こんにちは。
今日もようこそいらしてくださいました。
このブログのメッセージに関しましては、私の方から質問をしない限り、創造主である、「父」からのお話の主題は常に「愛」についてです。
今回もそうです。
これまで長い間、正直なところ、愛を親切に丁寧に説いていただいても、ピンと来ない、と申しますか、毎日の生活を送るのが精一杯で、今更、愛について伺っても、私の生活も、心境も、申し訳ありませんが、ほとんど変わることはないでしょう・・・と思っておりました。
しかし、振り返りますと、随分、変わりました。
今ならよく分かります。
心が安定してまいりました。怖れも怒りも、少しは減少しております。
死も怖くなくなりました。病気には、なりたくないですけど・・・。そうです。
病気にならないためにはどうしたら良いか、も少し分かってきたような気がします。
随分、分かってきたことが多くなりました。
皆様の中には、かつての私のように、こんな愛について知ってなんになるのかしら・・・とお思いになる方がおられるかもしれません。
でも、きっと深い理解が得られることでしょう。
いろいろ示唆に富んだ、深いお話が伺えることでしょう。
人生のこと、人とは何か、そして人のご縁とは・・・等々。
どうぞ、今日もごゆっくりお時間をかけられてお読みいただけますように。
願わくは、繰り返し、何度も。
今日も訪れていただいたことを感謝申し上げます。
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それでは始めましょう。
今日のメッセージは、やはり愛についての言及になりましょう。
愛はすべてに対しての癒し効果をもたらす点について述べましょう。
この癒しというのは、人にとって最も大切なことの一つと捉えられます。
つまり、人は癒しなしには生きていけないということです。
それでは、一体、そもそも癒しとは、本来、何なのか・・・です。
癒しは本来、愛なのです。それはもうご存知、あるいは推察のお出来になることでしょう。
愛はすべてを癒します。
癒しの本質は、愛のエネルギーです。
また、ここであなたの疑問、「そもそも愛というのが明確にならない限り、愛のエネルギーといってもはっきり解らない・・・」といった思いがありますね。
そうです。
また、ここで愛とはなんぞや、をおさらいしておきましょう。
愛とは、すべてを生かしめ、あるいはそれ以前のすべてを起生・・・生じせしめ・・・現象を起生し、そして育み・・・そして、その本来の目的を実行させ得るエネルギー・・・それが愛です。
「なお、分からない・・・なおさら分からなくなる説明だ・・・」ですね。
あなただけでなく、どなたもその思いを同じくするかもしれません。
それでは、これではどうでしょう。
愛とは、すべてを生かしめ、すべてを愛し、すべてを本来の目的を遂げるための原動力である・・・。
「愛を説明するのに・・・すべてを愛し・・・が入るのはダメでしょう・・・」ですね。
愛のエネルギーは、私のエネルギーです。
一つの原点から、すべての現象を生じせしめ、本来あるべき姿にさせ、あるべき様に拡大成長せしめ、本来の目的である、私の所に戻り、同一化するための原動力・・・であります。
さて、そこで、本題に戻りましょう。
癒しとは、ですから、私の愛を受け取ることです。
私のすべてを生かしめる元の力を受け取ることです。
私の力をただ受け取り、あなたの生活に生かしめれば、どんなに素晴らしい効果があるのか?
それが難しいのでしょう。
愛を受け取れないことから、どんなに多くの困難や支障が生じているか、多くの人はご存じありません。
愛とは、ただ心をオープンにし、自我から一旦離れ、すべての原点の気持ちに還ることで、
どんなにあなたがすべてから自由になり、本質に戻ることができるのか・・・
是非とも、知って、これからのあなたの生活、毎日に応用して頂きたいものです。
では、どうやれば、そうできるか?
毎日の生きる上で出てくる困難、支障を取り去る、あるいは軽くすることが出来るか?
をお教えしましょう。
あなた方は、毎日、しかめ面をして、真面目に誠実に・・・と思って物事に対応したり、問題を解決するのが良い態度、生き方だと思っておられます。
そうではありません。
本質的なものを忘れて、誠実さや真面目さがあっても何の役にも立ちません。
愛から離れては、何も良い方向へは向いていかないからです。
愛を離れて、勝利はあり得ません。
戦争に勝って・・・も本当の意味の勝利ではないということです。
お互いを傷つけ合って、その傷つける度合いが大きい方が勝つとしたら、それは何という誤解も甚だしい事でしょう。
勝利とは、愛を知り、行い、成長することです。
愛とはすべてを凌ぐ力だからです。
すべてを行う際に、愛を中心に据えて、そこから物事を判断し、方向性を定め、実行したら、世の中が徐々に改善されるのは間違いありません。
すべての人の心に安寧や、お互いを思いやり、助け合う気持ちがあれば、すべてはうまく行くのです。
病気や、心の病、そして、軋轢、戦争が無くなっていくでしょう。
そうです。
心の病・・・そして、身体の支障・・・
これらも、元はと言えば、お互いが、愛という観点から外れた生活の中での交わりや活動、生活から生じてくるものなのです。
心を、正しく愛に置き、皆が協調すれば、病は癒えていき、ついには消えるものなのです。
そういう風に、人は創られているのです。
すべてを癒す元、それが愛のエネルギーだからです。
それでは、実際に皆があくせく毎日を動き、疲れ果て、家庭に戻り、気まずい思いで、各々が勝手な思いで行動したら、どうなるのでしょう?
当然の結果が生じてくるのはご存じの通りです。
それが今の世の中の状況でしょう。
皆が富を目指し、より多くのものを所有し、より高みに向かって、ありんこの競争のように、皆で前へ前へと、ただやみくもに歩いているように見えます。
少人数の人が声を上げて「違いますよ・・・この方向は間違っていますよ」と言っても、ザワザワという多勢の音に遠く及ぶことはありません。
方向を少しでも外れようとすれば、押されて踏みつぶされてしまうのが現状でしょう。
ではどうしたら良いか?
祈りなさい。
思いなさい。
皆で希望を持ち合うのです。
そういう街に、そういう暖かい社会にしたいと希うのです。
一人一人が、そして皆で本当の心の本音を伝え合うのです。
確かに物質社会で、お金がなければ貧しくなり、口に食べ物が入らず、死んでしまいます。
そんな社会はそもそも間違っているのです。
私は、皆に充分なだけを与えております。
すべての人に平等に行き渡れば、誰の手にも充分な程の糧を与えております。
それを平等に・・・
搾取したり、されたりすることなく・・・
平和に・・・
あるべき場所で、あるべき生活がされれば・・・
手には充分な食物が残るようになっているはずです。
しかし、残念にも、そういう風に現状はなっておりません。
力のある者は、ない者から横取りするように持って行き、貧しき者はより貧しく、富める者はより力を持っていく・・・という循環が見られます。
声を上げるのです。
もっと助け合おうよ・・・と、
富める者は充分なだけ取り、余ったものは他の人に渡しましょう・・・と。
そして、すべての人が個々の有り様でゆっくりしたり、急いだり、好きな様にしても良いのです。
すべての人が学びのプロセスにあります。
学びのプロセスの中で、病を得たり、得なかったり、貧困になったり、困難や支障に出会ったりしています。
学ぶのです。
自らの手で学ぶことです。
どうしたら愛をもっと糧にできるか、と。
愛はすべてを生かしめるパワーです。
抽象的、形のないもの、捉えどころのないものだけではありません。
目にも見え、
形にもなり、
食物にも、道具にも、薬にも、毒にもなり得るものです。
どう使うかは、あなた方の手に委ねてあります。
油とするか、水とするか・・・
それを如何に役立てるか・・・
すべて、あなたの手に委ねてあります。
地球には様々なものを備えさせています。
その源をどう使うか・・・もあなたの手に委ねてあります。
その愛のエネルギーの一つの形が地球であり、
空気であり、
資源であり・・・
すべてです。
それらを如何にあなた方の手で掘り起し、使い、役立てるかは、あなたのお心次第です。
さて、癒しに戻りましょう。
愛とはすべてを癒す・・・のはこうです。
愛は根源の、すべてを生じせしめる力ですから、すべてのマイナス要因をも生じさせたり、プラス要因を生じさせもします。
どちらを生じるか・・・も、あなたの手の中に委ねられています。
癒しは、愛に中心を据えて、そこから考え、思い、行動することで、自然に生じてくるのです。
どう思うか、どう考えるか、どう使うか・・・はあなた次第です。
私は、
すべての人に必要なすべてを用意し、
与え・・・
あなたの手にお渡ししてあります。
それをどうお使いになるか・・・
私はとても興味深く見ているところです。
親が子供の成長を観察する暖かい目です。
どうぞ、私の望う成長を、わが子が少しずつ、遂げますように・・・と、
私はいつも願っているのです。
ですから、心の病や、身体の病に、不都合、困難、支障に出会い、
迷い、困惑しているわが子を見るのは、とても忍びない思いでおります。
願わくは、一刻も早く、ご自分の胸に手をそっと当て・・・私は思い違いをしてはいないか・・・考えてみて欲しいのです。
そっと、私も手をお貸ししましょう。
願い、祈る方には私はいつでも分からないように・・・秘かに・・・助けの手を差し伸べるでしょう。
それが親心というものです。
それでは、今日のところはこれ位にしましょう。
(後略)