私達の魂は、あの世という4次元以降の世界から、この地上に自分自身が望んで両親を選び、どんな環境に生まれてくるのかも
自分自身で望んで出てくるのです。
この世に生まれてくる目的は、魂の向上、調和にあるのです。
物質経済はこの世に生きる為の一つの手段に過ぎません。
地位や経済、学歴によって人格が定まるものでは在りません。
それなのに、私達人間は、自分自身の知恵に溺れ、物質経済の奴隷と化し、争いと闘争を生み出しています。
この地上界に出生してくる時の私達の魂は、あらゆる転生輪廻を繰り返し、まあるく大きい豊かな心をもっていたはずなのに、
成長するにしたがって、自己保存が育ってしまい自我の虜のなってしまうのです。
自我の心の芽は、肉体の五官によって生じていきます。大きい豊かなまあるい心は次第に歪んで、スモッグに覆われ、闘争と破壊
という不調和な環境を作り出していきます。
争いの根本は、全ての基準が物質経済におかれ、出生時の約束、人間信頼という大切なことを忘れ去ってしまったからにほかなり
ません。
しかし、私達の一切の苦しみの根元は、他人ではなく自分自身の魂、己自身の心なのです。
喜怒哀楽を生み出すのは、自分の心なのです。
円には始めもなければ終わりも無いように、私達は転生輪廻によってあらゆる体験を積んで、現在この地球上という環境の中で、
その本性を悟るべく修行をしています。
ものにはすべて原因と結果があります。苦しみや悲しみ、病気にしても必ず原因があるのです。そこで、その結果を修正するには
原因を追究してその原因を正しい道に戻さなければなりません。原因をそのままにしておいては、結果の好転を望めません。
いびつな心が不調和な結果を生み出しているのですから、本来のまあるく大きく豊かな心にする為、その原因を正しい道の物差し
によって一つ一つ照らし合わせ反省し、以後、そのような原因を作らないように努力をすることです。
正しい道に照らした反省とその行為が生まれてくれば、間違った原因が取り除かれていきます。正しい道を生きていけばおのずと
現象生活も自然と整ってくるのです。他力では決して人間は救われないのです。
次に大事なことは足ることを知った生活です。足ることを知らないがために戦いが絶えないのです。足ることを知れば、自分ひと
りがこの地上界に生きているのではありませんので、感謝の心が生まれてきます。この自然界は、万生万物が相互に関係して、依
存しながら生活をしています。大自然があればこそ、私達の肉体を生かすことが出来るのです。この大自然の大きな慈悲に対して
私達は無条件に感謝の心が生まれてこなければならないのではないでしょうか。感謝の心は、行為によって人々に尽くすことです
感謝は報恩という輪廻によって、初めてその意義が見出され実証されてくるものです。私達は感謝感謝と言いながら、行為という
勇気に欠けている場合が多いのです。報恩は行為という勇気無しに実を結ぶことはないのです。
形あるものは崩れ去っていきます。全ては無常です。いま、健康であってもいつかはその肉体は朽ち果て、私達はあの世に帰らな
ければなりません。一切の責任は自分自身であり、他人ではないのです。自分自身が全ての根本なのです。肉体はあくまでも人生
の乗り舟です。私達の普遍的なものは、魂であることを知っていれば肉体にまつわる執着は離れていきます。その時の私達の
心は平和であり、その心に比例した世界に上っていくのです。
思うこと、行うことは、善なる己の心の裁きにあっているのだということを知らなくてはなりません。
それだけに、毎日、毎日、一秒一秒の心と行いの在り方が真実に適ったものでなければならないのです。
この世に生まれ出たときのまあるく大きな心を思い出し、悔いのない一生を送るよう努力を積み重ねて生きたいものです。
エンジェルは言っています。
私達が正しく生きられるように、常に協力を惜しまないと。いつでもそばにいると。
自分自身で望んで出てくるのです。
この世に生まれてくる目的は、魂の向上、調和にあるのです。
物質経済はこの世に生きる為の一つの手段に過ぎません。
地位や経済、学歴によって人格が定まるものでは在りません。
それなのに、私達人間は、自分自身の知恵に溺れ、物質経済の奴隷と化し、争いと闘争を生み出しています。
この地上界に出生してくる時の私達の魂は、あらゆる転生輪廻を繰り返し、まあるく大きい豊かな心をもっていたはずなのに、
成長するにしたがって、自己保存が育ってしまい自我の虜のなってしまうのです。
自我の心の芽は、肉体の五官によって生じていきます。大きい豊かなまあるい心は次第に歪んで、スモッグに覆われ、闘争と破壊
という不調和な環境を作り出していきます。
争いの根本は、全ての基準が物質経済におかれ、出生時の約束、人間信頼という大切なことを忘れ去ってしまったからにほかなり
ません。
しかし、私達の一切の苦しみの根元は、他人ではなく自分自身の魂、己自身の心なのです。
喜怒哀楽を生み出すのは、自分の心なのです。
円には始めもなければ終わりも無いように、私達は転生輪廻によってあらゆる体験を積んで、現在この地球上という環境の中で、
その本性を悟るべく修行をしています。
ものにはすべて原因と結果があります。苦しみや悲しみ、病気にしても必ず原因があるのです。そこで、その結果を修正するには
原因を追究してその原因を正しい道に戻さなければなりません。原因をそのままにしておいては、結果の好転を望めません。
いびつな心が不調和な結果を生み出しているのですから、本来のまあるく大きく豊かな心にする為、その原因を正しい道の物差し
によって一つ一つ照らし合わせ反省し、以後、そのような原因を作らないように努力をすることです。
正しい道に照らした反省とその行為が生まれてくれば、間違った原因が取り除かれていきます。正しい道を生きていけばおのずと
現象生活も自然と整ってくるのです。他力では決して人間は救われないのです。
次に大事なことは足ることを知った生活です。足ることを知らないがために戦いが絶えないのです。足ることを知れば、自分ひと
りがこの地上界に生きているのではありませんので、感謝の心が生まれてきます。この自然界は、万生万物が相互に関係して、依
存しながら生活をしています。大自然があればこそ、私達の肉体を生かすことが出来るのです。この大自然の大きな慈悲に対して
私達は無条件に感謝の心が生まれてこなければならないのではないでしょうか。感謝の心は、行為によって人々に尽くすことです
感謝は報恩という輪廻によって、初めてその意義が見出され実証されてくるものです。私達は感謝感謝と言いながら、行為という
勇気に欠けている場合が多いのです。報恩は行為という勇気無しに実を結ぶことはないのです。
形あるものは崩れ去っていきます。全ては無常です。いま、健康であってもいつかはその肉体は朽ち果て、私達はあの世に帰らな
ければなりません。一切の責任は自分自身であり、他人ではないのです。自分自身が全ての根本なのです。肉体はあくまでも人生
の乗り舟です。私達の普遍的なものは、魂であることを知っていれば肉体にまつわる執着は離れていきます。その時の私達の
心は平和であり、その心に比例した世界に上っていくのです。
思うこと、行うことは、善なる己の心の裁きにあっているのだということを知らなくてはなりません。
それだけに、毎日、毎日、一秒一秒の心と行いの在り方が真実に適ったものでなければならないのです。
この世に生まれ出たときのまあるく大きな心を思い出し、悔いのない一生を送るよう努力を積み重ねて生きたいものです。
エンジェルは言っています。
私達が正しく生きられるように、常に協力を惜しまないと。いつでもそばにいると。