アセンションへの道 PartIII

人類の更なる進化について考えます。

お知らせなど  南インド巡礼の旅のご案内

2024-07-07 11:05:32 | お知らせなど
巡礼とはそもそも我々の魂(霊体)に働きかけ、それを浄化するのみならず、巡礼地のパワーを頂く強力な信愛行(バクティ)です。そして、ババジのクリヤーヨーガを実践する者にとっては、特に①ババジの生誕地(パランギペッタイ)、②最初の悟りを開いたスリランカのカタラガマ、③そして最後に究極のソルバ・サマーディを達成したヒマラヤのバドリナートの巡礼が最重要です。
更に詳しい内容を知りたい方は、サッチダナンダ師の記事を参考にして下さい。

ところで、

この程、カイラス旅行社にお願いして、南インド巡礼の旅を特別に企画して頂きました。何が特別かと言いますと、定番のアルナーチャラ山とオーロビンドアシュラム・オーロヴィルに加えて、通常のツアーではとても訪問できない、ババジの生誕地のパランギペッタイにあるババジ寺院と、ムルガン神(ババジはムルガン神の化身と言われています)及びババジのグル、ボーガナタルを祀ったパラニ(以下の写真)を訪問先に付け加えて頂いたことです。



日程は以下の通りです。因みに、この時期の南インドは暑すぎず、乾燥していて訪問するのには最適なシーズンです。




月日(曜)      
発着地     
時刻   
交通   機関
摘要
1
 1月19日(日)
      

成田空港発  
デリー着


11:30
18:10

AI307
午前9時、成田空港第二ターミナルに集合
空路、デリーへ
入国審査、通関の後ホテ  ルへ          
ナシ・機・夕            (デリー泊)
2
 1月20日(月)
     
デリー 発
チェンナイ着
ポンディチェリー着
05:45
08:35
12:00
AI439
専用バス

空路、南インドのへ
着後、専用バスにてポンディチェリーへ
昼食後、オーロビンド・アシュラムとマトリ・マンディールにご案内しま す。
機・昼・夕         (ポンディチェリー泊)
3
 1月21日(火)
     
(パランギペッタイ)
(ババジアシュラム)



専用バス
朝食後、パランギペッタイのババジ寺院を訪れます(ポンディチェリーから約1時間半の距離)
クリヤーヨギにとっての聖地です。

朝・昼・夕        (ポンディチェリー泊)       
4
 1月22日(水)
     
ポンディチェリ発
ティルヴァンナマライ 着

終 日


朝食後、アシュラムをご案内します
ラマナマハルシアシュラムをお楽しみください

朝・昼・夕        (ティルヴァンナマライー泊)
5
 1月23日(木)
     

ティルヴァンナマライ

終 日

希望者はアルナーチャラ山の周りを巡礼を
お楽しみください
朝・昼・夕        (ティルヴァンナマライー泊)
1月24日(金)
ティルヴァンナマライ発
パラニマライ  着

08:00
12:00
専用バス
バスにてパラニ・マライへ 丘の上の、ムルガン神とボーガナタルを祀った寺院を訪れます。

朝・昼・夕          (パラニマライ泊)
1月25日(土)
パラニマライ   発
コインバトール  着
コインバトール  発
デリー   着
デリー   発
09:00
12:00
15:10
19:50
23:00
専用バス

AI539

AI306
専用バスにてコインバトールへ

空路、デリーへ

帰国の途へ
朝・X・夕  (機内泊)
1月26日(日)
成田空港  着

09:45

無事に帰国、お疲れ様でした。

機・X・X
日程表

  • 時刻は全て現地時刻です。インド時間は日本時間―3.時間半、日本時間が正午の時、インドは午前8:30です。
  • 列車など現地の都合により急に変更となる場合があります。
  • ホテルは下記ホテルあるいは同等クラスとなります。

ホテル
デリー:Hotel Lahmod Mahipalpur Delhi
ポンディチェリー:The Residency Tower Pondichery
ティルヴァンナマライ:Ramana Ashram
パラニマライ:Ganpat Grand Palani








興味のある方は、カイラス旅行社HPから資料請求し、詳しいパンフレットと申込書を郵送して貰って下さい。

尚、ババジ所縁の巡礼地は、前述の通り①パランギペッタイ(生誕地)、②カタラガマ、③バドリナートですが、2026年にはカタラガマ巡礼、2027年にはバドリナート巡礼をカイラス旅行社に企画して頂く予定です。

最後に、7年前に筆者が南インド巡礼の旅に参加した時のブログもご紹介します。

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ヨーガ教室のご案内

2024-07-01 08:32:57 | お知らせなど
皆 様、

9月のヨーガ教室等の日程が決まりましたのでご案内します。
最近出席者が増え、駐車場に車を停めることができないケースも
ありました。静修センター管理者に連絡・確認の上、参加して下さい(^^
尚、センター維持費として一人¥1000の参加費を頂きますが、
初回受講料は無料です。



9/9   (月) 18:00 ハタヨーガ教室
9/11(水) 14:00 ハタヨーガ教室
9/14(土) 14:00サットサンガ (イニシエーション受講者対象)
9/21(土)15:00 ハタヨーガ教室 (垣内氏担当)
9/28(土) 15:00 ハタヨーガ教室 (垣内氏担当)


更に、基礎ヨーガ教室(毎週火曜、10:30~11:45、参加費¥1500)も開催します。 日程を確認の上参加して下さい。



  ヴァースデーヴァ






 


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第4章 イスラーム教の研究 ⑫シャリーア(イスラーム法)vsハキーカ(内的真理)

2024-05-25 09:33:36 | 第4章 イスラーム教の研究
  前稿においては、「内面への道」を目指すシーア派において、その悲劇的な歴史背景も手伝って、著しくパセティックな心情と、自分たちは異邦人なのだという潜在意識が見てとれるということを説明した。本稿においても、井筒俊彦氏(著者)の『イスラーム文化』(同書)を要約・参考にしながら、イスラームの「内面への道」を掘り下げていきたい。

 エソテリックという言葉がある。内側に向かうという意味であるが、仏教に顕教と密教(真言宗など)の違いがあるように、イスラームにも同じような区別があり、アラブ語ではこれを「ザーヒリー」(表に現れた)と「バーティニー」(中に潜んだ)と言う。つまり、「バーティニーなイスラームとは、内面に向かう、秘教的な、密教的なイスラームということ」になる。この点を同書から引用しながら更に説明を進めたい。

◇◇◇
 イスラームの公の顔ともいうべき顕教については・・・いちばん大切な基礎概念、あるいはキーワードが「シャリーア」(イスラーム法)であることは、皆様もうご存知だと思います。このシャリーアに対しまして、イスラームの秘密の顔ともいうべき密教のほうで中心的位置を占めるキーワードはハキーカ(です。)
 ハキーカとは普通のアラビア語では真理とか、実体とか、実相とか、リアリティーとか言う意味。・・・問題のコンテクストでは、一応「内的真理」とか「内面的実在性」とでも訳したらいいかと思います。とにかく、「シャリーア」と「ハキーカ」、この二つのキーワードを通じて、「外面への道」を行くウラマー(筆者注:『コーラン』の研究・解釈を専門とする学識者)の宗教観と、「内面への道」を行くウラファー(筆者注:霊感によって、事物の内面的リアリティーを把握しようとする者)の宗教観とが、イスラーム文化史の中においてこの上もない鋭さで対立するのであります。・・・
◇◇◇

 このハキーカ(内的真理)について、著者は以下のように説明している。

◇◇◇
・・・すべて外的なものは内的なもの自己表現の場所である。ここで内的なものとか不可視のリアリティーとか申しますのは一種の形而上的エネルギーのようなものでありまして、形而上的エネルギーである限りにおいて、それはどうしても自己を外に向かって表現し、表出せずにはいられない。それが外的事物として現象してくるのであります。
 外に現れた形の背後あるいは奥底にあって、それを裏から支えている内的リアリティー、それをハキーカと名づけるのであります。・・・「内面への道」を行く人たち(筆者注:即ちウラファー)にとっては、世界に見出されるあらゆる物、事物でも事態でも、事件でもが、このような外面的、内面的の二重構造をもっているのでありまして、もちろん宗教もそのとおり、イスラームもその通りです。シャリーアすなわちイスラーム法はそれ相当の存在理由をもって存在しているはずでありまして、「内面への道」を行く内面主義の人達も、一概にシャリーアが悪いとは申しません。・・・ふつうはただ、ウラマーたちがやるように、シャリーア即宗教としてイスラームをそのままシャリーアに還元してしまう態度、それを外面主義として非難するのであります。ハキーカのないシャリーアは生命のない抜け殻にすぎない、というのがこの人たちの信念です。
◇◇◇

 それではこのハキーカを奉ずる内面主義の人たちが一つのグループにまとまっているのかと言うと、それもまた違うのだという。その一つが、これまでも触れて来たシーア派であるのは勿論であるが、それ以外に、スーフィズムとして西洋で知られているイスラーム神秘主義がある。そこで先ずはシーア派を取り上げて説明するが、これも幾つかの派に分岐していて複雑なので、同書においては、その中で文化史的に一番重要なもの、16世紀の初めから現在までイランの国教として活躍してきた「十二イマーム派」を取り上げる。

 著者はここで改めて、イスラーム文化の特徴としての、「聖典解釈学的文化」を持ち出し、シーア派は諸派の中でも特に、「意識的に解釈学的」なのだと説明する。つまり、『コーラン』を読む場合、必ずそのもう一段奥に「内的意味」を探ろうとする。この内的意味とは、「秘密の意味、つまり秘教的(エソテリック)な意味のことであり、こうした解釈により、『コーラン』のテクストがしばしば、通常のアラビア語の知識ではとても考えることもできないような異常な意味を持って」くるという。その理由は、シーア派の人たちが、『コーラン』の中にも、ハキーカを認めるからであり、これがシーア派のシーア派たる所以なのだという。更に、『コーラン』には秘教的、エソテリックな深みが七つの層をなして重なっていると言われており、こうした深みゆえに『コーラン』は暗号の書物なのだと言う。そしてこの暗号解読、つまり外面的意味から内面的意味に変換する解釈学的操作を、タアウィールと言うそうである。これをさらに説明すると、「普通の人間の言葉で表現され、外面化された神の意志を、もとの神の意思そのもの、いわば啓示の原点に引き戻す」ということだと言う。タアウィールのあとに現れてくる世界が、聖なる世界である、という主張である。この続きをまた同書から引用する。

◇◇◇
・・・第一、外面派のウラマーたちのように、イスラームを共同体の宗教として社会化し、法制化し、政治化すること自体が、本来純粋に内面的であるはずのイスラームを世俗化すること以外の何物でもないわけです。つまりスンニー派の構想するようなイスラーム法的世界は、宗教世界ではなくて、実は政治的権力の葛藤の場であり、紛れもない世俗的世界であるとくことになる。こうしてシーア派は、その根本的立場上、聖と俗をはっきり区別するのでありまして、この点において、スンニー派と完全に対立します。
◇◇◇

 確かにそう言われてみると筆者もその通りだと思う。人類が極めて意識の高い人々だけで構成されている?と期待されている未来社会においては、聖俗不分の原則を貫くことも不可能ではないかも知れないが、少なくとも現状を見る限り、現代においてすら、人類の意識がそこまで到達しているとはとても思えない。

著者は続けてスンニー派とシーア派の現世感を比較している。

◇◇◇
 スンニー派の見方では、現世がそっくりそのまま神の国、少なくとも本来的には神の国であるべきものなのです。そこに聖も俗も区別はない。だから、人間生活の現実がもし罪と悪とに汚れているとしても、それは偶然的、愚有的な汚れであって、人間の決意と努力次第で正しい形に立て直していけるものであります。・・・このスンニー派的な現世肯定、現世構築の態度を、シーア派はそのままの形では決して正しいものとは認めません。・・・彼らにとって現世は存在の聖なる示現と俗なる示現との葛藤の場、というよりむしろ、現世は ― タアウィールによって内面化され、象徴的世界として見直されない限り、 ― 完全に俗なる世界であり、存在の俗なる示現を代表するものとして、存在の天上的な次元とあくまで戦うことを本性とする悪と闇の世界である、と考えられるのであります。善と悪、光と闇の闘争という古代イラン、ゾロアスター教の二元論的世界表象が、極めて特徴ある形でイスラーム化されてここに働いていることが認められます。ただゾロアスター教的二元論と異なるところは、この闇と悪の現世が、そのハキーカ的深層においては、そのまま善と光の存在示現であるということです。ですから究極的には二元論ではなくて一元論です。何と言ってもイスラームは絶対一神教なのであります。しかしながら、これは存在のハキーカを体認した霊性的達人の見処でありまして、一般人にとっての現世は決して光の国ではありません。
◇◇◇

 つまり、霊性進化の修行を遂げた達人にとっては、それが元イスラーム教徒であったとしても、一元論(ワンネス)の認識に到達することができると解釈して良いと思う。



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第4章 イスラーム教の研究 ⑪内面への道とシーア派の心情

2024-05-24 10:30:03 | 第4章 イスラーム教の研究
  前稿においては、イジュティハードの門という聖典解釈に対する制限の問題を取り上げたが、「イスラームの内部には最初期から、このような宗教の形式化に正面から反対し、対決してきた精神主義の潮流があり、現代もその生命力を失っていない・・・それは、猛烈な実存的内面主義の傾向、イスラームの精神性を守っていこうとする精神主義の傾向」であるとの説明で終わった。その続きを本稿においても、井筒俊彦氏(著者)の『イスラーム文化』(同書)を参考にしながら、適宜引用し、コメントを加えて行く。

 但し、その前に、『コーラン』はメッカ期とメディナ期で、その醸し出す雰囲気がかなり異なっていることについて、すでに本章にて説明ずみながら、再度纏めておきたい。以下、簡略に箇条書きにしてみる。最初がメッカ期、⇒以降がメディナ期の特徴である。

  1. 神との直接契約(主人と奴隷) ⇒ 預言者を介して神と間接契約、その後同胞としての契約
  2. 終末論的(現世否定)⇒ 現世の心象が明るく変化
  3. 峻厳な正義の神 ⇒ 慈悲と慈愛に満ちた恵みの主
  4. 神への畏れ ⇒ 神への感謝
  5. 自己否定 ⇒ 自己肯定
  6. 個人の信仰 ⇒ 共同体(ウンマ)に組織された信仰
  7. コーランは警告 ⇒ コーランは導き

そして本稿で取り上げる「内面への道」は、メディナ期の精神に基づく「宗教を社会化し、政治化し、法制化し、・・・イスラーム法にまで仕立て上げていった正統派ウラマー(注:『コーラン』の研究・解釈を専門とする学識者)」たちが行って来た「外面化」へのアンチテーゼのような形で、むしろ内面的視座を重視しようとする人たちの間に出て来たと著者は言う。そしてこの「内面への道」を重視する人達は、ウラマーに対し、ウラファー(単数形はアーリフ)と呼ばれている。このウラファーは、「合理的、分析的思弁に頼らず、むしろその彼方に、事物の真相(=深層)を非合理的直感によって、・・・簡単に言えば霊感によって、事物の内面的リアリティーを把握して知っている人のこと」であると著者は言う。換言すると、「ウラファーとは、宗教をその霊性的、あるいは精神的内面性において体認しようとする人たちを意味」している。神秘主義と言い換えても良いかと思う。以下、同書から引用する。

◇◇◇
 こうして内面的宗教、内面化された宗教を第一義的なものとするウラファーたちは、ウラマーたちのシャリーア(イスラーム法)至上主義、すなわち宗教としてのイスラームをそのままシャリーアと同一視、法即宗教と考えるウラマーの律法的精神に反発し、これと激しく対立するに至ります。・・・
 しかしその反面、・・・考えてみればこの二つのまったく相反する文化パターンの矛盾的対立があったからこそ、イスラーム文化は全体として外面と内面、精緻をきわめた形式と深い形而上的霊性とをともに備えた一つの渾然たる文化構造体になることができたともいえるのであります。・・・
 イスラーム文化内部のこの矛盾的対立の一方の極を代表するウラマーたちは、イスラームをそっくりそのままシャリーア体系に集約してしまうことによって、これに強固な社会制度としての形態を与え、それを世界史に有名なサラセン帝国の基礎として確立することに成功した人たちでありまして・・・政治の分野では体制派であり、保守勢力を代表します。
◇◇◇

 一方でウラファーは外面主義者ウラマーに対抗する立場にあったため、その時々の政治的主権体制に反抗することを余儀なくされ、『コーラン』の教えに背く背信者、異端者として迫害されたようである。そのためか、「内面への道」を行く人々の間に生まれ育った文化パターン、イラン的イスラーム(シーア派)の文化パターンには悲劇的雰囲気がまとわりつき、運命的悲壮感のようなものが流れているそうである。また彼らは、ウラマーたちによって打ち立てられた共同体機構のなかで、自らを異邦人として感じ、そう自覚することが正しいとしていたようである。著者によれば、「一般に内面への道をとる人々はみな大なり小なり自分たちがイスラーム共同体に置ける異邦人であることを意識している」とのことだ。

参考までに、登場人物が多く、少々込み入っていて長いが、以下シーア派の悲劇を代表する「カルバラーの戦い」をネットから引用しておく。因みに、引用文中のイマームとはシーア的霊性の最高権威者を指す。

◇◇◇
 イスラーム教団の正統カリフ時代、4代目カリフのアリーは、ムハンマドと同じハーシム家の出身で、その娘ファーティマの夫であったので、最も正統的な後継者として支持する者も多かった。しかし、ハーシム家と対立していたウマイヤ家出身の第3代カリフ・ウスマーンの暗殺の黒幕であるとみなされ、ウマイヤ家の後継者ムアーウィヤはアリーのカリフ位を認めず、自らカリフを称した。
 アリーはムアーウィア討伐の戦いを起こすが、ウマイヤ側の停戦の申し入れを受け入れた。それに不満で戦いを主張したハワーリジュ派によってアリーが暗殺されたため、ムアーウィアは唯一のカリフとなった。ムアーウィアが680年に息子のヤズィードにカリフ位を世襲させることにした。
 アリーの死後、アリーの血統の者のみをムハンマドの後継者であり、教団の指導者イマームであるとする人びとは、その長子ハッサンを2代目イマーム、その弟のフサインを3代目のイマームとして擁し、シーア派を形成していた。
 フサインは680年、ウマイヤ家のカリフを認めず挙兵した。両者の戦いはバグダードの南約90キロの地点でのカルバラーの戦いとなったが、フサイン軍は敗北し、殺害された。ウマイヤ家はこの勝利によって、世襲王朝としてのウマイヤ朝の支配権を確立することとなった。

(以下引用)両者の戦いは、ヒジュラ暦61年ムハッラム月10日(西暦680年10月10日)におこなわれた。70余名のフサイン軍と4000のウマイヤ朝軍では、勝負の結果ははじめから明らかであった。しかもユーフラテス川への道を断たれたフサイン軍はひどい渇きに苦しんでいた。朝からはじまった戦いは昼過ぎには終わり、女・子供を残して、フサインとその従者は全員が殺された。フサインの首級はダマスクスへ送られ、首実検がすんでから40日後にカルバラーへもどされた。その遺体はフサインの血を吸い取った戦場に葬られ、やがてそこにはモスクが建ち、シーア派の人びとがお参りする聖なる墓所として現在に伝えられている。

3代目イマームのフサインが、カルバラーの戦いで戦死した命日であるイスラーム暦ムハッラム月10日は、シーア派の信徒にとっては特別な日であり、いまでもアーシュラーという追悼祭が行われる。その日はフサインの殉教を悼む劇が上演され、信徒は涙を流し、さらに町に繰り出してフサインの痛みを体験するために自らの身に鎖を打ち付けて血を流しながら練り歩く。これはスンナ派にはない、シーア派独特の行事である。
◇◇◇

 こうした歴史もあるためか、シーア派の人々の歴史感覚は著しくパセティックで、「預言者ムハンマドが世を去って以来、自分たちの歴史、というよりイスラームの歴史そのものが正義に反する、歪められた、間違った歴史であり、自分たちは根本的に間違った世の中に生きてきたのだし、今も尚生きているのだという感覚が彼らの深層意識に常に伏在している」と著者は言う。更に、「また同時に、異邦人であることによってこそ、自分たちは本当に意味でのイスラーム教徒なのであるという誇りがここにはある」のだと著者は言う。


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第4章 イスラーム教の研究 ⑩イスラームの法と倫理 イジュティハードの門

2024-05-22 13:20:31 | 第4章 イスラーム教の研究
  前稿においては、「ハディース」というムハンマドの言行録(預言者逸話集)も、聖典『コーラン』に準じて参考にされることになり、これらの解釈においては、その解釈学的操作を支配する精神と、解釈の原理の立て方によって学者の取る見解が非常に異なり、正統派イスラームには四大法学派があり、シーア派には独自の法体系が生まれたという処まで説明した。引き続き井筒俊彦氏(著者)の『イスラーム文化』(同書)を要約しながら適宜コメントを加えて行く。

 このイスラーム法は、原語では「シャリーア」と言い、元来の意味は「水場への道」つまり、砂漠のなかで水飲み場に通じている主要道路を表した言葉だったそうである。これが比喩的に使われ、「シャリーアは神が人間の為に開いた道、永遠の生命の源に通ずる道、人生の砂漠のなかでそこを歩んでいきさえすれば決して誤りに迷い込むことのない道」を意味していると著者は言う。以下同書から引用すると、

◇◇◇
 要するに、人間が人間として歩むべき正しい道でありまして、この名づけ方からもイスラーム法の本源的な倫理性が伺われます。すなわちイスラーム法は第一義的には人間の、というよりも共同体のモラル、つまり人間をその社会性において道徳的に規制する社会生活の規範体系なのです。
◇◇◇

 さらに著者は、イスラーム法の性格を次のように述べている。

◇◇◇
 イスラーム法は神の意思そのものを命令と禁止の体系として形式化したものですから、それが本性上、宗教法であることは言うまでもありません。ただ、・・・イスラームでは聖と俗との区別を立てませんから、宗教法とはいいましても、人々の日常生活の隅々までその規制力が及びます。
◇◇◇

 先般女性に対するヒジャブ着用の義務が海外のニュースで話題になったことは記憶に新しい。我々は普段の生活において、法律に違反するかどうかなど殆ど気にしないが、イスラーム社会において、「少なくも敬虔な信者である限り、人は法を意識することなしには、日常生活すら生きることができない」と著者は言う。その例として挙げられているのは、メッカ巡礼のやり方、ラマダーン月の断食の仕方、日に五回の礼拝の仕方、更には結婚・離婚・再婚・持参金・遺産相続・不要義務など、家族的身分関係を律する細かい規則がある。加えて、商法関係では、契約の結び方、支払いの仕方、借金の仕方など、更に日常生活になると、装身具、香料の使い方、挨拶の仕方、孤児の世話の仕方、果ては食事のあとのつま楊枝の使い方、トイレの作法まで規制されているそうである。読者諸賢も、こうした細かい規則の下では息が詰まるのではないかと心配になることであろうし、筆者など多少のところは目をつぶって多めに見て欲しいと思ってしまうが、イスラームにおいて「法を犯し、法を無視することは、単に社会的秩序を乱すというようなことではなくて、宗教的背信行為」なのだそうだ。それでは、こうしたイスラーム法に改正の余地或いは少なくも聖典解釈の自由はあるのだろうか?

 その答えは断固としてNoである。どうやら9世紀の中頃、「法律に関する限り、聖典解釈は絶対にしてはいけないと、聖典解釈の自由が禁止」されたそうである。この、個人が自由に『コーラン』と「ハディース」とを解釈して、法的判断を下すことを、法学の述語で「イジュティハード」と呼び、この自由な法的判断を禁止することを、「イジュティハードの門の閉鎖」と呼ぶのだという。そして著者はこれを評して、「聖典の自由解釈を禁止して・・・活発な論理的思考の生命の根を断ち切られてしまった。イスラームは、文化的生命の枯渇という重大な危険に身を晒すことになるのであります。事実、近世におけるイスラーム文化の凋落の大きな原因の一つでそれはあったのです」と述べている。そして19世紀の半ば以降、「閉鎖されたイジュティハードの扉をもう一度開かなくてはならないという声が、イスラーム世界の方々に上がり始めた」とされている。そして、ラシード・レダーという現代アラブ世界きっての論客は、「イスラームのルネサンスは、ひとえにイジュティハードの門を開くことにかかっている」と主張していたそうだ。但し、イランのシーア派イスラームだけは例外で、はじめからイジュティハードの門を閉じることはしなかったそうである。

 しかし一方で、イスラームの内部には最初期から、このような宗教の形式化に正面から反対し、対決してきた精神主義の潮流があり、現代もその生命力を失っていないそうである。それは、猛烈な「実存的内面主義の傾向、イスラームの精神性を守っていこうとする精神主義の傾向であり、筆者なりの言葉を使うとそれは神秘主義的な傾向である。これを著者は同書において「内面の道」として取り上げているので、次回以降これをテーマとして解説を進めて行きたい。


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