だいすけ・のっちょのひよこクラブ

我が家の3人のひよこ成長日記と雑記
何十年後かに、大きくなったひよこ達とこの成長記を読み返すことを夢見て。

完・春の嵐

2012-04-19 22:44:55 | “オレに語らせろ”


震災直後は、多くの人が『自分も何かの役に立ちたい』と考え、その想いの強さ故、自身のあまりの無力さにイラ立ちを覚えたこともあったでしょう。


・・・でも、実際今はどうでしょうか?

本当に不思議なもんで、、
震災直後は現実とは思えなかったほどの衝撃的な映像を・・・
徐々に冷静に見られるようになって行く感覚が、自分の中で恐い気がしていました。

そして、最近では、被災地に対する関心の風化が問題になっています。

実を言うと・・私自身もすごく怖かったです。
思うだけで、何も行動できていない、器の小さな自分が、何も行動しないまま、『何かできないか』という気持ちまで忘れてしまうんじゃないかと。


でも今回、被災地に行って、自分の目で見て、肌で感じて・・
本当に『ひとごと』ではなく『自分ごと』に変わりました。

自分で被災地に行ったことで、少なくとも私は、一方的にTVの前で現実感の無い映像を見ていた時より、遥かに強く自分ごとと感じるようになっています。

自己満足だろうが、たいして役にたっていなかろうが・・

それでももし、自分の街が・・
もし自分が住んでいたらという気持ちになり・・

そんな状況に立たせられたら『やっぱりどんな力も借りて復興したい』と強く望むんだろう。 そして、現実に自分と同じ気持ちの方が、実際、何万人も居るんだなと実感しました。

それに気づいた時、やっぱり男として、子供を持つ親として、『少しでも誰かのためになるなら!』『明日は我が身だ!』という感情が高まり、
太っ腹なことは出来ないけど、細く長く支援できることをやりたいと!強く思いました。



今回行った七ヶ浜ボランティアセンター。こちらのセンターでは、団体のボランティアはもちろん県外からの個人のボランティアも受け入れています。

ボランティアの受付をすませてその後、全体ミーティング(朝礼)を行い、ラジオ体操、そしてマッチングといって、仕事が振り分けられていきます。

今回私が参加したボランティア団体は72名。あの風の影響もあり、20名の欠席者がいましたが、バス2台でこのボランティアセンターに来ました。

この日、1番の団体だったので、このマッチングで仕事を振り分けられるんですが、私達の作業はもう決っていました。

ここで、私は驚いたんですが・・。

ボランティアの仕事はそれぞれ、、室内作業、瓦礫撤去、海岸清掃、こまかい事までいろいろあります。その中で、挙手が出来ます。
そう、作業は現地の割り振りではなく、ある程度、作業が自分で選択できます。

例えば『縫い物が得意だという方はいますか?』『子供さんと接するのが好きな方は居ますか?』『体力には自信がある!という方は居ますか?』と私達に聞き、また自分達で行う作業を選べるのです。

人数を把握して、センターの方がどんどん仕事を割り振っているのではなく。
ボランティアに来た方の得意なものや、体力にあったものを優先して振り分けています。

もっと流れ作業で物事が、どんどん決っていくのかと思っていたので、これも1つの大きな勘違いと言いますか・・驚いた事でした。

『体力に自信が無い私が、ボランティアに行って役に立つのだろうか?』と思われ、気持ちはあってもなかなか行動に移せない方もいらっしゃると思いますが、大丈夫です!

センターの方は、その人、1人1人に合わせた仕事をきちんと選んでくれます。

また、この朝礼の中で、しきりに言っていた言葉は、『来て下さってありがとうございます』という感謝の言葉と、『仕事はしなくてもいいから無理はしないでください』『力の6割で作業をしてください。怪我をしないで下さい。』という私達を気遣う言葉でした。

作業中も、もちろんそうですが、センターの方が、本当に心からの感謝の気持ちで、私達を受け入れてくださっているんだなぁ~そんなお心使いが随所に見えました。


さて、
被災地に行って、私が何より1番強く思ったのは“まだ1年”だということ。
復興は、”まだまだ先”だということです。

復興まで、間違いなくこのペースだと本当に時間が掛かります!
これは、実際に被災地で活動して思ったことです。


今回、私が行った活動は、流されてしまったお宅の跡に生えた雑草の除去と、雑草を刈った後、海水を含んだ土を掘り返し、土の中に埋まった沢山の瓦礫の撤去と、分別でした。

全部がそうではないでしょうが、流されてしまったお宅の跡(今回私達が作業させていただいた集落)は、植林され、今後の津波対策を行っていくようです。

しかし、植林するには、植物が育たない海水を含んだ土を出して、その下に埋もれた瓦礫などの撤去が必要です。

元々、植木屋で働いていた事もあり、スコップやクワなどは使い慣れていましたし、また、雑草の除草や、ネコという一輪車の扱いに慣れていたので、私は、作業的には問題はありませんでしたが・・

やはり、瓦礫の密度が高いところでは、スコップなどが入らない箇所も多く、かなりの重労働でした。それでも、現地で知り合った方達と協力をして、ある程度、効率よく作業をおこなえたのではないでしょうか。

今回約70名で、1件のお宅を作業させて頂きましたが、掘りおこして出てきた瓦礫は、すべて手作業で、分別していき、土嚢袋に入れていきます。

葉っぱや茎、根、海草などの「植物系ごみ」。
屋根瓦の破片や陶磁器などの「瓦系ごみ」。
また「小石・岩」、そして「ガラスごみ」に「金属ごみ」。すべて分けて土嚢袋に入れます。

実際、この出てくるものだけでしたら、精神的にはなんでもないのですが、そこは、大切なものが沢山流された場所。

土の中からは、生活用品や写真なども、どんどん出てきます。

何かが出てくるたび『まじかよ・・』誰かがつぶやき、手が止まり、その場に立ち尽くしています。

名前の入った学習用具や、写真・・それらを見るたび、作業の手が止まってしまいます。

また、思い出品だけではなく、土からは、鋭利なものも沢山出てきて、作業前に説明があったように、本当に危険です。

事前に、安全靴や、厚手の手袋を用意して何十にも重ねていましたが、実際、私は現地で手のひらにガラスが刺さり出血しました。
また、陥没している地面や、ひどくぬかるんでいる所もあり、正直、作業は注意が必要です。

だからといって、注意ばかり気にして作業のペースが落ちても行っている意味がなくなってしまいます。

このような手作業が必要な箇所が、まだまだ沢山あるので、もっと土建業の経験者の方に、ぜひ来てもらって作業して欲しい!
本当にそう思いました。

この日、掘り起こして分別した土嚢袋の数は、たぶん2000~2500くらいになりました。

枯葉、瓦礫、石、木材、ガラス、ビンカン、プラスチック。それを土嚢袋にいれますが、その入れた土嚢袋の山も、そのままです。

その他にも、1人では持てない石もゴロゴロ出てきて、その場に置きっ放しですし、門扉?やなんかわかんない柱の一部とかも、そのままです。

テレビで、復興はながい戦いになる・・なんて報道されていますが・・。
実際、こうして作業を行ってみて、これは何年掛かかるかわからないと素直に思いました。

現地スタッフさんが、『ここは、まだいい方なんですよ。』と言っていましたが、私にはその意味がわかりませんでした。

だって、いいもなにも、何にも無いんですから。

ここが集落だったとわかるのは、複雑にまがった電柱や、地割れした道路跡。そして、家の基礎があるからなんですが、それ以外何にもないんですよ。

『まだ手をつけてない集落もある。』という現地スタッフさんの話を聞いて、
本当に本当に継続した戦いが10年単位で続くと確信しました。

大きい瓦礫などは、ある程度、まとめられていて、視界の中には見えなくなりました。
一見は更地には見えると思います。

でも、その土の中にはとんでもない不純物や、思い出の品が沢山埋まっています。

そして、その地に、木を植えるのであれば、土だって入れ替えなきゃいけないんです。

次の日、この日分別した、大量の土嚢袋を片付けるのも、人数にもよりますが1日じゃ終わらないでしょう。時間も体力もかかる大変な作業になるでしょう・・。

でもね、 実際・・・
そんな状況の場所が、もう見渡す限りあるんです。


私は、人にはそれぞれの人助けの形があるという事は理解しています。

募金をする人、市内や各地で仕分けなどに参加する人、今回みたく現地に行って活動する人。
家庭や仕事があるのに、現地で、車やテントで寝泊りしながら何週間・何ヶ月と活動をする人…。

どんな活動だって、すべての人が思いを持ってやっていると思います。

ただ、一つ思ったのは。 
どんな多忙の人も、『まだ行っていないなら』一度行ってみる。
それが必要だと思います。

『百聞は一見にしかず』じゃないですが・・。

現地の本当の様子を自分の目で見る。
自分の体を使って活動する。
本当に、『現実』が身に沁みてわかります。
人事ではなく、自分の生活圏がそうであったら・・と客観的ではなく、主観的になります。

また、
自分が送ったカイロやタオル、紙コップ、手袋、マスク、トイレットペーパーがこんな形でボランティアセンターで使われてるとか。

『ゆとり世代』『今の若者は・・』とか、マイナスの声が多く聞こえてきますが、とんでもない!実際現地で1人で来て活動している、『その』世代の高校生や大学生の数の多さ、気持ちの高さとか。

すべての事を生で見ることで、どれだけ一方的な側面から震災を見ていたかと思い知らされると思います。

今回、活動した内容だけではなく、復興の為に様々な作業がまだまだ残っています。


被災地の方が口をそろえて言うのは、これからが本当の復興なのに・・
「忘れられることが一番怖い」というもの。


本当に、ボランティアの方の数が減っているようです。
まだまだ、これからが必要なのに・・。


何度も、現地の方が、『忘れないで下さい』『皆さんが情報の発信源になって、現実をみんなに広めて下さい』と言われていました。

すべての作業を終え、新宿に帰って来て、私は今回始めて涙が出ました。
現地に居る時は、感情をごまかすように作業をしたり、バスの中では隣の高校生と話したりして、気持ちをおさえ、誤魔化していましたが・・。

解散し、のっちょに電話を入れ、帰路についたとき。
1人で新宿駅に立ってみると・・そのあまりのギャップに、気持ちの誤魔化しができなくなりました。

車で5時間程の距離しか離れていないのに、この差はなんだ!?ホームに立ち本当に思いました。
あまりにも涙が出るんで、せっかく来た電車を見送りトイレに駆け込みました。

人それぞれ、物事の捉え方が違います。

ただ・・私は、このあまりにも違う2つの現実が、1つの時間で流れている事が信じられなくなりました。

数時間前まで、すべてが流され、人もいない。建物も無い。そんな土地に立ち、作業していたのに・・
今は、こんなにも、人も建物も多い場所に立っている自分が信じられなくなりました。

『もうすべてを止めて、みんなで復興のために、1週間!!日本全国民で行けばいいじゃん!』

本当にそう思いました。
だって、東京は、本当に本当に人が多いから・・。

生活もある、心配事もある。
それはわかります!私もそうでした。

でも、実際、私も含め、現地に来られている方は、すごくシンプルな気持ちで来ています。

『ごちゃごちゃ考えずとりあえず行こう!行かなきゃ何も出来ない!!』

私は、これからも、自分の気持ちを大切にして生きたいと思っています。
子供達にみせる父の姿としてもそう。私自身の人生もそう。

それが、少しでも誰かのためになるなら・・
シンプルに、『ごちゃごちゃ考えずに出来る事をやろう』と思っています。


私が活動した日、本当にすごい風と雪が降っていました。
なんて悪天候だ!とその時は思っていたけど・・嵐だからこそブレないよう・・ずっと見ていました。

そう、 、
現地での昼休みに、この春の嵐に吹き飛ばされないよう・・
忘れないように・・
私は被災地の景色を忘れないように、時間をわすれてずっと見ていました。




ながながと書きましたが、これから現地に行って活動をされる方へ、何か1つでもためになる事が書けたのならいいなぁと思います。

最後に・・

偶然、バスで隣同士になった気持ちの高い高2の男子よ!
本当に、いい刺激を頂きました!!
お前に負けないくらい、おじさんもがんばります!!また会おう!!

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