every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

ヤンキー VS. サブカル

2013-02-16 | 雑記
いやぁ、先日の『ミュージック・ステーション』凄かったですね。ある意味、"完璧な絵に似た"映像でした。"感じたかった僕たち"の琴線にビンビン触れるパフォーマンスでした。

*引用元が分からない方は、何らかの方法で『我らが時』を聴いてください。

倖田來未 / ラブリー - Mステ


とりあえず、倖田さんの発言は迂闊すぎます。炎上マーケティングでしょ? と斜に構えてもいいのですけれど、彼女は不用意な発言でCMが中止になったり、活動を自粛せざる得なかったりという経験があるので、もうちょっと言動に慎重になってもいいと思うのですよ。

PVが大根仁さんをはじめ"渋谷系"に思い入れにある人からブーイングの嵐だったことは分かっていると思います。
それを踏まえて、

「これ、絶対アレンジしたらメッチャかっこ良くなるな!」と思って。また生まれ変わるというか、倖田來未っぽくなるんじゃないかと思って。
っていうのはウッカリすぎるんじゃないでしょうか。

あるいは面の皮はと化粧は厚くても人間性は薄っぺらいというか......。
この発言は要するに「原曲のアレンジは(いま聞くと)ダサい」と言っているように聴こえるのですが、それでいいんでしょうか?
「ラブリー」は作詞・作曲・編曲:小沢健二なんです。それを踏まえるとカバーする楽曲の作者に喧嘩売るような台詞吐いていいの? っていう感じです。

それとも「Betty Wrightの仇はウチがとったで!」という感じなのでしょうか?




自分の立場を書いておくと、BLOGのタイトルからお察しがつくように小沢健二にはそれなりに思い入れがあります。しかし、"オザケン"にはそういう感情はないです。一切ないといっていい。

"オザケン"っていうのは「渋谷系の王子様」というイメージです。ディスコグラフィ的に言えば『Life』から「大人になれば」くらいまでが全盛期の。

小沢健二の音楽が一般に知れ渡ったのは「今夜はブギー・バック」なわけですが、この曲が発売された当時は、どちらかというとスチャダラパーが主役な受け入れ方だったと記憶します(・・・・・・ちょっとこれを傍証するソースは手元にないのですが)。

それが「ボキャブラ天国」(フジテレビ)の主題歌になり、「愛し愛されて生きるのさ」がヒットし続く「ラブリー」で"J-POPアーティスト"としての地位を確立したと記憶しています(この年の紅白にも「ラブリー」で出ている)。

自分は捻くれているし、その時代はテクノ小僧だったので、"オザケン"にはそこまで反応できなかったのですけれど、"ヤンキー"はここではじめて"オザケン"に反応したんだろうと思います。


小沢健二 - LOVELY


......ということを踏まえて、倖田來未のカバーは改めて「ラブリー」をサブカル側から、ヤンキー側に取り戻す作業だったのかなと思います。「取り戻す」という動詞が適当かどうかは? ですけれども。


大根仁さんをはじめ"サブカル"側の人がビビッドに反応したのも、そこかなと。
言わば「俺たちの"オザケン"をお前らがとっていくなよ!」というルサンチマン的な言動ですね。

当の本人はそのどちらからも超然とした(いまの言葉で言うなら)"リア充"なので「そうか、そうか」と悠然と構えているだけだと思うのですけれど。




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