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島倉千代子

2016-03-18 13:22:05 | 興味深い話題





 島倉千代子【しまくら ちよこ、本名:同じ、昭和13年(1938年)生~現在、東京都出身】は、美空ひばりより1歳年下であったが、音楽シーンへのデビューは美空ひばりが11歳(昭和24年)だったのに対し島倉千代子は16歳(昭和30年)と6年遅れだった。
しかし、デビュー曲「この世の花」は半年間で200万枚を売り上げる大ヒットで、昭和30年~34年までの4年間で127曲をリリースするという驚異的ペースであった。

この間記憶に残るヒット曲も「りんどう峠」(昭和30年)、「東京の人よさようなら」(昭和31年)、「逢いたいなァあの人に」(昭和32年)、「東京だョおっかさん」(昭和32年)、「からたち日記」(昭和33年)、「思い出さん今晩は」(昭和33年)、と続き、一方、美空ひばりは昭和32年の<塩酸事件>に遇い、映画は別としてヒットを続けてきた歌も昭和30年~34年の間は「港町十三番地」くらいの一服状態で、島倉千代子の歌の勢いはこの時点では美空ひばりを完全に凌駕していた。美空ひばりにはサトウ・ハチローのように根強い<アンチひばり派>も多く、それらの人々が泣き節の島倉千代子に流れたともいえる。その後、「哀愁のからまつ林」(昭和34年)、「恋しているんだもん」(昭和36年)、「襟裳岬」(同年)、「星空に両手を」(昭和38年)、「ほんきかしら」(昭和41年)、「愛のさざなみ」(昭和43年)、「竜飛岬」(昭和46年)、「鳳仙花」(昭和56年)「人生いろいろ」(昭和63年)と「愛のさざなみ」以後は間遠になったものの、昭和末期まで大ヒットをとばしている。

①昭和の歌手生活:34年(現在まで全53年)、
②第一線で活躍:40年、
③最初のヒット曲から最後のヒット曲までの黄金期:32年、
④波瀾度:未熟児で生まれ、戦争で長野に疎開中右腕切断に近いような怪我をする。腕が動かないので大きな所作は不可能で、動きの少ない演歌歌手として<コロムビア全国歌謡コンクール>で優勝、「この世の花」で大ヒットデビュ-。舞台過多からか声が出なくなり失踪、ファンのテープを目に受け失明寸前となる。阪神タイガースの藤本勝巳と結婚する前に3度の中絶、そして3年で離婚、友人に実印貸し16億円の負債を抱え、2年後またも騙されて2億4千万円の負債。姉敏子の自殺、乳癌の手術、友人にまたまた騙され多額の借金を背負う繰り返し、で波乱度:大。
⑤吹き込み曲:2000曲。


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