わたしたち自身がソースであり
すべてがひとつ。
このことを忘れて
個である
という錯覚の中で楽しむゲームが、わたしたちの”生"
ソース、内側に気づいていて
わたし自身がソースであり、
他のすべて(と思っているもの)もソースであり、
ソースとはひとつということを思い出していると、
不安感はありません。
わたし自身の様子や気持ちに気づいて、
つらい時、さみしい時こそ、
内側の愛にふれましょ。
それは、
気づいている時もいない時も
常にここにあります。
求めよ、さらば与えられん
求める、とは与えられることを前提にしています。
求めたら、与えられることを信頼して、求めるものそのものだけを思い、感じます。
求めるものを、自分で作り出そうと考えあぐねることは、
与えられることを疑っています。
また、求めるものそのものでなく、その手段を見ています。
求めるものそのものだけを思いましょ。
そして、どんな風にやってくるかは、お任せしちゃいましょ。
それから、一旦忘れちゃう。
ここ大事。
忘れて、なんか楽しいことに没頭しちゃいましょ。