実に信じがたいことなのだが、「排ガスが最近酷い」と相談したら、「だったらこういうクルマ乗るの止めたらいいよ」、と言われた。
世間的に旧車は少数派(マイノリティ)で、かつ時と場合によっては後ろ指さされやすい、という認識がないのだろうか?
過去に勤めていた会社には古いクルマも好きなひとが多く居て、でも社内にはそれが嫌いなひともいて、駐車場でオイル漏れがあることでよく喧嘩になっていた(社内ではよく「またお漏らし」と言って馬鹿にされていた)。
旧車は一般的には、音と排気ガス、それにオイル漏れではやり玉に挙げられることが多いと思う。ある意味、時代的に仕方がないし持病とも言える。
しかし、それをなるべく良いコンディションで乗ろうと、努力したり気に掛けるのは悪いことなのか? 旧車に乗る資格がないのか?
ぼくはこういった側面はいつも、同じ種類(ジャンル)のひとがどう思われるか? というところにまで気が行ってしまう。
アメリカでは、クルマの値段が上がると比例してマナーが悪くなる、というデータがある。そこに挙げられるのは、誰もが知っている欧州のあそことかあそこ。日本ではデータは取られていないが、同じであることは日々の体験で明白。
つまり、ぼくがマダナイ(VW・T-II)に乗って、周りが煙たい目で見るようなことをしてれいば、それはひいては同じ趣味を持つひとたちにも向けられる訳だ。その逆も言える訳だが。
なので、改善、修正、是正できる内容はなんとかしたい。極論言えば、「暴走族」には思われたくない訳だ、この趣味が。
さらに現代は、「ハイブリッド」や「100%電気カー」が「eco」「地球にやさしい」、と口当たりよい話やフレーズにすぐに流される世の中。
実際はそんなことないのだが、メーカーも店も新しい物を「売りつけたい」ので頭いっぱいなので、そのことには一切触れない。
しかし、メディアも大手スポンサーの機嫌を損ねるようなことを、わざわざする訳がない。
スポーツサイクル見ても、この流れは明らか。右見ても左見ても、電動アシスト車ばかり。
となると、どうしたって自分らの文化や領域(テリトリ)を護っていくには、色々な気遣いは必要になってくる、と思っている。
今は意味の解らない重課税で済んでいるが、そのうちに『魔女狩り』のような状態になってもおかしくはないのだ。
ガソリン車を今後、生産禁止、なんて言い出した国もある訳だから。
構造上、どうにも避けがたいことであればやむなし。当時はそれで普通に走っていた訳だから。
でも、劣化でそうなっているのならなんとかしたいし、当時とは違う部品や技術で回避ができるのならば、それも選択肢のひとつ(とんでもない金額のフルキットのEV化なぞは論外、愚の骨頂であるが)。
それを、冒頭の、「そんなの気になる、気にするなら、こんなクルマ乗るな」的な思考はなんなの?
不快感しかなかった。
やかん