日刊わた・りん

このblogも14年目を迎えます。令和元年となった今年も、“気ままに”更新したいと思います。

明日で、あれから、もう、一年・・・

2006年03月19日 | 心のため息
忘れもしない2005年3月20日の日曜日
10時53分頃のこと。

テレビの速報で、福岡県地方で大規模な地震が
あった模様・・・との字幕スーパー

福岡県西方沖の深さ約10kmで、
マグニチュード(M)7.0(暫定)の地震が発生し、
福岡県福岡市の中央区や東区、
福岡市の西側に隣接する前原市や
佐賀県みやき町で震度6弱の大きな揺れを観測した。

この地震では、会社の福岡営業所勤務の社員をはじめ、
自分にとって、とても大切な知人が被災した・・・

この地震からさかのぼること10年前・・・

平成7年(1995年)1月17日午前5時46分に
発生した阪神大震災は、淡路島北淡町野島断層を
震源とするマグニチュード7.3で、
淡路島、神戸市、西宮市、芦屋市など、
震度7の烈しい揺れに見舞われ、6,000人以上の死者が出た。

また、2004年10月23日に新潟県中越地方を震源とする
マグニチュード6.8と推定され地震では、
震源地の新潟で震度6強、
北関東、南東北・信越地方で震度5弱、
関東、中部、近畿地方など広範囲に渡り
震度4~1を記録した。

この阪神大震災、新潟県中越地震でも
大学の親友が被災した・・・
しかし、幸いにも皆、今も、健在である

特に、阪神大震災は、時間が経つにつれて
被害状況が深刻さを増していった・・・
会社に居ても、心配で仕方が無かった

そんな中で、早めに帰宅し、
電話がつながりにくいのは知っていたが、
親友の安否を確かめるため、
一晩中、かけ続けた・・・

連絡が取れたのは、地震発生から、
20時間以上過ぎていた・・・

でも、怪我も無く、無事の声が聞けて
嬉しかった・・・
被災地からは回線がパンクし、つながらず、
彼は、最初に連絡を取れた相手が自分だと言っていた

彼の家族、友人に安否を伝えたり、
物資を送る手はずを取るため、その日は、会社を休んだ

そんなことを経験した災害だった・・・

その後、別な親友が新潟県中越地震で被災した

地震の規模に比べ被害が少なかったことが幸いし、
新潟県中越地震では、比較的直ぐに
安否を確認することが出来た・・・

それでも、不安で電気は点けたままにしないと
居られないと言っていた・・・

福岡西方沖地震では、地震発生のスーパーが流れて直ぐに、
大切な知人、尊敬して止まない彼女宛に電話をかけた・・・
でも、もちろん、繋がらない

メールを送った、何通も・・・

それでも、返事は来なかった

地震発生から何時間過ぎただろう、
彼女からのメールが届いた・・・

怪我も無く、無事だという返事
でも、余震が怖い、とも書いてあった

これまで、文句を言ったことは無かったが、
今回に限っては、連絡が遅いと言う文句と、
阪神大震災・新潟県中越地震でのことを
返事した・・・

揺れの割には、被害も市中の被害は少なかった
こともあり、のんびり(?)していたが、
被災地外で、大きく騒がれているとは思わなかった
と言う、答えが返って来た

まあ、細かいことはどうでも良かった・・・
無事なのだから

そんなやり取りをした、特別な日だ
あれから、もう、一年が経つ
徐々に記憶の彼方へ消えて行くのだろうな・・・

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