「まほう」 について

2007-07-29 | Weblog

言葉には古来より言霊(ことだま)といって、昔から不思議な力が宿るものといわれてきました。

言霊という語彙(ごい)を使わなくても、負の言葉ばかりを見聞きすれば気分がふさぎますし、正の言葉を多く聞くことで、気分が明るくなっていくというのは、体験上、あることと思います。

例えば、暗いニュースであれば見るもの聞くことマイナスなものが多く、気分がふさぎがちになりますが、明るいニュースであれば、見るもの聞くものが明るく、気分も明るくなっていきます。

ニュースでなくても、暗いものを見聞きすれば暗い気持ちに、明るいものを見聞きすれば、明るい気持ちになります。

ですから、人が話す言葉についても同じですし、普段目にする文章や文字についてもそれは同じです。

そこで記憶し、入ってきたもが知らず知らずのうちに、良きにせよ悪しきにせよ、人を知らず知らずのうちに動かしていくこともあるのでしょうか。

神秘的な要素を除いて、昔の人は文字や言葉の持つものについて会得していたからこそ、言霊という言葉で、その持つものについて表そうと、そして、伝えていこうとしたのでしょう。

魔法という言葉には、ある世代において馴染み深く抵抗がなく、ある意味親しみさえ感じるのかもしれません。

魔法という言葉から連想していきますと、別段悪いものが連想されることが少ないからなのかもしれません。

魔法の「魔」という文字について、いかがでしょうか。

この「魔」という文字からは、どのようなものが連想され、思い浮かびますでしょうか。

よく考えてみて、「魔法」というのは、本来いいものなのか、悪いものなのか。 

本当は楽しいものなのか、恐ろしいものなのか。

「そんなこといったって、日本の世間でいう魔法というのは、悪い表現で使われることはあまり聞かないのだから、そうカタクならなくたっていいじゃん ?」 

また、「今の日本はそういう文化になっているんだよ」

だとしたら、魔法についてはそういうイメージが浸透していることになります。

そういうイメージ、意識がある方においては、魔法というものに抵抗がなく、むしろ、楽しいものにつながることもあるのだと。

魔法という言葉と意味について真に理解していらっしゃる方はおられますが、ここではその方について申し上げてはおりません。

もしかしましたら、魔法という言葉と手段については別段わるいものでもなく、それをもちいることについては問題の無いことなのだと、いつのまにか、知らぬ魔に、どこからか魔法のようなものをかけられている ?

魔法というものには、不思議な魅力があり、そこから発せられる神秘の力については引き寄せられ、ある種のあこがれのようなものもあるから、興味が湧くことがあり関心が向くのでしょうか。

それにより、話の話題、何かのお題にしてみたくなることも。

話の話題、何かのお題にされた方は良い意味で表したいという気持ちから、内容によってはロマンチックで夢のあるようなものにしていく場合もあるのかもしれません。

しかしながら、表された方には大変申し訳ないのですが、そうしてまいりますと、いつのまにやら本当は負から出る力が、正から出てくる力と混同されてしまう。

ここからは、魔法について世間においてロマンチックに発表されている場合と、そこからくる誤解による影響について書かせていただきたいと思います。

「しかしながら、表された方には大変申し訳ないのですが、そうしてまいりますといつのまにやら本当は負から出る力が、正から出てくる力と混同されてしまう」 から、

負から出る力が正のことに使えるのだと、カンチガイされてしまうことも。
(そこまで真剣にと思われるかもしれませんが、たまに、ほんとうに軽くみていいのだろうかと考えます)

エエーッ、正でも負でも、同じ「力」だから、使う目的が同じだとしても作用と結果は同じじゃないの ? 

良い目的を叶えるのに、負の力、魔法だって、使えるんじゃないの ?
そういう場合も許されるんじゃないの ?

正から出る力も負から出る力も、力であるからには同じじゃないかと。

しかし、その力は本当は非常に恐ろしい、恐怖に満ちたものから出ているものだとしたら。

ここからは、さらに真剣に取り上げていきます。

負から出る力とは、魔物、魔界から出る力。
この力は、堕としていく。 真っ暗な、暗黒の世界に引きずり込む。
呪詛、呪いもそう。
結局は使った自身が堕ちていく。 どれだけ堕ちていくか、堕ちていくさまは自身で自覚できるのは多分、まれ。

正から出る力とは、神さま、仏さまからいずる力。
この力は、光りの世界へと導き、いざなう。

負の力、魔の力で苦しみ、悩んでいる人を救いあげることができるのか。

地獄に堕ちているような人を、魔物、魔界から出てくる力で救い上げることができるのか。

できる ! なんていう人がいたら。  そんなのうそだ ! と強く言いたい。

なにをたわごとを言っているのか ! と

だから、よくよく考えてみれば、魔物、魔界から出る魔の法、魔法でもって、良いことに役立てるのは荒唐無稽だということになります。 それが、いつのまにか、良い事に使われる、叶えられるのだということに、すり替わっている。 

よいイメージばかりが先行しているとしたら、鈍感になってしまっている ?

「めずらしいことを言うひとですね ?」

「そんなの受け入れられなれないよ」 、 「過去の魔法と共にある、よいイメージをこわさないでほしい」

では、ごく一部の方にこのような例はいかがでしょうか。
例えはどうかとも思いますが、あの、セーセームーン、ちがった、セーラームーンが魔法を使って退治していくとしたら ?

「ア、アンタ、セーラームーンを見ていたのデスカ ?」
「ここだけの話、ちょっとみていた」、「いえ、だいぶたっぷりと見てたです」
小声で、「にちようびのあさは、まいしゅうたしみだった~よ~」
「エエエエーッ」
「いいじゃないですか」
「いいものはいい」
「変身シーンはハ~アとみとれてシマッター」
笑う人は笑ってクダサイッ
作者さまならではの優れた感性、あれはオトコじゃムリでしよう。
生まれつきなのか、見るもの聞くもの美しいものにはとても惹かれるのです。 審美眼が求めて見ようとしたのでしょうか、ということにしておきます。

こんなこと発表してオ~ばすかしかった~。  いえいえハズカシクトモなんともナイッ。

胸を張って言える。 セーラームーンは素晴らしい作品だったー
あしたのジョーも、素晴らしい作品だったー ・・・ムム

大分脱線しております。

まず、セーラームーンについて
「原作・アニメ・ドラマ共通の基本となる物語は、ギリシア神話での月の女神セレネ(Selene)と、彼女に愛され永遠の睡眠についた羊飼いの青年エンデュミオーン(Endymion)の神話に由来する。」 のだそうです。


・・・妖魔や魔界樹を倒すセーラームーンが魔法を使ったら ? 魔の存在に対して魔法で退治する ?

セーラーマーズが技を繰り出す際の梵字(ぼんじ)が悪魔の記号だったら ?
梵字は主に仏様を表しています。
「悪霊退散」といって、魔法で退散させようとしたら ?

セーラーサターンについて
サタンとサターンは意味が違います。
セーラーサターンは、セーラーサタンではありません。
______________________

セーラーサターン、ウィキペディアより、

サターンはローマの農耕神サトゥルヌスに由来。太陽から遠く運行が遅いことから年老いた神の名が付けられた。習合されるギリシャの農耕神はクロノスだが、前述の時間神とは別神であるものの、古代ギリシャでもすでに説話の混同が生じている。ユダヤ・キリスト教の悪魔、堕天使サタンとは無関係。まして「死」とも「滅亡」とも無関係で、セーラーサターンの設定は、農耕神の名残として鎌を持たせてみたところ、連想が死神に繋がったもの。占星術では土星が「老成」に関連付けられることとの関連を見るものもいる。セーラープルート同様違和感の拭えぬ位置づけであり、当時一部のファンに「セーラータナトスのほうが適切」と指摘されていた。

______________________

サターンとサタンのちがいを説明するのに、・・・いいんです。

サターンロケット、セガサターンのサターンも同じなのだそうです。

地獄のサターンもカネ次第、のサターンも。

これはサターンではなく、サタ(沙汰)でした。 ヤダーン。 カネ次第なんてオカシイネ。

ナカナカ例えはムズカシイです。

お話しを戻しまして

魔という文字、言葉についての抵抗が薄らいでいるようなことがあるのならば、一抹の言いしれぬ不安のようなものを感じます。

周りが、みんな、魔法についてはそういうイメージだからいいじゃん ?   としたら、「そうですか」。

みんながやっていることは、問題のないこと・・・なのだろうか。

魔法使いサリーは子供の頃から好きでした。

歌で、「魔法のマンボ、魔法のマンボ、魔法の国はいいな、魔法の国は楽しいなー・・・」といいます。

本当は、魔法の国はいいとは思わなし、楽しいとも思いませんが、こどもの頃は純真ですから、魔法の国はいいもので楽しいのだと思い込んでいたようです。

魔法の国とは、魔の法を扱う国、魔力を使う者が住む国。 魔の法、魔力を使う者が住む国とは、魔物、悪魔が住む国。 魔物、悪魔が住む国とは魔の世界。 魔界になります。 ひぇ~っ。

ここが考えさせられるところ、サリーちゃんは魔法で人を助けるようなことをしますが、あれについてはいかがでしょうか。

物語ではそうなっていますが、魔の法、魔法で人を救えるとは、どうしても考えられないのですが。

人を救うという尊い事をした時点で、それは、魔法ではなくなると思うのですが。

魔法を題材にした物語は多くありますが、魔法使いサリーをあげさせていただきました。

サリーちゃんの作者さま、ファンのみなさま、ごめんなさい。

このような事を書きましたが、本当のところサリーちゃんは僕にとっては忘れられない大切な思い出の中にあります。 

単なる批評の為に書いた訳ではない事を、どうかご了承ください。

_______

周りが、みんな、魔法についてはそういうイメージだからいいじゃん ?   としたら、「そうですか」。
みんながやっていることは、問題のないこと・・・なのだろうか。
_______

ここで皆と違うかもしれない、一言へんじゃないか、という声をあげている人がいるとして、「それは皆と違うからあなたの方がおかしい」と言われるようなことがあるとしたら ?

○○○、みんなでやれば、そちらのほうが合っている。 はず
みんなで同じことをすれば、そちらのほうがいいし、大抵はまちがってはいない。 とオモウ
流れに沿っているし、波風も立たなくて済む。

処世術としては合っている面もあるし、まるっきりまちがってはいないと思います。
このやり方であれば、向かっていく方向性の保証は除いて、すんなりいくのでしょうか。

一歩踏みとどまって、落ち着いてようく見定めて観察したときに、もしかしたら、皆と行ってはいけない方向に行っていることもあるのかもしれない。

最初は良くないと解っていても小さな事、だけどそれがすこーしづつ入ってきてひろがっていく。 多くにひろまってなかば一般化、常識化した時点でそれは正当なもの、正しいものとなり、異を唱える者が現れても大方は受け付けないし、受け入れない。 むしろ、異を唱える方を○○しようとする。

世の中にはこういう事例があるのでしょうか。

魔法について、ロマンチックに扱われるものと、本当の魔法とはハッキリ区別されて認識されている方はほとんどなのでしょう。

ここでは、それを踏まえた上で、魔法という言葉が使われる事による作用などについてを表現しようとしています。


言霊についてと、正から出る力と負から出る力、人の心理と世間の傾向のようなものについて書かせていただきました。


なかみが複雑でコンガラガッテくるかもしれません、ごめんなさい。

要は、魔法という言葉をお手軽に使われていくのが、ヤヤ 心配なのです。

もうーそれを言いたいためにこんなに長く書いたのおーっ ! 「モーッ、ヤヤー」 ちがった、「イヤー」。


言霊 ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A








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 ( https://ejje.weblio.jp/content/crisis )

「 こういう人たちが精神病として扱われた場合は悲惨です。 大ゲサにいえば、キリストをはりつけにするような愚かな行為といえるかもしれません。 」
「 今の社会システムはこのような規格はずれの人を否定するメカニズムが働いているようです。 現在、世界を支配している精神は、このような高次の意識の目覚めを望んでいません。 」

キリストをはりつけにするような愚かな行為...

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https://www.google.co.jp/search?q=観音信仰  御利益

https://www.google.co.jp/search?q=観音 観る

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https://www.google.co.jp/search?q=心経奉讃文

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[ 菅原神社   拝殿 / 画 上田博昭 様 ]   ( 筆者 若干 arrange )





[ 同. 鳥居   桜 / ペン画 上田博昭 様 ]



201112 16:09





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