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アセンションへの道 PartIII

人類の更なる進化について考えます。

二度目のバドリナート(2)

2023-10-11 14:11:22 | お知らせなど

 9/21日以降、アシュラムでの日課は以下の通りである。
6:30 マントラ/バンダ/プラーナヤーマ/瞑想
8:00 朝食
朝食後は各種日替わり行事(マントラヤグナやトレッキングなど)、昼食は各自で適宜とる
15:30 アーサナ(ポーズ) (写真1)
17:15 プラーナヤーマと瞑想
18:30 夕食
19:30 先生の講義
20:00 キールタン  (写真2)
写真1:アシュラムのヨーガルーム

上、写真2:キールタンの主役ナーラダとパウロ



 因みに、ブラジルのアーチャリア、ナーラダはブラジルのクーニャという町に広大なアシュラムを持ち、40人ほどがそこで生活を共にしているそうだ。あと50人ほどの受け入れ余裕があると言っていた。

 9/21日の夕食のことである。アーサナを行う広い部屋(100畳ほどもあろうか)で丸くなって床に座っていると、その中心部に大きな蓋付きの鍋(電子ジャーほどの大きさ)のようなものに入った夕食が持ち込まれた。すると先生がおもむろにそのすぐ前に座り、皆への給仕を買ってでた。誰かに給仕させれば良いと思うのだが、なぜ自らそのような役目を引き受けたのだろうか?筆者はこの時、先生がアーサナのリードを最初に買って出た時のことを思い出し、豁然と悟った。先生は、弟子に対してすら「奉仕」する姿勢を見せたかったのだ。聖書を読んだ方であれば思い出すかも知れない。
 以下、ヨハネ第13章からの引用、イエスが弟子の足を洗った最後の晩餐の時のエピソードである。
「3. イエスは、父がすべてのものを与えてくださったことと、自分が神のもとから来て、また神のもとに帰ろうとしていることを知り、 4. 夕食の席からゆっくり立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれました。 5. そしてたらいに水を入れ、弟子たち一人一人の足を洗い、腰の手ぬぐいでふき始められたのです。シモン・ペテロの番になりました。ペテロは言いました。『主よ。足を洗っていただくなど、もったいなくてとてもできません』・・・」
 上記に対する解釈は様々かも知れないが、イエスは「奉仕」の重要性を弟子たちに教えたかったのだ、と筆者は考えている。ヨーガにおいて奉仕は、バクティ・ヨーガ(信愛行)の一つとされ、五体の内の霊体を浄化する非常に重要な修行である。また、仮に霊的に優れた資質を備えるようになったとしても、決して慢心してはいけないという戒めの意味もあったのだと思う。ここに至って筆者は、なぜこれまで先生が75歳の老体に鞭打って、率先してアーサナをリードする役目を3日も連続で引き受けたのか、はっきりと理解した。
 因みに、このアシュラムでの最初の晩と次の晩の食事はなぜか味付けが今一つで、筆者はアリに「アシュラムの夕食は一寸頂けないね」とつい愚痴をこぼしてしまった。するとアリから、次のような回答があった。「マズイ食事も、苦行の内なのでしょうね」と。正しくアリの言う通り、恥ずかしながら筆者は40歳ほども年下のルームメイトに一本取られてしまった。

 9/22日は昼少し前にバドリナートの市街を歩き回り、先生はこれまで使ったことのある比較的美味しい食堂の場所を幾つか皆に示してくれた。その帰り、何人かはバドリナラヤン寺院(写真)へ立ち寄り、内陣(写真)で本尊(ヴィシュヌ神と言われる)を礼拝、筆者も5年ぶり、二度目の礼拝を行ったが、先生は内陣までは入らなかったようだ。因みに先生曰く、「インド人の多くの人が、占星術師などの助言で、ヒマラヤの四大寺院(バドリナラヤン寺院はその一つ)を訪ね、願い事を行うが、その99%は厄除けやご利益目当てなのだ」と言っていた。筆者の祈りはいつも大体決まっている、「健康で死ぬまでヨーガの修行を続けられますように」。
右、バドリナラヤン寺院

写真左:バドリナラヤン寺院の内陣

 午後になって、今回初めてのマントラヤグナが行われた。ヤグナ(火の儀式)はアシュラム滞在中に都合3回行われた。ここでは火を囲んで、ババジのマントラを、リード役を替えながら1時間半ほど唱え続ける。これもバクティ・ヨーガ(信愛行)の一つで、霊体を浄化する働きがある。ババジのお膝元で行うマントラヤグナは格別の意味があるのであろう。後に最後のマントラヤグナの写真を掲載する。

 9/23日は、マナまでバスで行き、ヴィヤーサという聖仙がここでマハーバーラタを口述してガネーシャがそれを自分の牙で筆記したという言い伝えがあるヴィヤーサ・グーファという洞窟(写真)を訪問予定だったが、筆者は体調が悪く、アシュラムでゆっくり過ごしていた。写真はアリから貰ったもので、写っているのは、カナダのダニエル、同じくカナダのシリーン(セリーヌ)、そしてブラジルのパウロ。

写真右:ヴィヤーサ・グウファ

 9/24日はヒンドゥー教の司祭をアシュラムに招き、その儀式に則ったヤグナを実施(写真)。中央付近の黒いベストを着たインド人女性の右に立っているのが筆者とよく一緒に食事を共にしたオーストリア在住のヒーラー、ステファニー。後に筆者のオーラ見てコメントしてくれた。


 9/25日は、ヴァースダーラ滝へのトレッキング。標高が高いうえかなりの強行軍と聞き、筆者は最初から参加を諦め、事前に先生の了解を得ていた。参考までにウィキのURL を掲載しておく。 
 その日の夕方の講義のことだったと思う。先生から次のような興味深い言葉が出た。「踊りやキールタン(節をつけたマントラを唱える音楽)を実施すれば人は100人集まる。ハタヨーガだと15人。瞑想だと5人程度だ」。つまり、以前我々がリシケシで見た別のヨーガのグループは、歌や踊りで多くの人を集めているが、先生は少人数ながらも、一握りの特別に意識の高い人達のために、衆に阿ることなく、最高の技法を堅持して行くのだということを言いたかったのだと思う。

 9/26日は定例のサーダナ(ヨーガの修行)以外の行事はなく、多くの参加者はニーラカンタン峰(写真)などにそれぞれのペースで登って行ったようだ。因みにニーラカンタンはシヴァ神の別名。その日筆者は相変わらずアシュラムで自身のサーダナを行っていた。
右:ニーラカンタン峰

 9/27日はアシュラムで過ごす最終日、午前11時から最後のマントラヤグナを行った。その写真を掲載しておく。右に立つのは後に登場するスリーダー


 9/28日は、バドリナートを後にして、中間地点のルドラプラヤーグに移動。途中で小さなホテルの前でバスが停まったので、何があるのかと思っていたら、先生は弁護士と打合せのアポがあるという。他のメンバーはその間ホテルのカフェでコーヒーをご馳走になりながら、弁護士との打合せが終了するのを待った。偶々同じテーブルに着いた夫婦でエストニアから参加していたご夫婦と話をしたところ、ご主人は地学の教授だということだった。地学者の間で現在最も問題視されている課題は何なのか尋ねたところ、レアアースは無論のこと、地球上の金属資源が枯渇しかかっており、これにどう対処するのかが最大の課題なのだと言っていた。
 弁護士との打ち合わせが終わり、先生がその打合せの内容を説明してくれた。どうやらインド政府はバドリナートを観光地として再開発し、観光客を更に呼び込んで税収を上げようとしているらしい。その一環で、観光客用のヘリコプターが始終大きな音を立てていることが住民の間でも問題になっている(
実際我々もヘリの騒音に多少悩まされた)。そこで政府を相手取って、少なくもヘリコプターの飛行を制限するよう裁判に持ち込むことを弁護士と話して決めたということだった。ここでも先生は、タミールシッダの教えに基づくクリヤーヨーガの生き方を、身をもって示された。即ち、ヴェーダーンタにおいては、悟りを開いた後、或いはその過程でも、はサンニャーシン(世捨て人)になって、世間との関係を完全に断つことを理想としているが、タミールシッダの教えにおいては、悟りを開いた後でも俗世に貢献していくことが求められる。
 この日にブラジルの輝く星、ナーラダと一緒にホテルのロビーで撮影した写真を掲載しておく。



 9/29はルドラプラヤーグからリシケシへ移動。その日の朝ホテルの外の広場で行ったサーダナの様子と、リシケシへの途上に立ち寄った、川の中に建てられたダーリーデヴィ寺院(本尊はカーリー女神のようだ)の写真を掲載しておく。
 リシケシのホテルの屋外広場にて

写真右:川の中のダーリーデヴィ寺院
左:並んで礼拝所に入るところ

 その日の夕食は、例によってルームメイトのアリ、ステファニー、アムリットと共にリシケシのホテルのレストランで摂った。皆それぞれが好きな料理を注文し、皆で少しずつ分け合って多くの種類を楽しむのが既に慣例になっていた。既に筆者はインド料理にかなり辟易していたので、辛い中華料理とチャーハンを注文したと記憶している。その夕食の席で、ステファニーが突然口を開いた。「ヴァースデーヴァ、あなたのオーラが来た時より更に広がっているわ」この彼女の言葉は、今回の巡礼の苦労を全て打ち消すほどのインパクトを持って筆者の胸に響いた。ついでにどんな色が聞いてみたところ、「金色が混じっている」とのことだった。10年ほど以前、横浜在住の有名なカウンセラーに見て貰ったときは紫色だと言われたが、2年ほど以前には或るヨーガ教室の生徒さん(ババジの声を取り次いでくれたIさん)から、金色も有ると言われていた。いずれにせよ、この巡礼で筆者の魂(霊体)の浄化は更に進んだようだ。ところが、今回の巡礼には未だちょっとした苦難が待ち受けていた。

 9/30日は、ハリドワールまでバスで行ってラヒリマハサヤ・アシュラムとアーナンダ・モイ・マーのアシュラムを訪問予定だったが、インドの連休と重なり、渋滞が酷く、片道少なくとも2時間はかかるとのことで、急遽中止になってしまった。
その日の晩はアリに誘われて、10人ほどのメンバーと共に、町のインド料理の店に行くことにした。この巡礼の間、筆者がレストランで食事をする時は、できるだけインド料理以外を注文することにしていたため、一向にインド料理の名前を覚えられない。比較的無難と思われるマサラドーサを注文したのだがやはり口に合わず、喉を通らないので皆に失礼し、先に一人でホテルに戻り床に就くことにした。昨晩からアリが、「ホテルの部屋にどうもネズミがいるようだ」という話をしていて、筆者も部屋のどこかでカサカサ・コトコトする音は聞いていたので、ダーリーデヴィ寺院でもらった余り美味しくないプラサードのお菓子をネズミ寄せのためにわざとTVの近くに置いておいた。
 いつものように10時前には床に入り、熟睡したと思ったところ、突然耳に激痛が走った。余りの痛みに目を覚ますと、枕付近で何かが動く気配がしている。隣のベッドで寝ていたアリも起きてネズミのことを話している。まさかと思いながら左耳の中に手を当てると血がついている。どうやらネズミに耳を噛まれたらしい。アリに話すと、早速薬を付けた方が良いと言って、抗生物質を含む傷薬をくれたので、さっそくその薬を耳の中に塗り込んだが、更に出血は酷くなっていた(しかしその後暫くして出血は収まった)。ついでにと言って、アリは呼吸器疾患用の抗生物質までくれた。アリがそんな抗生物質の薬を持っていたこと自体、奇跡だと思った。
 アリがフロントに電話し、別の部屋に移してくれと交渉したが、生憎空いている部屋が他にない。仕方なく、別館のヨーガルームにベッドを二つ運び込んでもらい、そこで朝まで寝ることにした。夜中の1時頃のことである。

 翌日ホテルの支配人が到着するのを待って、昨晩のことを話すと、「医者に行って注射を打って貰えば大丈夫だ」という。しかしバスの発車時刻は1時間後くらいに迫っていて、そんな時間があるかどうか分からないので、帰国後医療保険を使えるように、ことの顛末を書状で残しておいて欲しいと依頼すると、渋々応じてくれた。
 当日早朝のサーダナには出席できなかったので、ネズミに噛まれた話しをアリから先生に伝えてもらった。その後先生の指示でスリーダー(ダラスに2年前に移住したインド人で当然ながらヒンディー語を流暢に話す。今回通訳かつ先生の秘書として八面六臂の活躍をしてくれた)が筆者のところに来て、再度支配人と交渉し、近くの医院にスリーダーも一緒にバイク三人乗りで駆け付けることになった。既に数名の患者が居たが、スリーダーが事情を説明すると、医師は「You will be OK」と言いながら、優先的に注射をしてくれたが、筆者はそんなことで本当に病気にならずにすむのか、疑心暗鬼になっていた。

 長い巡礼の旅を終え、羽田に到着したのが翌10/2日の朝6時半前後、モノレールとJRなどを乗り継いで自宅に戻ったのは9時頃だった。早速かかりつけの医者に診てもらったところ、「その注射は、破傷風の予防注射でしょう。1か月後にもう一度打っておきましょう」ということだった。インドの空港で分かれる間際、スリーダーから帰国後すぐ医者に行き、その結果をメールで連絡するよう言われていたので、その報告を先生等も含め関係者にしたところ、スリーダーから直ぐに返信があった。「あなたがインドで打った注射は破傷風の予防接種に相違ありません」これで筆者の不安はかなり取り除かれた。おそらく筆者は、これまでに小動物をいじめたことがあり、今回その報いを受けたのだろう。これで悪業が一つ消え去った、と思えば良い。

 以上が巡礼の顛末だが、今回の巡礼で筆者が気づいたことを総括しておきたい。
  • 特別意識の高い人のために、BKYの技法を最高水準に維持しておきたいという先生の熱意に触れ、筆者もそれに習わなければならないとの使命感を新たにした。
  • 先生の弟子に対してすら奉仕しようとする姿勢に感銘を受けた。多少修行が進んだとかオーラが広がったなどと言って慢心に陥ることなく、謙虚な気持ちで今後とも修行を続けたい。
  • ガンジーは南アフリカから帰国する際、彼の奉仕活動に対する返礼として自宅に送られてきた贈り物を、「奉仕の生活には奉仕自体が報酬なのだ」と言ってすべて送り返したという。それと同様、巡礼の功徳も巡礼自体の中に含まれている。但し巡礼は信愛行ながら、苦難と苦行を伴う。

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