一休ちゃんの、戦いは終わらない。でどうや?

よさこいの写真です。
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ご覧ください。

眠れないのでちょっと写真の話を、

2012-06-05 03:48:34 | よさこい
熊谷での写真にはきちんとしたイメージと計画がありました。

真舞会の白い袖。朝霞襲雷の黒い衣装。これは色温度の高い昼間には背景を全部白飛ばしにして、

光の中に演じ手のフォルムだけを写して表情以外の情報を排除したシンプルな画像。

夕方の演舞では低い色温度の深みを利用した、

白い袖と黒髪の動きをエッジだけ見せる、黒い衣装を漆黒に黒い髪の動きと瞳の色だけを強調した

深く引き込まれるような写真を撮ろうと考えていたのですが、カメラボディがフリーズするという運命のいたずらに

遭遇しまして撃沈でした。昨日UPしたチャンネルでもアタフタ振りがみてとれますが、

抜粋した75枚の中で5枚ほどはイメージどおりに撮れてます。

自分で言うのも変ですがイイ写真かと思います。

ずっとポジフィルムで写真を撮っていたので、カメラが演算した露出が表現に最良の露出だとは思っていないので

むしろカメラまかせでは感じたものを表現できないと思う始末で意識的に目に悪い写真(明るかったり暗かったり?)の写真が

主です。煌・舞童はほぼ適正露出でしたが。ビルの照り返しで黒い衣装とのコントラストが強くて、あらかじめコントラスト

上げてある俺のカメラで子供達の素直さを捕らえるのはきびしかったので苦慮しました。

まあ、ヘタッピが苦しまずに撮れるほど生易しいものではないってことですね。

フリーズした望遠香側のメインカメラは修理に出し、

ピント板の交換、基盤のシャッター速度・絞り・感度の検査微調整・レリースユニットの交換等々

どの辺が元のカメラなのってくらいになって帰ってきましたが、まだレンズとのマッチングや

露出・ピントの癖に馴染めていませんので自分の写真になっていません。

坂戸民商祭りでは、我笑さんはフレーミングも露出の振り巾もピント位置もどんピシャリはまったのですが、

真舞会では思うにまかせず、露出は不本意・ピンとは久しぶりにまるごとマニュアルフォーカスで後ろ向きに歩きながら

長い隊列の深いところにピンスポットでピントを合わせていくなんてスリリングな体験が出来ました。

流し一本で脂汗びっしょりでした。

ピントも露出もマニュアルでもライカ版パトローネの頻繁な交換や500マガジンを装填しなくてもいいわけだし、

現像料も掛からないなんていい時代です。まあ、シャッターを切ったらすべてが決まるというような写真を撮っていたので

帰宅してパソコンにおとすまで画像を見ることはないんですけどね。

それでも二時間みっちり後ろ向きのスクワットを続けて、三日くらいは下半身が筋肉痛でしたけど。


夏になりますねー

取り込める波長域が広くなり情報量も増えるからポンコツカメラにもそれなりの情報量が飛び込んでくるのでしょうね。

その中から生きているもの・生かしたいものだけを見出す作業が出来るのは嬉しいですね。

あっ、窓の外が明るくなった。

睡眠不足のまま仕事かぁ。週明け早々きついなぁ。







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2012-06-05 02:20:10 | よさこい
気持ちは目に見えます。

気持ちは人に伝わります。

気持ちは写真に写ります。

その時点で誰にでも認識できるようになり

その時点から永遠に存在することになります。

怖いよねー

だからこそ、渾身の一瞬が煌きます。

このブログ(フォトチャンネル)は“神威”をご覧戴く為に作ったので役割は果たしました。

演舞する人達に「貴方方の演舞はこれほどの力があるんだよ」と客観視して自覚して認識してもらうこと。

演舞を見た人達に「貴方方の見た演舞はこんなに凄い演舞だったんだよ」と再認識してもらうこと。

まだ演舞を見た事のない人に「こんなに凄い演舞があるんだよ」と興味を持ってもらうこと。

そう思ってもらえるように心掛けて撮っていますが、未完で未熟ですね。

このブログを“観客の目線で感動を”楽しみながらキャパ一杯(無料の3Gb)まではフォトチャンネルにアップします。

スライドショーにして画面を拡大してご覧ください。

26インチくらいまでは画面一杯の大きさで見られると思います。

撮りたい写真。

2012-06-03 19:01:24 | よさこい


熊谷での演舞の一コマです。
二度のストリートのうちお昼は真っ白に
夕方は真っ黒の画像をイメージしていたのですが
あろうことか、主人の意に反してお昼のストリートをカメラがボイコット。
おかげで、夕方のストリートはハチャメチャ
でも一枚ならハチャメチヤ加減はわからないから。

六月五日
結局、フォトチャンネルに全部UPしちゃいましたが、あえてこの写真なんです。
自分のイメージしたとおりの写真ですが、この写真の力は、自分の技量なんかじゃないから。

六月六日
撮りたい演舞と、撮りたい写真は別のものですね。
演舞は踊る皆さんの中にあって、こちらは受け止める側。
写真は自分の頭の中や体の中にあって、うまくすれば表現できる・・・かもしれない。

今日は、ふと考えた。
もし、俺がそれくらいの年齢でこの演舞を見ていたら、観ているだけで済ませたくないかもしれない。
ダンスセンスがあったり、自分の思いを身体全体で表現出来るのなら やっちゃってるかも (笑)
“かっこいい”ってそういう 憧れ の気持ちなのかなってね。

余談だけど、以前 弟がエアロビクス&ジャズダンスをしていた頃に、発表会の写真を頼まれて撮ったりしたんだけれど
みんなの写真をたくさん撮ったのに、弟を撮った写真だけが別の次元みたいにイイ写真(シャッタータイミング)だったりして
不思議に思ったことがあったけれど、普段から同じ間合いで同じ空気感でいるから呼吸が読めるんだよね。
気合を入れたり、緊張を解いたり。

相手が何かを考えてイメージを頭の中に浮かべる為に瞼を閉じようとすることを感じとって、
機材のタスムラグや自分がシャッターをレリースするまでの神経伝達時間を読んで、
どんビシャリに画像を収めたり出来る関係になれたなら本当に気持ちのかよった写真が残せるでしょうね。

ライブハウスに通い詰めていた頃は、ミュージシャンの呼吸・ブレス・息遣いを感じる・同じ息遣いでいるって大切で、
一緒に悲しんで、一緒に喜んで、一緒に楽しむ。
その為に会いにいくんだものね。

俺の場合は、写真を撮ろうとすると写真にならなくて、
一緒の気持ちでいたいだけ かもしれない。