の~んびり、ゆっく~り、ほっこり

いつもバタバタ、ドタドタ、ウカッリ、ゴチャゴチャの私…
のんびり、ゆっくり、ほっこりと出来る時が、私のごちそう!!

京都 島原を散策

2015年11月18日 | 遺構 めぐり
前から気になっていた京の町、島原界隈を訪ねてきました。



嬉しい事にとても良い天気♪

この日は高校時代の友人と四人で散策。
 
京都近くに嫁いでいる方が一緒でしたので、京都の風習も教えてもらい、
「へ~、わ~、そうなんだ~!!」と、初めて知る事、見た物と
盛り沢山の爽やかな秋の一日を過ごしてきました。
 

島原は京都駅からそう遠くも無いのでのんびり歩きましたが、 
いつも車でサッと通り過ぎる大通りも歩くと景色がまったく違います。

堀川通りから、世界文化遺産の西本願寺





何かもが大きくてカメラに収まらない


境内の大イチョウの木は樹齢300年 
天明の大火、明治三十五年に隣りの興正寺が焼けた時、水を噴いて伽藍を守ったと云われてるそうです。

ずんぐりしていて、なんだか愛嬌がある天水受けを支える邪鬼


境内を通り抜けさせてもらい島原へ




お腹が少し空いたので、朝のおやつを店先で頂きました


おけそくってなんですか~?? 太夫道中って今でも有るのですか~?? 店員さんに尋ねたり


町屋の玄関の上に厄除けに飾られているのは鍾馗さん


これは、お友達がいわれを詳しく教えてくれました。 



島原大門








島原は、秀吉の許しを得て開設された花街(歌舞音曲の遊宴の町)で、最初は二条で開設されたが、御所に近いなどの理由で、東本願寺の北側辺りに移転。その後大いに繁盛して街中では風紀が乱すとこととから、今の地に移転を命じられ、この移転騒動が当時の島原の乱に似ていると云う事から、島原と通称されたそうです。

明治維新後、大型宴会の需要がなくなり、立地の悪さもあり、非公認の祇園が栄えて寂れていき、今では揚屋(今の料亭)『角屋』、置屋(太夫や芸妓をかかえている店)『輪違屋』、島原の入り口の『大門』が残るのみ



『輪違屋』


最古の置屋、今もお茶屋として営業中なので非公開

『角屋』へ寄る前にお昼ご飯は魚河岸 宮武で♪ 


『角屋』


タイミング良く秋の公開中
間合い良くて予約制の二階(写真禁)も見学でるとのこと。







客が最初に入って目にする中庭


西郷隆盛、草下玄瑞、坂本竜馬らも歩いた松の間への廊下


臥竜松の庭 この奥には重文の茶室などが三席

松を愛でながら、『松の間』で和歌や俳句を嗜み、その後酒宴の席に案内されたそうです。

贅を尽くした各々の部屋の装飾は見応えがありました。




さて、実は島原に行こうと思い立った本当のお目当ては、きんせ旅館


この旅館はもとは揚屋さんだったそうで、時代と共に旅館へと代わり
ステンドグラス、タイル、家具は営業時そのままだそうです。









どうも私は花以外は、回りに遠慮して上手く写真が写せないようで・・・

(この写真はお友達が写したお写真をお借りしました)

京都駅周辺のお食事処を知らない私達がさまよった挙句に、
こんな空間にある飲み屋さんに偶然巡りつきました♪


心も、お腹もいっぱい 笑顔いっぱいのええ一日でした(*^_^*)  

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿