がんばってママになろう!!

劇症1型糖尿病の私がママになるまでの日々を
日記につけていこうと思います。

発症するまで2

2005-08-22 18:00:16 | 発症するまで
体が落ち着いてから内分泌代謝科に入院した。
私はそこで病名がしらされました。
『劇症1型糖尿病』

糖尿病はよく聞く病名だが
前につく、『劇症1型』に頭はハテナ?だった。
糖尿病には、1型、2型の2通りある。

日本人に見られる糖尿病の大部分は2型糖尿病で
生活習慣病と呼ばれているのはこちらの糖尿病です。
1型糖尿病はインスリンを生産する膵ランゲルハンス島の
β細胞が何らかの原因で破壊された結果、
インスリンの不足を来して発症する糖尿病です。

うーーーん。。。。
こんな説明じゃむずかしいですよね。
私的な言葉でいいますと、
普通の体では、膵臓からインスリンというホルモンが出るんですが、
私の体では、インスリンがでないんです。
出ないもんはどうしようもないんで、
注射で外から足してあげるだけの話です。

インスリンは、血糖値を下げる唯一のホルモンなんです。
そのホルモンがなくなると血糖値はあがる一方。
そのときの症状は、喉が渇く、水分をとりまくる、
尿が頻繁にしたくなる、体重がへる。
そのまま放置すると、昏睡状態に陥ってしまったりします。

1型糖尿病は、数ヶ月の間で破壊されていく。
劇症1型糖尿病は、数時間から数日で破壊されて
一気にインスリンが出なくなってしまうんです。
私の症状は喉が渇く、のみまくる、はきまくる、4キロ体重へる。
こんな症状でした。

1型糖尿病は10万人に1人、その内劇症型の人は2%にあたるそうです。
すごい確立ですよね。。。
そんなの引き当てるなんて、
すごいというかなんというか。

わが子を失った悲しみと治ることのない病気で、
どん底に落とされた気持ちでした。
もう、死んでしまいたいとも本気で思った。
救急車で運ばれたとき、血糖もかなりあがって、
意識もうろうとしてた私が生きていられたのは
きっともう1度がんばれって
逝ってしまった子供の分も生きろってことだったのかもしれない。
落ちるとこまで落ちた。
あとはのぼって行くだけだ。
そういいきかせた。

入院中、主人は毎日来てくれた。
それがうれしかった。
いつも何気ない話、あほみたいにしゃべってた。
変な形に乾いたタオルなんかも持ってきてくれた。
一人でがんばってくれてた。
だから、私もがんばんなきゃって。
この人と一緒になれて本当によかったって思った。
これからもがんばれるって。

発症するまで1

2005-08-21 11:33:11 | 発症するまで
今日は私のこと話したいと思います。

一昨年の12月末妊娠が発覚しました。
それから何事もなく、臨月まで順調に育っていました。
去年の7月6日、2週間に1度の定期健診でした。
その時は元気いっぱいに動き回るわが子が
超音波写真に写っていました。
その日の夕方、ちょっと調子が悪いかな?と感じました。
が、あまり気にせずすごしていました。
次の日食欲はなく、水分ばっかりとっていました。
あと、嘔吐がかなりひどく飲んでは嘔吐を繰り返していました。
あまりにもひどく病院にいくことにしました。
7月7日の14時ごろだったと思います。
着いてすぐ検尿、採血、体重測定、血圧測定。
超音波をみると・・・・
わが子の心拍がありません。
ケトン体4+、血糖値489。
ここでは他の検査が出来ないということで
救急車で市立病院に運ばれました。
体はフラフラし、意識はありましたが、
状況はのみ込めてませんでした。

着いてすぐいろいろと検査され、
赤ちゃんは亡くなっていました。
でも、血糖値が高すぎて意識がもうろうとしてたせいか
悲しいとか辛いとか全然ありませんでした。
個室に運ばれ、いろいろと点滴やらされて
落ち着いてきたころ涙があふれてきました。
なにがあったん?赤ちゃんは?
私なんでこんなとこにいるん?
昨日まであんなに元気だったのに、
なんでなん?なんでなん?
私が悪いん?
ママになれるって思ってたのにいきなりなんなん?
おなかを触っても動くことすらない。
本当に辛かった。
死んでしまいたかった。
私が殺したんだ。私が悪いんだ。
そう思った。

7月8日の夜に陣痛の薬を投与され
7月9日正午に私にそっくりの男の子が。
その時は逢わせてくれませんでした。
旦那は抱かせてもらったそうです。
かなりむくんでいたようです。
苦しかっただろうに。ごめんね。
11日に火葬しました。
その前に冷凍で保存されていたわが子を
抱くことができました。
小さくて本当に私にそっくりで。
本当は会わさないほうがいいと私の親が言ってたそうです。
でも、私は逢いたかった。謝りたかった。