猫・ネコ・ライフ

猫と暮らす楽しい生活

「まだ元気です」の花

2008-05-30 05:14:01 | Weblog

   私が雲間草(クモマグサ)と出会ったのは去年の秋でした。
  家の近くの園芸屋さんで処分寸前の草花が売られていて、「まだ元気です」と
  張り紙がしてありました。値段も格安で名札もありません、哀れな気がして
  買ってきました。

   今年の五月の初め、その草花が花を咲かせました。私が「まだ元気です」の
  花と呼んでいたのは、雲間草だったのです。
  雲の間に咲くほどの高山植物で日本の固有種とは違いますが、よく似ていて
  愛らしさは同じです。

   私はこの花と出会ってから「まだ元気です」の言葉が好きになりました。
  人間だって「まだ元気です」と告げながら静かに暮すのも素敵なことです。

  「まだまだ若い者には負けない」とか「医者にも行かず、高い保険料を払って
  きたのに、今さら後期高齢者保健制度とは何だ!」と力んでみても虚しいので
  「人間のつくっているこの世の中、矛盾も落ち度もありますなァ・・」と思い
  ながら「私はまだ元気です、お構いなく」と言って暮らせたらいいが、と考え
  ています。

        雲間草の花言葉は「活力」でした。

   

猫のタヌキ寝入り

2008-05-23 07:43:21 | Weblog

   猫は時々タヌキ寝入りをします。
  私の本箱の上で二匹の猫、純一郎と茶髪がおかしな雰囲気で相対しています。

   猫たちが好むのは壁際の落ち着いた場所です。それで、純一郎が隅の場所に
  移りたがって、ななめ上から茶髪をニランデ圧力をかけているところです。
  しかし、茶髪にはその気はなくて争いにならないようにタヌキ寝入りを決めこ
  んでいるところです。

   猫の場合はお互いにニラミ合うということは決着をつけるということで、
  しかも土俵の上での一回勝負とはいきません。お互いにその気になるまで
  気持ちを盛り上げていって電光石火勝負に挑みます。そして高まった闘争心が
  消耗するまで続きます。

   しかし猫たちは本格的な戦闘モードになるのを避ける方法も知っています。
  それがタヌキ寝入りです。茶髪は純一郎の強い視線をやんわりと避けているの
  です。

   私にも狸寝入りをする余裕と辛抱強さがあったなら、少し人生が変わって
  いたかな?と思うのですが。

家猫モモとの別れ

2008-05-16 06:19:12 | Weblog
 今年の2月11日にモモという名前の猫が亡くなりました。14才でした。
私はモモとの暮らしの中で、猫と暮らす楽しさをたくさんみつけたものでした。

 急に食欲がなくなり、あまり動きまわらなくなりましたが、猫の食欲にはムラが
あり、静かな猫なので気づくのが遅れてしまいました。獣医さんの診断は腎臓も
肝臓も機能が低下していて手遅れの状態だ、とのことでした。
 猫はとても我慢強く、苦しい時でもジットしていることが多いということをよく
知っていながら、私の大失敗でした。これは飼い主の責任です。

 入院はさせないことにして、最期のときまで一緒に過ごすことに決めました。
この決断は大きな苦痛と悲しみを覚悟しなければなりませんでした。

 名前を呼んで撫でてやるとグルグルのどを鳴らします。歩けなくなってからも
ヨロヨロと砂箱に通います。砂箱まで足が上がらなくなっても通い続けます。
私は見かねて抱き上げて箱に入れてやって、また出してやります。
 この小さな衰弱しきった猫のどこにこんな強さがひそんでいるのか私はこの姿を
見るたびに衝撃を受けました。そして「モモごめんね」と何度も謝りました。

 毎日、モモのそばで少しだけ泣きました。最期のときは力の限り泣きました。
今は泣いていません。私はモモという猫から最後まで自分の意志で生きる姿を
見せてもらいましたから。

 猫なのに丸顔で愛嬌たっぷり、優しい曲線で完成されている姿かたち、美しい
生きものとして創ってくださった天の神様がモモを大きな懐に抱き入れるために
私からモモを取り上げていったのだろう、と思っています。

自然はいじめられています

2008-05-09 06:24:14 | Weblog

   外猫の避難箱から1kmくらい離れた所に、水鳥がよく来る川があって、私の好きな
  場所のひとつです。今年も春早々に、河川敷を歩いてみました。
  パークゴルフのコースも作ってあって、もう少し暖かくなったら、たくさんの人たち
  がゲームを楽しみます。

   驚いたことに去年の秋まで、川べりに大きな枝葉を茂らせていた木々がことごとく
  伐採されていて、無残な風景になっていました。

   十数年前から市街地緑化事業が行われてきましたが、わずかに残っている森や
  林を芝生の緑地に変える、公園作りが多いようです。私たちは歩きやすくなって
  便利ですが、貴重な自然を失っているようで心配です。

   星野富弘さんの「雑草」という詩です。
         もともとここは  草はらでした
         そこに  人間が家を建てて
         「雑草が生えて困る」  なんていっちゃて
         おかしいねえ
   私はこの詩を読んでから、スーット肩の力が抜けて、雑草とつきあえるように
  なりました。

   私たちが生きているこの世界には、花や木や、鳥や魚や、犬や猫や、昆虫や
  たくさんのものたちも生きています。
  人間はその中で特別威張りすぎではありませんか?

見知らぬ訪問者

2008-05-02 06:59:37 | Weblog

   見慣れない雉トラ色の猫が我が家の庭で休んでいます。やわらかな土の上で
  陽だまりを選んで体を温めているようです。
   真っ直ぐな視線が私を観察しています。いつも私が猫を見ているつもりでも、
  実は、猫に私が見られているのが本当のところです。猫の眼がねにかなっていたら
  嬉しいのですが。

   猫が嫌われる一番の理由は、花壇を荒らしたり、汚したりすることです。しかし
  もともとは飼い主に捨てられたことからその原因は発生しています。
  猫たちの、あの真っ直ぐで力のこもった美しい瞳は、捨てられてから二、三日もする
  と恐怖と警戒心の表情に変わってしまいます。

   捨てられた猫でも、ホームレス猫でも、美しい体形と自由な内面性をもつ神秘的な
  生きものです。アメリカ人のキューブラ・ロスさんが「生きるということは、ワンダ
  (驚異に)フル(満ちた)なことだ」と著書の中で言っていますが、私が猫たちと
  暮らしていて一番感動するのはそのことです。猫たちとの出会いも又、ワンダフル
  なのです。