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しまなみ暮らし日記

なんでもない日常が大好きになっちゃう。
ここはそんな場所。

宮島さんの花火

2006-07-22 10:12:23 | しまなみ暮らしの◎得情報
私は因島の花火大会が大好きだ。
宮島さんの他に水軍まつり火祭りがある。
両方とってもいい♪

都会の大きな花火大会に比べて人が少ないのでゆっくり見れるし、
海から上がるので大きな花火のすぐそばで見れる。
あとはやっぱり思い出と一緒に見るけーひいき目もあるじゃろなあ~(^.^)

社日

2006-03-20 22:43:15 | しまなみ暮らしの◎得情報
今日は3月20日(月)社日。
「社日」とは春と秋の彼岸のうちにそれぞれ1日ある日のことだ。
近所のおねえちゃんの話によると
この日は土を触っちゃいけないという言い伝えがあるそう。

★やっちー彼岸の社日前にジャガイモを植える★
「やっちゃん、日曜日にじゃやがいも植えるの手伝ってあげるけえ!
月曜日はね、「社日」じゃけえ土をさわっちゃいけんのんよ!」

★社日(出典:『神道辭典』)
 雑節の一で、春分・秋分に最も近い前後の戊の日。社とは中国で土地の守護神、または部族の守護神、その祭祀のことをいったから、社日とは社の祭を営む日のことである。中国では社の祭は時代や地域によって一様でないが、唐代には立春と立秋後の第五の戊の日をあてたという。『荊楚歳時記』の一本には、秋分の日に牲をもって社をまつり、仲春の月よりも盛大に祝って、翌年の豊凶をも占ったという。日本の社日はこの中国から伝来したものであるが、稲作が開始される春と、収穫を迎える秋とに祭る田の神の信仰を基礎に受容したものであろう。現在の習俗でも、春秋の社日には仕事を休み、土をいじらないなどと伝えている。そして東九州や北九州、中部地方などでは、社日様は田の神または作神様といい、この両季に田の神と山の神の去来信仰と同様の伝承をもっている。

★社日(出典:日本文化いろは辞典)
読み方:しゃにち
関連語:春分・秋分
 社日は生まれた土地の神様(産土神)を祀る日です。春と秋の2回行われ、春のものを春社〔しゅんしゃ/はるしゃ〕、秋のものを秋社〔しゅうしゃ/あきしゃ〕といいます。春分(3月20日頃)と秋分(9月23日頃)のそれぞれに最も近い戊〔つちのえ/いぬ〕の日を指します。
□土地の神様に感謝する
 社日は、春分と秋分に最も近い戊の日を指します。「戊」という文字には「土」という意味があります。
農業の視点から見ると、春の社日は種まきの時期にあたり、秋の社日は収穫の時期にあたります。これらは農業において忘れてはいけない大事な時期です。そのため社日は全国的に重要な節目の日とされるようになりました。春には五穀豊穣の祈願が、秋には無事に作物を収穫するための祈願が行われました。
農業を中心として生きてきた我々の祖先にとって、大地の恵みである「土」との関係は切っても切れない縁なのかもしれません。
□中国と日本の文化の融合
 社日を祝う習慣は元々中国にありました。その土地の守護神であった「社」を祀り、作物の豊熟を祈ったことが始まりとされています。この風習が日本に入ると、土地の神様を信仰する習慣と融合して全国に広がり、一般的に豊穣を祈願する節日になったといわれています。古来から自分の土地の神様をとても大切にしていた日本人には、受け入れやすい風習だったのではないでしょうか。
□地域ごとの社日行事
 福岡県嘉穂郡では、社日には海辺へ出て清い海砂を持ち帰り、家の内に敷きます。これは家を清める役割があるそうです。長野県小県郡では土地(田)の神様が、春に山から里へ降り秋になると山へと帰っていくと考えられているため、社日には餅をついてお祝いします。また、京都府中郡では、朝早くから東に位置する寺やお地蔵さまにお参りして日の出を向かえます。その後順次に南を廻って西へ行き、日の入りを見送るという風習があるようです。社日は、その地域ごとの神様を祝うので行事の形は様々です。

★社日(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)★
 社日(しゃにち)とは雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。社日は古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。
 春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日(前後同日数の場合は前の方の戊の日)が社日となる。
この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。



ほていあおい

2006-01-13 17:17:18 | しまなみ暮らしの◎得情報
この秋、なんといってもびっくりしたのが
「もんのうち」の池のホテイアオイ。
場所は「尾道市因島三庄町4区」。
大阪の四天王寺にある池で約5平方メートルぐらいにびっしりだったのを見たことはあったけど、これほどまでにすごいのは初めて。
地元の人は、「排水の溝口が枯れたのでつまって、もーどーにもならんのじゃ」
って言ってらしたけど、花の上に立ててしまいそうでほやーんとした天国のような感じ。
たぶん来年は見られないと思うけど、きっと何年かに一度見られるよ!
「毎年じゃない」
最近、そんな自然界のペースが心地いい。

冬至の夕方、帰りに☆

2004-12-21 21:52:38 | しまなみ暮らしの◎得情報
今日は冬至。
夜が最も長い日だ。

朝、出勤前、近所のおねえちゃんから電話があった。
「今日夕方、家によりんさい!かぼちゃ炊いとってあげるけえ。それからあんたとこ、ゆずあるんね?」

夕方、バスを降り、おいしいかぼちゃを炊いたんと、ゆず6つをもらって帰る。
冬至の日には、かぼちゃとゆず風呂。
ここ因島はいうまでもなく柑橘の産地なのだが、今まで、島にこんな風習が残っているなんて知らなかったなあ。

なんかいい。すっごくいい香り。
心も体もあったまった一日でした。
写真は、うちのお風呂です。

★しまなみ人ヤッチーの冬至の一日★
①近所のおねえちゃんの炊いたかぼちゃを食べる
②島で採れたゆず風呂にはいり、香りに心もじーんとあったまる


ミーマ(巳午)

2004-12-08 01:09:50 | しまなみ暮らしの◎得情報
昨年、我が家の大好きなおばあちゃんが亡くなり、12月4日にミーマ(巳午)の法事があった。しまなみ地域では、聞きなれた言葉なのだが、ミーマという行事、法事の一種だが、おそらくしまなみ地域以外の人は、なんじゃそりゃ?ホステスかなんかかい?であろうと思う。
それもそのはず、寺の和尚の話によると、古文書にもどこにも見当たらないらしい。それは口伝えのこの地域独特の行事であるらしい。

12月の最初の巳と午の日に行うことに決まっていて、そのため毎年日にちは変わる。今年は12月4日と5日が巳と午の日にあたっていた。この法事は、昨年亡くなった人のお正月をするという意味がこめられていて、なかなか、面白い風習が当たり前のように残っている。

★巳午(ミーマ)の手順はこうだ(因島三庄地区)★
1.まず法事に来てくれる人が一升の鏡餅一重ねづつを家に持ってくる
2.ミーマの日の前日までに寺に二升の鏡餅一重ねを家の者がお供えする
3.仏壇にも、一升の鏡餅一重ねを家の者がお供えする
4.法事の当日、仏壇の鏡餅を焼いて、亡き人の墓の前で、一人づつ来てくれた一全員が手でひっぱって食べる
5.法事の当日、重ねの半分を来てくれた人に持って帰ってもらう
ということで、メインは「もち」なのだが、お察しのとおり、人数分の鏡餅、それも一升のもち米でついたでっかいのが並ぶのだから、本当に凄い「もち」の量だ。この巳午の日のために、しまなみ地域の餅屋はおそらく、一年中で最も忙しい。ちなみに、我が家で18個の鏡餅が並んだのだ。その半分は、家に残ることになるから、おかげさまで今も毎日餅を食べさせていただいている。写真は、餅で満杯になった我が家の冷凍庫。。。。。

昔、喪中となる家の人にも、お正月が迎えられるようにと考えられたのではないかなあと、想像できる。

和尚さんの話によると説は2つあるらしい。
一つは、宇和島藩の戦がおこりだ。戦でお正月を迎えられるかどうか分らないので、12月に早めにお正月をしたら、本当に戦から戻って来なかった。それから、亡き人のためのお正月になったというもの。
二つ目は、村上水軍の縁によるもの。瀬戸内のこの地方にしか残っておらず、しかも文書に残っていない。これは、兵法・掟などいずれも文書に残さない水軍の文化の伝え方である。

面白い!!
また機会があったら、ぜひ他のしまなみ地域の島でも、ミーマについて調べて見たいと思います。