性転換手術‐美容外科医のBlog

日本で唯一、開業医として永く本格的なMTFSRSに携わってきた医師が、GID(性同一性障害)治療について語ります。

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新しい動き―開業へ

2006-05-24 | Weblog
平成7年の7月と9月に4例めと5例め(私が執刀医としては1、2例め)の性転換手術を都内のクリニックの施設でさせてもらったあと、そのクリニックからもうこれ以上は受け入れられないと断られました。術後の管理が難しく不慣れで、ナース側が協力できないというわけでした。私はすでに何人も次の予約患者を抱えていましたので、本当に困ってしまいました。すると、そのクリニックの事務長が「もう、先生自身でクリニックを開業してやるしかないんじゃないですか」と言われました。確かに法的リスクもある手術ですから、他人の施設に頼らず、自分で手術場所を確立してやるべきでしょう。しかし当時、毎日全国各地で美容外科の仕事をしていても、私はそれほど高い給料も得てなく、毎日手術さえしていれば満足という状況で、開業する資金など全く用意できてなかったのです。ただ平成7年には普通の美容整形で、週3日行ってる大阪では、紹介と口コミによる私の指名客だけで毎月400万円くらいの売り上げ(料金が安かったので一般の美容外科クリニックの値段に換算すると7、800万くらいに相当する症例数)があったので、開業しさらに性転換手術の収入も加えれば宣伝広告なしでも、十分やっていけるのではないかと考えました。それで何とか500万円のお金を用意し、性転換手術で世話になった東京のクリニックから1000万を借りて大阪で物件探しを始めました。毎日仕事で私が動けないので、事務長に開業準備の一切を依頼しました。今考えると本当に多くの人に助けられて大阪開院で本格的スタートを切る日本の性転換治療が始まったのだと感慨深くなります。今でこそ大阪では性転換ニューハーフは溢れていますが当時は各店に1人いるかいないかで、北新地の老舗のVというニューハーフクラブだけが何人もいるという状況で、性転換はまだかなり珍しかったのです。Vのニューハーフはそれまでほとんどが300万円以上かけてシンガポールで手術していました。私が執刀した2例めのコはこのVのニューハーフです。それでその店の他の未性転換のコが次は私の番と予約を入れたり、またシンガポール産の手術の修正を依頼されたりして、2、3年後にはVのほとんどのニューハーフが私の患者さんになってしまいました。また他の店でも次々と性転換が増え、全然珍しくなくなり、その変化が東京や全国各地でも始まりました。ニューハーフ界のそういう革命的変動の始まりが平成8年1月の当院の開業でした。
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