~快感塾・isochanの挑戦状~

偽りのない素のままの自分との対話、そこからでしか始まらないもの。

『サイン』

2004-12-18 21:24:28 | 映画評
人によっては間違って『シャラマン』って云う。
まぁ『シャマラン』が正解であり、実はシャラマンつってたのは当のオレ自身だったりするわけだが、
それはともかく、
そのM・ナイト・シャマラン監督の『サイン(原題SIGNS)』を、いま観終わったとこ。
いやぁ~、よかった。
シックスセンスよりアンブレイカブルよりも、よかったぐらい。
劇場にて、じっくり味わって観たかった。

観終わって、さっそく映画評を検索したところ、
『最悪』だの『時間のムダ』だの『がっかりさせられた』だの、出るわ出るわの低評価。
この事態それ自体を、逆にオレは『最悪』と感じ、『がっかりさせられた』。

観るところが、ちがうだろう。
思うに、あらかじめ『面白がろう』って身構えるから『面白くない』だの『金返せ』
って、そうなるんじゃないのかな?
天下のシャマランに、月並みな面白さを求めてはならない。
子役がカワイイとか、あとはメルギブソンが、何ともチャーミングだなぁ~とか。
あ~シャマラン、ここで出たかとか。
そんな事を思いつつ観ていくと、やがて甘美な、夢の如き『映画的時間』は流れてゆく。
こんな映像体験は、ありそうで、ない、なまなかな技量では、撮る事ができない作品。

シャマラン監督は、我々を『愉しませよう』って思ってる。
その意を汲んで、大いに愉しまなくてはならない。
メルギブソン扮する元神父は云う、人間には2種類あると。
奇跡を神の啓示と受け取る人間と、奇跡を信じぬ人間と。
ある衝撃的な体験をもって、再びメルギブソンは、信仰の『心』を取り戻すのだが。
人間には2種類ある、この映画を評価する側と酷評する側と。
まぁどんな感想を抱いても個々人の自由ではあるわけだけど、
オレは、この映画を『面白い』って云う側の感性を、信頼したい。

『狙いに嵌っているだけ』って云いたければ云えばいいが、挿入される短いエピソード、
妻との『最後の』会話のシーン、極限の状況でのあの『会話』、
絵空事の、作り事のあの世界観を、我々は愉しむべきなのだろう。
結局シャマランは云いたいんだろう、脚本こそが映画の死命を制するのだと。

シャマラン最新作ヴィレッジは未だ未見だが、きっとこれまた『愉しい作品』なのだろう。

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