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have a nice break

最近の投稿より、書き始めて間もない頃の記事の方がよっぽど面白いと思います(笑)

80年代の音楽の魅力

2009年05月10日 11時38分35秒 | Weblog
今年もゴールデンウィークはどこにも行かずじまいであった。たまったビデオを観たり、仕事の調べもので終わってしまった。

家で仕事をするときは、音楽を流しながらすることが多い。単に流すだけの場合は、スカパーのスターデジオからハードディスクに適当に溜め録りしたものを使っている。ここ数ヶ月は、80年代を中心に録音していた。

私の好きな歌手(ただの歌手をアーティストと言いたくないので、あえて歌手と表現している)は、今までのブログに書いてきたとおり、ほとんどが70年代後半から90年代前半に活躍した人たちばかりだ。この時期に中・高・大学時代を過ごしているのだから、ある意味当然であると思っていた。

でも、当時聴いたことがなく、今になって初めて聴いた曲でも、80年代の音楽は心地よく感じることが多い。例えば、昨日は、80年代から現在までをシャッフルして聴いていたのだが、飯島真理のセシールの雨傘や南佳孝の二人のスローダンスが流れたりすると、初めて聴くにも関わらず、仕事の手を止め聴き入ってしまった。

どうやら青春期を80年代に過ごしているので、80年代及びその前後数年の音楽に特に反応するのだろうと結論づけようと思ったが、そう言えば、何年か前に10歳年下の女性とカラオケに行ったときに、彼女が「私は80年代の曲が好きなんです」と言っていたのを思い出した。一世代下の人もそう思うのだから、80年代の音楽特有の魅力があるのかもしれない。それって何だろうとさっきまで考えていたのだが、私に関する限りの結論が出た。

当時と今の違い、というよりも、90年代中盤から現在にかけて私が魅力を感じていない音楽、それは小室サウンドであったり、またヒップホップ系の音楽であったりする。これらに魅力を感じて来なかったから、余計にそれ以前の音楽が懐かしく感じられているように思える。

私にとっては、これもまた失われた10年なのだろう。

デジタルWOWWOW

2009年05月03日 11時52分55秒 | Weblog
前にも書いたが、私はプロジェクターで映画を観るのが好きだ。480Pまでしか投影出来ない安物だが、映画に集中すると細部の画質まで気にならなくなるので、リビングの46インチ液晶テレビよりはプロジェクターで観る方が多い。

1月にパナソニックのブルーレイレコーダーを買った。その際、店員にワウワウの15日無料視聴を勧められ、結局、2ヶ月だけ加入した。パナソニックでいうところのHX画質だと、1枚のブルーレイに映画3タイトル、HE画質だと4タイトルをダビングすることが出来る。いずれフルハイビジョン対応のプロジェクターを買える日が来るかもしれないので、その日に備え片っ端から録画していった。

しかし、録画すると観たくなるのが人情というもの。仕方なく46インチテレビで観ることにした。観ながらふと思ったのだが、DVDはプロジェクターで普通に観ている。汚くて観られないとは思っていない。それなら、ブルーレイもフルハイビジョンにこだわらず、480P出力してプロジェクターで観たらいいではないか、と。幸いうちにはプレステ3がある。プレステ3を使えば、わざわざリビングのレコーダーを外さなくても、ブルーレイの再生ができる。それに、前々から、和室のテレビとプレステ3を接続するためのケーブル(和室のテレビにはHDMI端子が無い)が欲しかったこともあり、早速、ケーブルを買いに行くことにした。

ところが我が家のプロジェクター、なんとD端子が無く、480P出力可能な端子は、コンポーネント端子のみである。プレステ3は排他的な仕様のため、HDMIケーブル以外は専用ケーブルを買わなくてはならない。しかもこれがまた高い。コンポーネントケーブルとD端子ケーブル、共に3,000円近くもしており、ケーブルに約6,000円も出さなければならない。しばらく迷ってしまったが、結局いつものように買ってしまった。

家に帰り、早速繋いでブルーレイにダビングしたものを観ようとしたら、問題発生。音声は出るもののプロロジックⅡ再生になってしまい、AAC音声で出力されていない。アンプに問題があるのか、レコーダー録画時に問題があるのか。何時間も悩んだ末にやっと判明した。何のことは無い。プレステ3の出力設定に原因があった。映像コード、音声コードを繋ぎ替える度に、本体の出力設定をし直さなければならない仕様になっているのである。この仕様ってどうよ、と思うのは私だけではないだろう。

気を取り直してエイリアン2を観た。HX録画、DVD画質(480P)での出力とはいえ、さすがにデジタルワウワウはきれいである。これなら、どんどんダビングする価値があると思い、調子にのってブルーレイに焼いて行った。

どれどれ、きれいに焼けているかと、各映画の冒頭部分を観ていく。字幕のデカさが気になるものの、まずまずじゃないと観ていたが、中に、映像がぼやけていたり、字幕がにじんでいたりするものがある。古い映画だから仕方がないかとも思ったが、古いのにきれいであったり、2年前の作品なのに汚かったりする。これはどういうことか。

暗いところで観ているから、目が疲れてぼやけているように見えるのかもしれない、と液晶テレビで見直しても汚い。HEに画質を変換したから、中には汚いものもあるのかと考え、再度同じタイトルをDR録画したがやはり汚い。レコーダーに原因があるのかと、片っ端から録画していったものをチェックしていくと、ワウワウを録画したものにだけ汚いものがある。そこで、ワウワウの番組表と録画したタイトルを突き合わせていった。

ようやくわかった。人間の思い込みというのは恐ろしいもので、デジタルワウワウだからHV画質と思っていたが、そうではなく、特に191、192、193の分割放送分は、HV放送をしていない。全てがHV放送のわけではないことぐらい、普通に考えれば当たり前のことなのだが、デジタルワウワウはきれいという思いが、全てHV画質と思い込ませてしまったようである。

それにしても、いくらHV画質ではないとはいえ、あの字幕は観ていて気分が悪くなるのだが、気になる人は少ないのだろうか。我が家ではブルーレイ5枚がゴミとなったが。

めぞん一刻(続き)

2009年04月26日 11時17分29秒 | Weblog
前回、何か舌足らずに終わってしまったことが気になっていた。結局、女優や年代にこだわらなければ、誰が音無さんのイメージに合うのか結論づけなかったので。

いた。音無響子を演じることが出来たであろう女優が。

美人で、可愛く、清楚感もなくてはならない。激しい怒りを表現してもその中に可愛らしさを残すことが出来、天然ぼけのようなコミカルな表現を出来るだけの演技力もある。長い髪が似合い、スタイルも抜群。

そんな女優が現在・過去を問わずいただろうかと考えていたとき、やっと私なりにぴったりの女優を見つけた。夏目雅子さんである。彼女ならそれだけの美貌と演技力があっただろう。

亡くなられたのが1985年。ちょうどめぞん一刻が連載されていた時期。美人薄命というが、あまりにも短かすぎる生涯であったことが残念である。

めぞん一刻

2009年04月18日 11時14分20秒 | Weblog
この前、四国の女性の思い出を書いてから急にめぞん一刻が読みたくなり、ブックオフに立ち寄ったところ、文庫版の2巻と6巻以外の8冊が置いてあった。中途半端に2巻足りないと後で後悔するだろうとも思ったが、他を探すのも面倒なので、8冊を大人買いして帰った。

家に帰って早速1巻を読んだところ、やはり続きの2巻が読みたい。すぐに、2巻と6巻を求めて他のブックオフへと車を走らせた。その店には文庫版は無かったものの、ワイド版が全6巻揃って置いてあった。ワイド版というのが曲者で、文庫版とは微妙に収録話がずれている。私が持っていないのも2巻、6巻と非常に中途半端で、全話を網羅しようとすればワイド版の1巻から4巻までを買わなくてはならない。2分ほど悩んだがいつものように買って帰った。私のこと、そのうち文庫版の2巻と6巻も買うだろうと思いながら。

全話読み終えたところ、今度は、テレビのアニメ版が見たくなってしまった。ネットで検索すると、レンタルDVDも出ているようなので、次の休日、いつも行っているレンタル屋へと足を運んだ。でも残念ながら置いていない。こうなると余計に見たくなるのが私の悪いところで、いっそのこと買ってしまおうかとヤフオクを覗いてみたが、10万円近くもする。さすがにアニメにそんなお金を出せるわけもなく、諦めようとしていたら、ふと、ネットレンタルを思いついた。そこで、ツタヤとぽすれんの会員となり、以来、順番に取り寄せている。

このDVD、全24巻あるのだが、とてもじゃないが全て見る時間など無く、不要と思われる話は飛ばすことにした。思い切って飛ばすと心に決めると、案外たくさん飛ばせるもので、13巻まで来て10話ほどしか見ていない。14巻からは八神が登場して面白くなりそうなので、これからはゆっくり全て見ていこうと思う。

めぞん一刻と言えば、1、2年前に実写版をテレビでやっていた。音無響子は誰がやるのかと思えば、伊東美咲ということだった。何か違うような気がしたので私は見ていない。アニメを見ながら思ったのが、それなら誰なら適任だったのだろうか、ということ。いろいろと考えてみたが、適当な女優が思いつかない。誰も何か違うように思えてしまう。結局、伊東美咲がベターな選択だったようにも思えて来た。実写版も意外と楽しめるのかもしれない。

それでは、女優や年代にこだわらなければ、誰が音無さんのイメージに合うのか考えてみた。これがまた難しい。音無響子は、美人で可愛く、しかも清楚に描かれている。語呂よく言えば、清楚で可憐でエレガント、といったところか。この3つをクリアするような人物など現実にはなかなかいるものではない。

幼き頃に見た、「暖流」というドラマに出ていた時の松坂慶子がイメージに近いような気もするし、また、美人の代表格である吉永小百合の22、3歳の頃ならどうなのだろうとも思うが、同じ世代で同じ時代を生きていないので、イメージがわかない。

そう言えば、娘と妻が、きれい、可愛いとしきりに言っているティーン雑誌のモデルがいる。佐藤ありさというらしく、なるほど私から見ても美人で可愛い。私があと20歳ほど若ければ、この子を音無響子のイメージにだぶらせることが出来たのだろうか。いや、やはりこの子ではまだ若すぎる。そんなことを考えながら佐藤ありさを見ていたら、何かぼんやりとした記憶が・・・。たしか20年ぐらい前に、こんな風にきれい、可愛いと思った芸能人がいたような・・・。でも思い出せない。

そう思ったのが1週間前のこと。そして一昨日。新幹線のホームで思い出した。シンデレラエキスプレスのCMの中の牧瀬里穂。まさに美人で可愛く、清楚なイメージだった。

やはり、同じ世代で同じ時代を生きた偶像に勝るものはないようである。

ブログのタイトル

2009年04月05日 10時59分17秒 | Weblog
不景気なりに年度末は忙しく、三週間ぶりの投稿となってしまった。

ブログのアクセスというのは、やはりタイトルで決まることが多いようである。通常、私の投稿した日のアクセス件数は20~30程度であるが、前回は10程度であった。過去最高と記憶しているのは、「松田聖子の「SUPREME」は良かった」の時で80程度はあった。次は「私という人間」、「手作り弁当の罪」で、いずれも40~50程度あったように思う。

これらのことから、タイトルがより具体的であるほどアクセスが増えることがわかる。前回のように「学生時代のバイトその2」では、読もうという気がおこらないというものである。それに反し、「私という人間」なら自己紹介が書いてあることがわかるし、「手作り弁当の罪」は、何か面白いことが書いてあるような期待感を抱かせてしまったのだろう(実際はくだらない内容なのだが)。また、「松田聖子の「SUPREME」は良かった」は、同様に思っている人がちょっと覗いて見ようかという気になったと思われるし、第一、松田聖子ネタ自体が人気なのだろう。

私のブログは長いものが多い。1600字を超えることもざらであり、これは原稿用紙4枚以上となり、私の大嫌いだった読書感想文の量と同じなのだが、好きで書いているのだから全く苦にならない。ただ、公開するからには、もう少し量を少なくしなくてはと考えた時期もあった。でも、途中から、ブログというよりも自分史のようになってきたので、今では、もういいやという気で、好きなように書いている。

ネットを検索していて、最近ブログに当たってしまうことが多くなった。有益な情報もたくさんあるが、それ以上に無駄なブログに行き当たってしまう。私のブログも然りで、行き着いた先の内容が赤の他人の自分史では、ムッとすることも多いだろう。でも、それは勘弁していただくことにしよう。その内、検索システムがさらに発達すれば、無駄なブログへのヒット率も減るかもしれない。

タイトルの話に戻るが、私は多くの人に自分のブログを読んでもらいたいとは思っていない。投稿した日に10人程度アクセスがあれば十分である。だから、タイトルに「松田聖子」の文字を入れることはもうないだろうし、期待感を抱かせてしまうようなタイトルも慎まなければと思っている。でもそうすると、ただでさえ邪魔くさいタイトル付けが、余計邪魔くさくなってしまうのだが。

取りあえず、次回は、「学生時代のバイトその3」か?

学生時代のバイト その2

2009年03月14日 14時35分14秒 | Weblog
この前、学生時代のバイトについて書いた。バイトの話ならネタは結構残っている。筆が進まぬときは、バイトネタを書くことにしよう。というわけで、バイトの話その2。

数多くのバイトをしたが、長続きしたものもあれば、先の喫茶店のように1日で辞めたものも少なくない。今日も1日で辞めたバイトの中から一つ。

大学1回の冬だったか、なかなか割のいいバイトがなく、金に困っていたある日のこと、学食で昼飯を食べていたら、隣のグループがホストの話で盛り上がっていた。仲間の1人がホストをやっており、客のマダムからマークⅡをもらったという。おお、ホストか。その手があったか。かなり危険な香りがするが、手っ取り早く高収入が得られるかもしれない。そう思うや、早速スポーツ紙を買い、物色した。

求人があるではないか。美男子に限る、履歴書持参とある。履歴書がひっかからないこともなかったが、どうせ面接で落とされるだろうと、半分運試し、半分ネタのつもりで面接に行った。

面接に店へ行くと、思っていた雰囲気と違う。楕円形のカウンターの中にホストが入り、カウンターに客が座るような造りになっている。何か変だなと思いつつも、確かにジャニーズ系のような男が数人準備をしている。まあいいか、と面接に来たことを伝えた。

奥の事務所みたいなところへ通され、店長と面談。カマっぽいおっさんであるが、目の奥が緑色というか、恐ろしさを感じさせる目をしていた。履歴書と私の顔を交互に見ながら、「じゃあ、今日から働いてくれ」と意外にも採用された。時給は2000円ぐらいだったと思う。もしかしてこんな俺でも美男子に入ったの?などと、採用されたことが正直うれしかった。

服はどうするのか聞いたが、そのままカウンターに入るよう指示された。カウンターの中には5人ぐらいいたと思う。何か指導があるのか待っていたが何も言われず、そのうち店が開いた。

しばらくして、おっさんが一人、二人と訪れ、カウンターに座った。あれ、ここは同伴で来るの?と思い、近くの男前君に聞くと、「え?知らないの?ここは男相手の店だよ」と言う。なにー、ゲイ専門かよーと、慌てて店長のところへ行き、知らずに来てしまったので、キャンセルしたい旨告げたが、「もう店が始まっているので、今日だけでも働いてもらわないと困るんだよ」と、有無を言わせぬものがあった。断ると恐ろしいことが待っていそうで、すごすごとカウンターへ戻った。

カウンターへ戻ると、ホストの数が減っている。どこへ行ったのか様子を伺っていると、客の一人が私を指差しながら、店長にお金を渡している。そして店長に呼ばれ、その客と1時間ほど外に行って来いと言う。やばい、そういうシステムかよと思いながらも、外に出てしまえばいつでも逃げられるはずだと考え、そのおっさんと一緒に外へ出た。

店を出て、今日初めて店に来たこと、こういうシステムだとは知らなかったことなど話しながら歩いたが、結局おっさんはホテルの前まで行きやがった。もう逃げるしかないと思ったとき、履歴書を残してきたことや店長のあの緑色の目を思い出した。もし逃げたら、仕返しが待っているだろう。ああ、まだ女を知らない(詳細は「瞳はダイアモンド」で書いた)のに、俺の操をこんなおっさんに渡すことになるのか。いや、まだ諦めてはいけない。この場を逃れればなんとかなるかもと、再度ゲイには全く興味がないことをおっさんに語った。

このおっさん、そんなに悪いやつではなかったようで、「そういうことならわかった。寿司でも食べに行こう。店に帰って断っておいで。」と言ってくれた。助かったぜと感謝しつつも、店に戻ったら半殺しかもと、ビクビクしながら戻った。事情を店長に告げると、意外にも「○○さん(あのおっさんのことらしい)がそう言うならええわ。でも今日は店から出るな。2時間、奥で時間を潰してから帰れ。」と言った。おっさんの顔は立てるが、店を通さずに私に接触することは許さない、ということらしい。

結局、奥の事務所で2時間ほど待機させられ、やっと開放された。給料は諦めるとして、履歴書は返してほしかったが、そんなこと言える雰囲気ではなかった。

もう二度とホストはごめんだ、と思ったものだが、懲りない私には実は続きがある。その話は、また機会があれば書くとしよう。

手作り弁当の罪

2009年03月07日 13時06分19秒 | Weblog

前回書いたとおり、今日は高校の時にバイト先で知り合った女性の話。

高校2年の時、私のバイト先に短大生のYさんが新しいバイトとして入って来た。岡江久美子似のきれいな人だった。当時私は、エース級のバイト生だったので、私が3日間、Yさんを教えることになった。研修中、いろんな話をし、私が家族と暮らしていないこと、バイトが終わってから晩ご飯を適当に作って食べていることなども話した。

数週間したある日、Yさんが客としてやって来て、帰る間際に手作りの弁当をくれた。余分に作ったので良かったら晩ご飯に食べて、ということだった。ものすごく嬉しかったのは言うまでもない。その後、3回ぐらい弁当を持って来てくれた。その度に感激していた。

でも2ヶ月も経たないうちに彼女は辞めてしまった。理由はわからない。彼女のアパートは知っていたが、訪ねる勇気などなかった。

大学に入り、司法書士事務所でアルバイトをするようになった。夏休みに入ると、平日は全てそこの事務所で働いた。

ある日、事務所の先生と雑談をしていた時、高校の時のYさんの話をした。会いたいが住んでいる所も知らないとも言った。すると先生は、当時の住所がわかるなら、住民票の除票を取れば転出先はわかると教えてくれた。

地元に帰り、彼女の住んでいたアパートの番地を調べ、役所で住民票を申請するとすんなり取得出来た。当時はまだプライバシーにうるさくなかったのだ。

住民票には、転出先が記載されていた。転入前の住所と同じだったので、実家に帰っていることがわかった。なんと、四国であった。

手紙を書くとすぐに返事が来て、また会いたいものです、と儀礼的ではあるが書かれてある。電話番号も書かれてあったので、駄目もとで、会いに行ってもいいかと電話した。彼女は遠いよと言いながらも快く会ってくれることになった。翌日、彼女の方から電話があり、お母さんが家に泊まってもらえと言っていると言う。願ったり叶ったりとなった。

本州から四国へは宇高連絡線を使った。携帯カセットプレーヤー(ウォークマンほど良い物ではない)で井上陽水の「つめたい部屋の世界地図」や「能古島の片想い」なんかを聴きながら船に揺られ、ひとり勝手に気分を盛り上げていた。

四国では、旅館に1泊、公共の宿みたいな所に1泊、彼女の家に1泊の計3泊した。楽しみは後回しにしたいので、彼女の家は最後にした。

彼女は車でいろんな所を案内してくれた。晩は二人で焼肉を食べに行った。彼女の家族とは、あまり話をしなかったように思う。風呂の記憶などもない。Y家で印象に残っているのは、寝る部屋にめぞん一刻があり、それを読んだために、Yさんとヒロインの音無響子さんがだぶってしまうようになったことぐらいか。

翌日も各所を案内してもらい、最後に高知城で一緒に写真を撮った。彼女の写真はこれ1枚だけである。その後どうやって帰ったのか記憶がない。たぶんどこかの駅まで送ってもらい、電車で帰ったのだろうがどうしても思い出せない。

家に帰ると、楽しい思い出になったどころか、もっと彼女に会いたくなってしまった。1ヶ月ほどして、もう1度彼女に会いたいと電話した。渋っていたようだが強引に約束し、今度は飛行機で行くことにして航空券の予約をした。

3日ほどして、彼女から電話があった。急に予定が出来たので会えなくなったと言う。迷惑なのがわかった。私の一方的な恋が終わった。

Yさんのことは思い出さないようにしているが、めぞん一刻を見ると思い出してしまう。手作り弁当が引き起こした、ほろ苦く、もの悲しい思い出である。


アルバイト

2009年03月01日 13時37分59秒 | Weblog

今日は、昔のバイトの話。

私がバイトを始めたのは高校生の時。地方のスーパーのレジだった。地方で、20数年前ということもあり、ポスレジなどはもちろんない。値札を見て金額を打ち込むという、今では個人商店にしかないようなレジである。広告の品などは広告を見ながら打つため、レジのスピードが落ち、列が出来る。私は、15分前に出勤し、店内を一周し、特売の値段を暗記してからレジに入っていたため、他のレジよりも回転が速かった。だから、店長に気に入られ、気分よく働くことが出来た。

ここまで書いていたら、当時そのバイト先である女性と関わったことを思い出した。話が大きくそれそうなので、そのことは次回に書くとしよう。

大学に合格し、地方から大都会へ出てきた。住む所も決まり、次にすべきことはバイト探し。バイトの情報誌をながめながら、時給、通学の便、食事付を中心に探し、喫茶店のウェイターに決めた。面接に行くとガラの悪そうな店長であったが、背に腹はかえられない。明日から来てくれと言われ、すんなり決定した。

翌日出勤すると、メニューを覚える間も与えられず、いきなり実践だった。主任と呼ばれる40後半ぐらいのババアと、私より1つ上の割と可愛い女子大生、ホールにヤンキー風2名がその日の従業員である。このババア、私に何も教えない割に、ことあるごとに怒鳴る。先の、高校の時のバイトとは全く勝手が違う。ムカつくこともあったがこれも貴重な経験と言い聞かせ我慢した。

昼が過ぎ、昼食時間になった。何でも好きな物を言っていいと言われたが、遠慮してカレーを頼んだ。いざ食べようとすると、「いただきますぐらい言いなさい!」とババアが怒鳴る。ぶち切れそうになったが我慢、我慢。

3時の休憩になり、好きな飲み物を言っていいと言われたが、要らないと断った。いただきますと言う気になれなかった。

出前が入り、女子大生と一緒に出かけた。「どうも合わないようなので、辞めようかな」と私が言うと、「そんなこと言わずに続けようよ、主任もいいとこあるよ」と彼女は言う。ここに居ても私の人生に何のプラスにもなりそうもなかったが、この子と仲良くなれるかもしれないし、もう少し様子を見ようかと考え直し、店に戻った。

その直後、注文を受けた私が「ホットふたつ」と大きな声で言うと、ババアが「ひとつ、ふたつは幼稚園の言葉、ワン、ツーと言いなさい!」と怒鳴った。高校時代、英語の成績だけはトップクラスにいた私が、英語でこんなババアから怒られるとは思ってもいなかった。思わず「それならあんた、11以上を言えるのかよ」と言ってしまい、後に引けなくなり、「辞めるわ」と続けた。ババアは真っ赤な顔をして、「じゃあ、明日給料取りに来なさい」と言ったが、「そんなもん要らねえよ。履歴書は返してもらうわ。」とレジ横にあった私の履歴書を勝手に取り、さっさと店を出た。履歴書にこだわったのは、そこがその筋の店だとしたら、後でヤキを入れられるかも知れないと思ったからである。本当は、給料は欲しかった。(笑)

昔の話だが、今思い出しても不愉快になる。人間というのは、心の狭いものだから根に持つことも多い。だから、こんなくだらない経験でも人生の教訓とし、たとえ相手がアルバイトといえども誠意を持って接するよう努めている。


料理教室

2009年02月22日 12時10分19秒 | Weblog

最近土日の昼に料理をすることがある。妻のパートが土日に入ることが多く、娘の昼ごはんを作っている。私は料理をすることが嫌いだ。理由などなく、ただ嫌いなものは嫌いなのだ。それでも、娘のためなら仕方が無い。

料理といえば、25歳ぐらいのときに、1度だけ料理教室に行ったことがある。

勤める会社にTさんという女の子がいた。Tさんとは部署は違うものの、どういうきっかけか知り合いになり、1度軽井沢にテニスに行ったことがある。もちろん男女数名で。このTさん、顔は可愛いのだがどこか男を寄せ付けないようなところがあり、それ以上親しくならないだろうと思っていた。

ある日、Tさんが私に頼み事があると言ってきた。通っている料理教室で男の料理教室をすることになったものの、メンバーが集まらず、5、6人メンバーを集めて参加してくれないか、と言う。料理と聞いて乗り気ではなかったが、Tさんも横でアシストすると言うので、それなら行ってもいいかな、みたいな気になり、参加することにした。

当日、私のほか5人を連れて指定の場所へ行くと、Tさんがにっこり迎えてくれ、一緒に教室へと入って驚いた。なんと男は我々6名だけで、あとは20数名ほど女性ばかりだった。あれぇと思いながらTさんを見ると、教室の奥の方で悪戯っぽく笑っている。そのうち先生が、「今日は特別に男の方が参加してくださったので、男の人でも簡単にできるような料理をします」みたいなこと言い、男の料理教室ではないことがわかった。

落ち着いて周りを見渡すと、上ランクと言えそうな女性が3名ほどいた。あとは目に入らなかった。1班5名ほどの班が出来ており、その中へ男が1名ずつ(2名の班があった気もする)入れられ、私の班は、男は私だけであった。もちろんTさんはいない。

ギョーザと何か2,3品を作ったが、ギョーザしか覚えていない。私の班には、きれいな女の子が1人いたが、本能的にその子に教えてもらってはいけない気がしたので、何か聞くことがある時は、ほかの女の子に聞くよう気を使った。

料理が出来上がり、班ごとに席に着き食べることになった。私の隣は、あのきれいな子であった。食べる前に先生が「みなさん、積極的に連絡先とか聞きましょうね」と言った。どうやら、今日の教室は、男女交流の場を提供しようと、この先生の思いつきで企画されたようであり、Tさんはその手先として使われたこと、私はそのTさんの手先という立場にあることがわかった。

もしかしたらこのテーブルに座っている女の子たちは、男と接触する機会が少なく、かっこいい男に出会えるかもしれないと、今日のこの日を楽しみにしていたのだろうか、と思うと、何か申し訳ないような気がして、私は何も悪くも無いのに、「私なんかが来てしまってごめんなさい」と謝っていた。

それから先は、あまり覚えていない。何か私の態度がぎこちなくなってしまい、その場にいるのが苦痛だった気がする。後片付けの後、有志で飲みに行こうということになったが、私は用があるので行かないと断った。すると、私の横にいたあの子が、それなら私も行かないと言う。こういうことを言う女の子の目的は、
 (1)男どもが自分を引き止めるのを楽しみたいだけ
 (2)可愛い自分が行かないと言えば周りが許すわけ無く、結局、男全員が行くことになる
 (3)文字通り、私はあなたに気がありますよ、と匂わしている
と、通常このようなことが考えられるのだろうが、その日はそんなことどうでもよく、さっさと1人で帰った。でも後で、もったいないような気がして少し後悔した。

2週間ぐらいして、私の会社の近くで偶然あの子に会った。目が合うと、にっこり笑いながら立ち止まっている。普通、立ち止まるということは、話しかけても迷惑ではない、ということだ。

彼女の側まであと10メートルほど。この数秒の間に話しかけるか会釈だけして去るか決めなくてはいけない。私は考えた。チャンスだ、誘おう。待てよ、これは偶然か?偶然でないとしたら後が怖いぞ。いや自惚れてはいけない。偶然に決まっている。などと考えながら、結局、「この前はどうも」とだけ言って素通りした。

その後会うことはなかったので、偶然だったのだろう。惜しいことをしたものだ。

昼になったようだ。そろそろ姫様の飯でも作ってやるとするか。ギョーザは作れないが。


レイニーステイション

2009年02月21日 14時24分47秒 | Weblog
今週のニュースで、鈴木茂が大麻所持で逮捕されたことが報道されていた。鈴木茂がはっぴいえんどのメンバーであったことも初めて知ったような気がする。

はっぴいえんどは、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、そしてこの鈴木茂で構成され、今では伝説のバンドと呼ばれている。私は、伝説とかカリスマとか安易に呼ぶのは嫌いである。ついでに言うと、ミュージシャンをアーティストと呼ぶのはもっと嫌いだ。いつの間にかアーティストというものが安っぽいものになっているように思われる。

はっぴいえんどを伝説のバンドと言うことの是非はともかく、確かにメンバーを見る限り、鈴木茂以外は有名人となっている。

私がはっぴいえんどというバンドを知ったのは、ほんの6年ほど前のことである。ぼくのなつやすみ2をやったことがある人はピンとくるだろう。そう、8月28日ぐらいだったか、刑事のお姉さんが教えてくれ、そこで初めて知った。その後、何かの拍子にメンバー一覧を見たことがあるが、鈴木茂という名を見たかどうかは覚えていない。

小学生の頃、ラジオで「レーイニステイション サーングラスの雨が まちの色を 滲ませてる」という歌が流れた。曲名も歌手名もわからなかったが、いい歌だなと思っていたら、兄がテープに録音しており、十数回は聴いたと思う。その後そのテープはどこかへ行ってしまった。

働き始めて間もなくの頃、喫茶店であの「レーイニステイション~」が流れた。懐かしくて欲しいと思ったが、誰の何という歌なのかわからないので手に入らなかった。CD店で年配の店員に口ずさめばわかるかもしれないとも思ったが、そんな恥ずかしいことをする勇気はなかった。

インターネットが普及し、歌詞の出だしだけで有名な歌は検索可能になった。試しに検索したところ、見事にヒットした。曲名は、レイニーステイションそのままであり、歌っているのは鈴木茂だとわかった。すぐにCDを買った。

今回の逮捕のニュースを聞き、懐かしい思い出にケチをつけられたようで、淋しい気がする。