目白バースハウス日記

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授乳中の脇の下の腫れ

2023-10-06 11:59:18 | 日記
ご質問があったので、お答えしますね


授乳中、分娩後2日位から何となく脇の下にポテッと大きな柔らかいしこりのようなものが出来てしまって……

という方。副乳です、と言われて冷やすような指導かあって、アイスノン使う方が多いのですが……

その殆どは腋窩リンパ節の怒張しているためと思われます。
冷やしても痛いだけだし、おっぱいも固くなってくる。それはリンパ液を冷やしてしまったから。

リンパ液ら全身を巡ってますので、なにもない時に冷やしたら問題が大きくなり、痛みは増してきます。

リンパ節にはリンパ液の入るリンパ管かあります。腫れてきたのはおっぱいがたくさん出てきて、又はおっぱいが腫脹してきたので、それでリンパ管が押されて潰されて、リンパ液がながれなくなったから、それだけです。

冷やさないでリンパ管の閉塞を戻してあげれば良いだけです。それだけで脇の下のしこりは改善するはずです。

それでも改善しない時には何らかの問題があると、思うので、受診してくださいね。

お産は続くよ、満月の効果

2023-10-01 20:53:29 | 日記
中秋の名月
流石に影響力は強そう

昨日も可愛い男の子が真夜中に誕生しました。陣痛が10分おきに来るようになってから6時間あまりのスピード出産。
出血も殆ど無くて、子宮の収縮も良好

今日はまだ赤ちゃんが初期嘔吐があって、お昼までは羊水を出してましたか、今はいい感じておっぱいを吸ってます。

元気で素晴らしい。

自宅の方も今日でケアが終わって一段落しました。今度は2週間健診でお邪魔することになります。

夕ご飯は、出産後の体力回復のために、今日は少しお肉が多めです。そして黒米入れた餅系のご飯でおっぱいの活気を促します。

新生児訪問  赤ちゃん訪問

2023-09-29 18:17:10 | 日記
1ヶ月30〜60件の新生児訪問に行っていたことがあった

20年も昔だから、今の状況とは違っているかもしれないけれど。今は母親側の産後鬱や妊娠期の精神的ストレスを主に見ているような気がしているが、その当時は新生児や母親側の疾患も同時に観ていた。

新生児訪問指導員の中でも、どういう訳か異常と思われる症例や緊急に対応が必要な症例が比較的多かった。

その頃にであった症例によって、緊急対応の必要性や処置が身についた気がする。

また今行っている新生児の舌マッサージについても、その頃の自分だったから対応策も考えられたのかもしれない。
舌マッサージを行うことで、舌だけではなくて、口頭咽頭などにもいい影響が起こり、呼吸することを少し楽にさせてあげることが可能になるのかと推測できる。

筋膜リリースや体の構造など、学べたこと、また大きな肉屋に産まれたことで、肉の解体を見ることも出来て、筋膜の重要性がある程度理解できていたのも良かったのかもしれない。
もちろん3〜4歳の子供の時代に見た父の仕事のことが脳裏に焼き付いているのは、珍しいかもしれないが、(生後6ヶ月からの記憶が、断片的にあるのは、心に残っていることが多いのかもしれないが)役立つ方向に使えば、考えなくても手が動いてしまう事にもなるから、かなり役にはたっているとおもう。

ありがとう、ありがとう、

2023-09-29 17:54:19 | 日記
アフリカに行ってたスタッフが、また遊びに来てくれたり、舌マッサージの研究について教えてほしいと言われたり。

嬉しいことの連鎖で、やる気!が出てきて、今日は凄く楽しいしうれしい。

斎藤一人さんの言葉ではないけれど、私が楽しくなかったら仕事も始まらないからねー。

嫌なことがあっても、顔には出さないで〜なんて言うことは私にはできないから、直ぐに口に出してしまう。

それでも分かってくれる人が多くなれば、私は幸せ。

最近は電磁波まみれの人も多くて、陣痛が来なかったり、神経系やホルモン系の異常が見られたり。本当に困ったものです…
感じるままに、それをクライアントさんに話して、皆さんわかってくれてるし、色々な解消法を行ってくれるから、その点は評価できるし、一応安心してるけれど。

来週はイスラエルから友人の助産師さんが話に来てくれるし、国際色豊かな楽しそうな週になりそう。

それまでには英語である程度普通に会話出来ると良いな〜。
なんて、来週の事なのに!!!

千葉への往復、今日はミカさんと一緒だったから凄く楽だった。ありがたいです。










笑顔、あなたの笑顔は?

2023-09-26 23:55:34 | 日記
12年前のこと

私は笑う事って、単に口角を上げることだと思っていた。

心から笑ったことなどもう50年無かったから

50年前の私の座右の銘、『泣くこと厳禁』

泣くことは許されなかった。泣けば家族や従業員から嘲りの、見下した笑いが起こること。それは心に刺さることだったから

悲しいこと、辛いことがあっても、それは何も感じない様に心を閉ざしていた、いつも。

家は安らぎの場所ではなく、自分の部屋さえも、土足で入りこまれてしまう場所だった。日記も無断で読まれて、自分の知らないところで拡散される。

そこでは笑顔である必要は無かった。

当然のことに自立の道を選んだ。そうしなければ活きられなかったから。

それからずっとこの道を歩いてきた。

そう、12年前のあの時に言われた言葉、「笑ってごらん」。
そして口角を上げた私に対して、「それは笑いじゃない」

「心からの笑いじゃないでしょ?
目が笑ってないよ……」

それから笑って良いことが分かった。なにも制約なく、嘲りも、噂話も感じる事無く、笑顔ができるようになってきた。

そう教えてくれた人は、もう肉体を持っていない。ニライカナイに旅立った。

今も、いつも思い出す。
色々沢山のことがあったけれど、やはり出会えたことは感謝でしかない。

ありがとう、楽しかった思い出の積み重ね。