の~んびり、ゆっく~り、ほっこり

いつもバタバタ、ドタドタ、ウカッリ、ゴチャゴチャの私…
のんびり、ゆっくり、ほっこりと出来る時が、私のごちそう!!

阪神大震災 すこしだけ20年前の事… 

2015年01月15日 | 日記
阪神大震災から20年  
まだまだあの瞬間の感覚は鮮明に思い出せるけど、これから先ずっと覚えていてれるかといえば良く解らない。 
人は辛かった事、悲しかった事などの記憶は忘れる事が出来るように出来ているとか…

次女が小学一年時の作文が掲載されている、震災から三年後に発行された兵庫県下の児童の作文集
『ドッカンぐらぐら第二集 そしてあしたに』を数年振りに読み返してみました。



一年生の終わり頃、担任の先生のお手紙付きで作文が書かれた原稿用紙を持って帰ってきました。

お手紙は「ドッカンぐらぐらの第二集に載せる作文に決まりましたので、おかあさんも目を通して下さい」と書かれていました。

地震に気が付かず布団の中で眠っていて、血相を変えた私達に起こされた事から作文は始まり、学校の校区外で仮住まい、新しい家が建つ事になったけど今度は庭のある家ではないのが悲しい、でも新しい家で楽しい事がまた出来る楽しみな気持ち、そして震災の後に生まれた弟の事が書かれていました。


幼稚園年中だった次女。
地震には気が付かずぐっすり眠っているところを起こされ、目まぐるしく非日常な事が起こったあの日の幼い子の記憶は曖昧になっていました。悲しかった事の記憶は無意識のうちに薄れて、不安だった事だけが断片的に残っていたのかもしれません。

思い違いが特に大きかった事は、あの日に助けて頂いた方々に申し訳ないので正しく書き替えて提出。

作文を読んだ時私は、子供の記憶は繰り返して語ったりしないと薄れるものなんだなぁと思っていましたが、就寝中に起こされて、何が何だか良く解らないけど着の身着のまま、真っ暗な外へ靴もはかず素足で抱っこされて公園に避難、夜が明けると公園には自分達と同じように着の身着のままで布団をかぶっている人ばかり。

毎日遊んでいた公園の地面は何本もの地割れ、地面の奥底からのゴーっという地鳴り、余震のたびにどこかの家がガラガラと壊れる音、お母さん(私)の足裏の怪我…

そんな嘘の様な状況、子供なり大切だったものを突然無くした悲しい思い出は、記憶から消していたのかも知れません。

私もあの時の事が年を取る事により曖昧になって行く前に、何かに書き留めておこうかなとも思います… 
20年たって言葉に出し、書きとめれるような気もしてきました。 

被災した後、お家が建つ嬉しさを作文に綴る事が出来たのは家族が皆無事だったから。


しばらくの間避難させていたいていたお宅でご一緒した方々、みなさん遠くに行かれたけど、どうされているのかなぁ…




取り壊す直前の写真  お隣は前日に更地となりました

摂津本山より南側は昭和30年頃の和洋折衷の家が沢山ありましたが、殆んどのお宅が倒壊してしまいました。




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