりです。
まず早朝 フニッシュ地点となる波止岬に着いた(8:05)朝早いとあってだれもいない静かな波穏やかな海と砂浜~(^^♪ 感じ。
まだこの時点ではここに帰ってくると言う実感感覚が理解できていません。
ともかくバスの時間を確認して待つことに。
バス移動にて、ほぼ10分ほどで オルレ歩きの起点(道の駅・桃山天下市)着く。
さあ、身支度も済ませいつでも出発OK・カラ元気ポーズも出して歩き始める(9:19)
ほどなく 前田利家陣跡に着いた。利家は太閤秀吉に仕える 五大武将の一人と称され権勢を誇っていた。家康とも幾度か果敢に小競り合いも起こす勇猛な武将。秀吉の命を受け、京都から8000名~1万名とも言われるような家臣たちを引き連れ 京都を3月16日出陣し名護屋城陣地に4月中旬にほぼ一か月を要して到着したとされている。(9:25)
旗竿石と言われている。ここに巨大な登り旗を立てたのでしょうか。
前田利家・・加賀百万石の藩主で槍の名手として幾多の武功を挙げた。広い陣跡は当時の信頼する秀吉の配慮がうかがえる陣地
さあ次に進もう(9:31)オルレ歩きの指示票(青が正方向・赤が逆方向を示す)
林や農道小道なども当然ルートになっています、これがまたオルレ歩きの特徴ですね
今盛りとツワブキの花が咲いて和ませてくれています
古田織部陣跡(9:48)
古田織部は茶人、利休亡き後は天下一の武将茶人として秀吉。家康・秀忠などの茶の湯 指南役として重宝されていた
この石積もこのように こだわりの大小の石を組み合わせて遊び心を表現した言う。
(10:14)
みかん畑 のどかないい雰囲気
次はこれまた広大な陣跡に出てくる。堀秀治陣跡 越後福嶋藩主
往時 こんな古道も行きかったであろう武将たちの道へ(10:49)
400年つづく串道を進みやがて今回のメインスポットである肥前名護屋城址にたどり着く(11:08)
ここが幾多の思いを詰めた太閤秀吉の野望が凝縮された本丸、築城に際し、縄張りを黒田孝高、そして黒田長政、加藤清正、小西行長、寺沢広高らが普請奉行となり、九州の諸大名を中心に動員し、突貫工事で8か月後の文禄元年(1592年)3月に完成した。規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであった
やはり素晴らしい地の利、秀吉の強大な野望をこの陣跡にて、まさに号令ひとつで 並みいる強者大名たちを動かしていたのですね
天気がいいと 朝鮮の手前に位置する 壱岐・対馬の島影もきっと見えたのでしょうか。
しばし 秀吉公の気持ち?になって大パノラマを見渡したのでした。しばらく戦国武将になった気分から、一気に平民になって次へ歩を勧めましょうか
やがて人里集落を右へ左へと抜ければ ひっそりと佇む (炎向窯元・ひなたがま)近くを通る 少し立ち寄ってみました。
窯主が親切にお話ししていただいた、要約すれば 、「蛇蠍釉・じゃかつゆう」とされる釉薬の事らしく、この地の特別の石の粉と灰を混ぜて焼くと、蛇や蠍の肌を思わせる仕上がりになるそうで、非常に色変わりする不思議な焼き上がりになって来るそうです。それもガス窯で微妙な温度設定で 焼き上がりは一つとして同じにならず、注文されてもまず 同じものを納品できる保証はないとか。そのため最初からお任せの焼き上がりで了承いただいて注文に応えているとか、まず一品ものですね
<蛇蠍・じゃかつ>とは へびとさそりの総称。人が恐れ嫌うもののたとえ。
素焼のときは 鱗場が浮き上がっているようにみえるが焼きあがると光沢ある器になっていわゆる 俗にいう段染めぼかし模様のような濃淡の濃い焼き物になっていくようです。素晴らしい焼き物に見とれてしまいますね
友人さんは記念にと 高価なお皿を記念にとゲット きっと旅の良き思い出の一品になることでしょうね。
さあ、また先に進もう、視界が広がりて、波止岬 少年自然の家に到着 ここの休憩所を借りて遅いランチタイム(13:35)
夏には子供たちの歓声が聞こえそうな自然の立ち木などをうまく利用した野外施設など完備しています
この近くに有った 足利義明陣跡は気づかずスルー。
暫く農道など歩を進めてゆけばやがて海が見える波止岬キャンプ場に飛び出す(14:46)
休日とあって 多くのファミリなどキャンプ場に来ていた 最近はびっくりするような大型テントも多く テントサイトはカラフルな
テントに彩られている
やがてこのオルレ歩きもフニッシュ地点が近づいてきたとき、少しの突端部に 自分には馴染み深い 薩摩の国 島津義弘公陣跡に到達
まさに絶景のポイントに配された義弘公の陣地、十文字の紋章とともに説明版に見入る。自分自身の原点でもある薩摩隼人の端くれ。薩摩では連綿と語り継がれる名君の名をほしいままにした誇り高いお殿様として慕われていた
関ヶ原の戦いに敗れたものの 残った少人数の兵を率い家康軍のど真ん中突破し薩摩へ帰りついた・・そこことを讃えた”妙円寺参り”が故郷鹿児島の日置郡伊集院近くの大きなお寺にて先日行われたばかりでした、一度だけ見に行ったことが有りましたがそれはそれは盛大なお祭りでしたよ
絶景の島津義弘公の陣跡
この地に立って遠い薩摩の家臣たちに思いを寄せたであろう。この義弘公にあやかって、はるか大海原を見つめる 一人の旅人の姿があった!!
その真剣なまなざしに向かって思いを馳せていると,偽義弘公の背後にムムム・・ 敵軍の気配が! すぐさま身をひるがえして抜刀し振り払おうとしたとき、ふと夢の中から我に返る。 誰だ!! 後ろから襲うのは!!。俗世に還りました!(激爆笑)すぐさま抜刀しなくて良かった!。もちろん長脇差は持ってきていませんでしたが(笑)・・・
そんなこんなでひとしきりその時代の薩摩武士にもなった気分から また歩き始めてゴール地点へ
そんななか、この海岸線は いわば 玄界灘に通じる対馬海流の流れる潮路帯、ひょっとしたら 環境的にこの時期はダルマギクが咲いているかもしれないと岩場を探しながら歩けば 歩道から見えにくい岩場の隙間に見事な咲き始めたばかりのダルマギクを見っけ。同行みなさんも歓声挙げて 写真撮影に挑む。 激写に続く激写 しばしの激写タイムを楽しんだ
まあ目の覚めるような見事な生まれたての綺麗な色合いのダルマギク、まったく予期せぬ想定外の花に一気にオルレ歩きも最高潮のボルテージなりました、
薩摩の殿様からは遠路 よ~く訪ねて来てくれたね! と我が故郷の義弘公が我々に施しを遣わされたか、プレゼント頂いたと勝手に解釈させるような美しいダルマギクとの出会いでした。
さあここの海岸を回り込めば フニッシュ地点の波止岬到達でした。いや~よく歩きましたが オルレ歩き先輩さんに導かれて時間を忘れさせるような楽しい時間を共有できて最高の楽しいオルレ歩きになりました
(15:34)
その後は 今宵の宿、民宿でひと風呂浴びてから、海の幸満載の海鮮料理など舌鼓、話は盛り上がり尽きなく、夜は更けてゆくのでした
こんなに歴史や陶芸のお勉強をされて、恐れ入りました。
さすがですねー。
笑ってばかりで歩いたオルレが、重厚なものになりました。
そして、面白い!
いやあー、山帽子さん素晴らしい!
またオルレを,楽しみましょう。
いや~昼間も夜間も楽しかったですね!
今回は特に歴史が凝縮されたところでホントになかなか
機会有りませんで参加させてもらって楽しかったですよ。
予習不足で残念でしたがその分 後付で良かったですよ
そんなことより皆さんで楽しく歩き通してその方は一番良かったと思います、足手まといになるでしょうがまた一緒に遊べたらと宜しくお願いします
薩摩隼人の血は熱いですね〜
一緒に歩いた道が素晴らしい歴史の道として蘇りました。
長い道ものんびりと笑いながら歩くと、あっという間でしたね(^-^)
とても楽しかったです。またご一緒できるといいですね。
よろしくお願いします!
その節は運転から何までホントにお世話になりました
今になって思い出を振り返っても 楽しくそして面白かったですよね。たわいもない話で盛り上がったりして~
自分的には陣跡巡りは最高でした、やはり実際に訪ね歩きでないとこの歴史に触れることができないですよね広さであったり、地形だったり またまた配置であったり、やはり秀吉の緻密な計算があったのですよね
私的には何と言っても島津様でした。かなり感慨深いものがありました、鹿児島人&薩摩人にとっては 薩摩隼人って呼ばれるのが なにより誇りみたいな心境になります、何もそれらしき事持ち合わせてはいませんが。
>薩摩隼人の血は熱いですね〜
その言葉が一番、心にズシンと来ますね!嬉しいです
またいつか機会あれば宜しくお願いしておきます。
綺麗な色ですね。一度見てみたいです。
影も長くなって、秋本番また見せてくださいね。
薩摩隼人は家康軍のど真ん中突破する
ぼっけもんですよね。
>ダルマ菊と言うのですか。海岸に咲くのですね。
はい、そうなんです。
何でも、九州の北部海岸で対馬海流沿いの岩場を好んで咲く傾向があります、結構 北風&寒風に曝されますから
花茎は短くて、それに白に近い花からこの花のように濃い紫青系のはなと環境によって濃淡がはっきりしてとてもきれいな花ですよ、それこし あの義弘公の陣跡の海岸に咲いていました、いつかこの時期訪ねる機会があればいいですね。
名護屋城、岬の突端まで何度も行きましたが、オルレコースを通して歩いたことはありません。
全部歩くと結構な距離になりますよね。
お疲れさまでした。
ダルマギクは流石でした。拍手
それこそ、へこさんの庭みたいなエリアで へこさんに
御断りもなくお邪魔させてもらいました。
事後承諾ですみません!
いやいや、このオルレコースはもう興味津々、私的には
最高のルート設定でした、どっぷりと歴史に触れることが出来ましたよ。歩けば結構ながい距離ですが同行の皆さんと語らいながら歩けばそんな長い感じではありませんでした、また波止岬周辺の景観、ロケはこれまた良かったですよ、自分は初めてのところでしたので
特に感動しました