シンクロニシテイ馬の骨

どこの馬の骨とも知れない男にも言わずにおけないことがあるのです

同窓会名簿「連絡先不明」の文字

2005-07-05 04:25:46 | Weblog
何年かに1回、もう何十年も前に卒業した札幌市郊外の高校の同期同窓会の案内が、埼玉県に住むわたしのところへも名簿とともに送られてくる。

参加したことはないのだが、名簿を見ていつも気になるのは名前の後ろに続く住所欄が空白になっている、、、と言うか「連絡先不明」とさりげなく書かれている人たちのことだ。

名簿には卒業後の年月が重なるとともに備考欄に「死亡」の記述が増えていき、あいつもか、と背中や脇の下がすかすかするような妙な気持ちにさせられるのだが、それでも死亡という確定したもので心のすわりはそんなに不安定ということはない。

ところが「連絡先不明」は、どうにも据わりが悪い。
しかも連絡先不明が、1クラス40人近く並ぶ中に3つも4つも虫食いのようにあると、どうしているのだろうと生意気盛りだったころの顔を思い浮かべながら落ち着かなくなるのである。

隣りのクラスのそんな「連絡先不明」のなかの1人に「S]という女子生徒の名がある。
卒業までわたしと一緒に美術部に籍を置いていた娘だった。
同じ年でありながらわたしより間違いなく2歳以上は年上であるかのように大人びていて、描く絵も、がむしゃらにもてあます肉体エネルギーをぶつけるだけのようなわたしの絵とは違って、いかにも繊細で鋭くしかもどきりとするような黒い油絵具の使いこなしは高校生離れしていた。
たぶん仲間たちもみな一目置いていたと思う。

Sとは美術部室で突っ張りあい言い合いばかりしていたような気がするが、2人きりになると奇妙なことに周りにみんながいるときのように気楽に言葉が出てこない。
お互い男と女であることを意識しないように無理していても、そうはいかなかったと言うことだったか。

卒業を翌年に控えた秋、北海道には珍しく雨が3日ほど降り続いた。
雨の降り始めから2日間Sは学校を休んだ。
Sのいない美術室で絵を描いていても身が入らない。
我慢できなくなって3日目の放課後、雨の中をSの家へ向かった。
はじめて見るSの家はしっかりしたつくりの落ち着いた2階家だった。
表札を確かめ少し迷った末に思い切って玄関の戸を少しあけ声をかけると、上品な感じのお母さんらしき人が姿を見せた。

Sは風邪で熱を出していたという。
今日になって少し下がってきたからと、お母さんは2階に寝ているというSにわたしの来訪を告げに行きすぐ戻ってきて、どうぞと言う。
まさかSの部屋に上げてくれるとは思わなかった。
畳の部屋だった。壁際の机の周囲は女の子らしい飾りがほとんどなく、本棚など実用一辺倒に素っ気無く纏められている。あとはSの描いた絵が重ねたまま壁に寄せて立て掛けられているだけだ。
同年代の女の子の部屋を見るのは初めてだったが、なんだかほっとした。乱雑さはないが、これじゃ俺の部屋とあまり変わらないじゃないか。

Sは首まで布団に入れて寝ていた。
のぼせたようなピンクの顔色で、まだ熱があることが分かる。
大丈夫かい、とかなんとか気の利かない言葉しか出ない。
うん、とSも照れたように言葉が少ない。

お母さんがお茶と菓子を置いて部屋から出て行くと、いっそう言葉が出にくい。
胸の中には言葉になる前の思いがいっぱい詰まっているのに、言葉に変換されなくて何か息苦しい。
「もっとこっちへ来て」
布団の胸元を少し下げ手を出しながらSが言う。
布団から1メートル以上も離れて座っていたのだ。
後ろから引かれる力に逆らうようににじり寄って布団のそばまで近づくと、Sの手がすっと伸びてわたしの手を掴んだ。その掌をSの額に押し付けた。
「熱あるでしょう」
「うん、熱い」
「あなたの頭、わたしの頭に付けてみて」
顔を近づけることは唇が接近することでもある。
さっきから頭に血が上っているが、もう混乱状態で何をしているか分からない。
恐る恐るSの額に自分の額を押し付ける。
自分の顔全体が熱くなっているので、相手の額が熱いのかどうか判断できない。
いや、そんなことはもうどうでもいい。
Sの手がわたしの顔をひきつけたのか、あるいは自分の頬を押し付けてきたのか、二人の頬が隙間なくくっつき互いの顔が歪んだ。
しばらく時間が止まったようにそのまま。自分から何か次の行動を起こさなければ、言葉をかけなければ、とふっとよぎるが何も出来なかった。
そしてやがて、わたしの顔をひきつけていたSの手からゆらゆらと力が抜けていった。
わたしは顔を上げ体を起こした。
Sの唇は触れていないのに、本当に紅く見えた。
いつもの強い光でわたしに視線を向けると、Sはいきなりいつものはっきりした言い方で絵の話を始めた。
わたしはいつものようには応じられず、珍しく一方的な聞き役に回って1時間近く布団の脇で過ごしてから、その部屋を出た。
外はすでに雨がやんでいて、わたしはすぼめた傘をぶら下げ幸せな気分で帰った。

何があったわけでもない。
額とほっぺたをくっつけあい、熱があるかどうか確かめ合っただけのことだった。
その後もSとの付き合いは、それ以前と変わることなくつづき、卒業とともに会うこともなくなった。
ほどなくわたしは札幌を出た。

それから10年くらいは、同期同窓会名簿にSの住所が以前どおりに出ていた。
苗字も変わっていなかったから結婚はしていないはずだった。

そして11年目ころ「連絡先不明」に変わったのである。
Sという苗字が変わっていないところを見ると、少なくとも「連絡先不明」になるまでは、結婚していなかったのだろう。
 
いまどこでどんな暮らしをしているのだろうか。
幸せにしていればいいのに、と願うが、、、どうもそうではない可能性のほうが強いような気がしてならない。
「連絡先不明」の5文字がそう思わせるのである。
「死亡」という文字がつけられていないことだけが、少しの救いなのだが。

 2005.7.5 4:20AM  馬の骨









コメントを投稿