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お金を払うファン

2023-12-10 00:40:13 | 日記
昔に比べて、文章にせよ動画にせよ、制作者に閲覧者がおひねりを投げられる仕組みが整ってきた。
ごくごく零細な発信者でも、ごくごく僅かなファンがいて、そのファンが強く支持してくれたらいくばくかの小銭がもらえるようになった。
投げ銭システムがない時代では、例えばコメント欄で偉そうに好き勝手言ってる閲覧者というのは疎ましく、制作者側は「こっちはただでコンテンツ発信しているのに何様のつもりだ」という不満をよく抱えていたものだと思う。

さて、ではそこで相応のお金が払われるようになったとしてだ。
ファンということは制作者のコンテンツを気に入ってくれるということだ。制作者は嬉しい。
そしてそこにお金も払われたらなおさら嬉しい。

だが、お金というのは同時に単なる行為にとどまらない対価という側面がある。
まあ寄付なんだろうから対価は求めなかろうとは思うが、
でも純粋100%の寄付というのは、あげる側も貰う側もなかなか認識はしづらいだろう。
上げる側は、「カネも払わずにギャーギャーいうファンと私は違うのよ」という気持ちがzeroではないだろうし、
貰う側も「お金をもらった以上邪険にはできない」という気持ちがzeroにはならないだろう。
100円程度ならそうでもないが、千円となるとグッと意味が出てくるし、万円単位でカネを払う酔狂なやつもいないとも限らない。

カネをもらっても全く動じずにいつもどおりのコンテンツ発信が出来る商売人気質の制作者なら問題ないが、
好きなことが昂じて発信者になって、あわよくばお小遣い稼ぎを、くらいの気持ちでいる人間が実際にカネを貰って気持ちが一切変わらずにいられるものだろうか。
いや、制作者側は変わらずにいても、ファンの方が急激に変わることは大いに考えうる。
「お金まで払って私はあなたのコンテンツが好きなんだ」という自己主張のツールとして、お金という媒体に自らの情念をこれみよがしに押し付けることは容易に想像できることだ。

いただき女子などが酷い目にあっているようだが、あれのミニマム版がこれから少しずつネット社会にじわじわと侵食してくるのではないかという気がしなくもない。

要は、好きだという行為にカネを結びつけることは、案外パンドラの箱を開けるようなことになるんじゃないかという予感がある。
商売なら分かる。これこれこういうことにはこれだけのお金がかかりますという料金表がある。
仕事ならそれで何ら問題ない。
だがそれが好きなことの延長線なら?
同人界隈の文化の先例もあるにはあるが、
例えばnoteみたいに仕組みだけはやたら商売っけのある仕事の仕組みだが、
制作者がまるで素人丸出しみたいなプラットフォームは、色々危ういものがあるのではないか。

同人のような幸せな文化ではない、カネを媒介にした何か嫌な繋がりがこれから発生してくるのではないかという嫌な予感を、noteを見て、読んで、感じたことだ。
なんというか、コンテンツに対する対価ではなく、あなたが好きだという気持ちをカネに変えてくるやり方が、払う側にももらう側にもプラットフォーム側にもあり、その危うさに誰もがあまりにも杜撰な気構えしかしていないんじゃないか、という予感だ。