猫・ネコ・ライフ

猫と暮らす楽しい生活

木の葉隠れの術

2007-06-30 21:42:54 | Weblog
 私が外猫たちの所へ行く途中の道で、時々草叢の中から猫に呼びかけられる。
姿は見えないが鳴き声でどの猫かわかる。ひときわ大声で鳴く淋しがりやの「ヨモ太」、
走りながら鳴く「福」、とぎれとぎれに鳴く「鼻黒」、遠慮がちに鳴く「ベコ」・・・・
私も名前を呼んで返事をする。そして後になったり先になったりしながら歩く。

 猫たちは子猫の時は人の歩く道に出て来て陽気に走り回る。しかし二歳くらいになると
草叢を見え隠れしながら歩く。姿を見せないようにしながらこちらの様子はしっかり
観察している。

 この変化は外猫として暮らしていく中で学んだ貴重な経験によるものだ。
この公園の道は、散歩の人や犬がよく通る。また買い物の人たちや公園で休憩する人など
多くの人たちが通る。

 猫から見て、犬たちは行動パターンが似ているので、その行動は予測しやすい。
だから、いざという時の為の距離を保てるし木にも登ることができる。しかし、人間の
場合は、公園でお弁当を分けてくれる人もいれば、ひどい怪我を負わされる場合もあって
予測しにくい。

 そこで身につけた知恵が「木の葉隠れの術」である。猫の方からは通る人たちが確実に
見えるが、その逆はなかなかみえにくい。
 危険な目に遭いながら身につけた生きるための知恵のひとつだ。
弱い生き物は、弱いからこそ賢くなっていくものなのだと思う。

我が家の純一郎

2007-06-23 21:38:04 | Weblog
 我が家の老猫純一郎は、私と顔をあわせると必ず子猫のような声で鳴いて、お腹を
上に向ける。この猫の一番の楽しみはお腹を撫でてもらうことである。
お爺ちゃん猫が子猫のように甘えるのも何とも可愛いものである。

 このことを除けば、年齢相応の落ち着いた静かな猫である。
犬歯が(猫でも犬歯・・)上唇からはみ出しているので、かなりの高齢と思われる。

 四年前に公園に置いていかれて、その後一年間外猫として暮らしてから我が家に
来た猫である。年を取ってからの外猫暮らしは見かねるものがあったのである。

 犬や猫が一番弱いところであるお腹を見せることは相手に対する信頼だと言われて
いる。このことは、信頼される側よりも信頼する側の方がよほど「偉いなァー」と
私は思う。
 相手をまるごと信頼するには強いパワーが要る。

 生き物としてこんなに自分を解放してしまえる姿に私は感動するのである。
それに較べて私は、同じ生き物としてビクビク警戒しながら小刻みにしか生きていない
のではないか、と思ったりする。

 「純一郎はたいした奴だ。大物なんだね。」

猫の年輪

2007-06-16 21:33:33 | Weblog
 我が家の母猫、15歳になる美々は時々子猫たちを呼び集める。
いつもより一オクターブ高い声で何度も鳴くので、一瞬、何事が起きたのかとビックリ
する。
 子猫たちが生後三四ヶ月頃までは、もっぱらトンボを取った時、たまには蝉もいたが
子猫たちを呼び集めて見せていた。

 今はテーブルの上の夫のお皿から鮭や秋刀魚を失敬する。まず、魚を床に落としてから
子猫たちを呼ぶ。最初のうちはトンボや蝉の時のように皆が集まって来たが、今は誰も
来ない。子猫たちは魚を食べないし、「いつもの集合だよ~」といった感じで反応なし。
子猫といっても皆、13歳である。
 しかたがないので(?)美々が自分で食べるが一切れ丸ごとは食べきれない。

こんな時、夫は決して叱ったりしない。私も自分のお皿は無事なので黙っている。

 母猫は貪欲で子煩悩で、観察力があっていつまでも子猫たちを守ろうとする。
反面、イビキはかくし、寝言は言うし、飼い主をうまく操縦もする。

 私は美々と15年間共に暮らしてきて、愛くるしかった若いときの美々も忘れられないが
毛艶の失せた目やにのついている今の美々も「断然いい」のである。
 何を考え、思い出しているのか、静かな表情を見せる老いた猫の年輪を重ねた姿に
しみじみとした時間の重みを感じるのである。

外猫たちの居場所

2007-06-09 21:26:50 | Weblog
 私が毎日通う雑木林の公園は今の季節は木々や若葉の清新な
息吹が満ちていて、歩くごとに生まれたてのヒンヤリとした空気が
肺のすみずみまで行き渡る。
 「ひとり静か」や「二輪草」が白い可憐な花を咲かせていて、
その道の先に、外猫たちの避難箱がある。

 三年前、そこの近くに「危険、マムシ・・・」の看板が立てられて
おおいに驚いたものであった。都会の喧騒から取り残されたような
小さな雑木林に、行き所を失ったマムシの存在も哀れである。

 外猫たちが嫌われる理由の一つが「花壇を荒らす」と言うことであるが
猫の習性として、耕された柔かな土はトイレの場所として最適である。
なるべく人家から離れた場所に居場所を設けているが、昔から人間と共に
暮らしてきた猫たちには、家々の近くで生きることで安定を保つ習性が
確立してしまっている。

 雑木林の中に外猫たちの居場所をつくった私は、もし「マムシ」が出現したら
猫たちを守るために闘うつもりである。

 でも、「マムシ」も今や追い詰められた境遇にある生き物である。
そのことを思うと私の気持ちは釈然としない。

お向かいのネコ子ちゃん

2007-06-02 21:14:48 | Weblog
 我が家の茶髪は時々お向かいの家の二階の窓を気にしている。
それは、窓のカーテンのこちら側で「ネコ子」と言う名前の
飼い猫が我が家の方を眺めているからである。

 ネコ子ちゃんは、アメリカン・ショートヘアという種類の
猫でダークグレーの太目の縞模様が美しい箱入り娘である。
気温が低く雨降りの日はネコ子ちゃんはお出ましにならない。

 一方、茶髪は寒くて天気の悪い日でも健気にも、ネコ子ちゃんが
見えやすい場所にガンバッテ待っている。
でも残念無念という日が多く、すごすごと戻ってくる。

 猫は近所に住むものは互いに情報を持ち合っている。情報を
持ち合っているとめったなことでは争いはおきない。
しかし昨今は家の中だけで飼われている猫が多いので、猫たち特有の
情報交換はでき難くなっている。

 茶髪にとってネコ子ちゃんはかなり気になる存在らしい。
ネコ子ちゃんは、茶髪のことを雄雄しい日本のトラ猫として
見てくれているかしら。