やあ、何を怒っているんだい。つまらないことだよ。僕らには布団があるじゃないか。(挨拶)
さあ、今日も今日とてアニメ感想だよ。それにしてもシムーンは良かったな。
『仮面ライダーカブト』
いよいよカブトがハイパーフォームに進化だ。引っ張りすぎという感がなくはないが。
そしてハイパークロックアップの能力は「時間を巻き戻す」というものだった。またタイムリープネタか。ひぐらしとかシムーンとか、流行ってるんでしょうか。
進化したカブトは目茶苦茶強い。吉良吉影かキングクリムゾンみたいだ。もしくはリンゴォ。ガタックとか、全然比較にもならない。
来週負け犬が二人コンビを組んだところで、相手にならないと思うなぁ。
『NHKにようこそ』
先輩との逢引だと思っていたら自殺オフ会だった、というオチ。
俺は生まれ変わるんだ!と意気込んで精一杯はしゃぐ佐藤君。しかしオフ会参加者側からみれば、死を前に完全に気が触れてしまった精神異常の自殺志願者にしか見えなかったんじゃないかな。
『ゼロの使い魔』最終回
戦争のやり方が間違っている!
っていう指摘はこの場合無粋なんだよなぁ。
でも王女さまが開戦を主張するくだりは、恋人を殺された王女さまの私怨とも取れるし、自ら出陣というのも無茶があるだろうという気がする。
それはともかく、まあ1クールだし話の落としどころとしては無難な最終回だと思った。
『アリア』最終回
全編通して雪球を転がすだけの話。
しかしそれでもやっぱりこの作品らしいいい話。
最終回としては地味だと思うけど、アリアならいいか。
それにしてもアクアは善人だらけだなあ。きっとそんな星に生まれていたら、引き篭もりとかしなくてもいい人生が送れるんでしょうねぇ(遠い目)。
『シムーン』最終回
しかし、この寂しさはどこからくるのだろう。もし、ミツがぼくに何か教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか。寂しさは、その痕跡からくるのだろうか。そして亦、もし、この修道女が信じている、神というものが本当にあるのならば。神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話しかけるのか。しかしこの寂しさは何処からくるのだろう。 (遠藤周作 『私が・棄てた・女』より)
「誰もが少女だった」という台詞が印象的だった。そう、誰もがかつては少女だった。純粋で、何の作為もなしに空を飛べたのである。
しかしいつかは大人になる時がやってくる。いつかは少女だった時代のことを忘れていく。だから少女達は、自分たちが少女であったことを、永遠に刻みつけようとする。アーエルとネビリルはこの役割をになった。
大人になることは、寂しいことだ。色々なものを学ぶかわり、色々なものを棄てねばならない。
けれど、その寂しさは、何処からくるのだろう。
思うにそれは、少女だったということが「永遠に刻み付けられている」という、まさにそのことからくるのではないか。
ラストシーン。うち棄てられたアルクスプリーマに刻み込まれた少女達の落書き。突然ぶつりと途切れる音楽……
かつて確かにあったもの、今はもう戻れないあの頃、それを思い出す瞬間、自分自身にどうしようもなく「永遠」が刻み付けられていることを自覚してしまうのだ。きっと。
余韻が鮮やかで、いいラストだった。
「ウィッチ」の感想書いたとき、「一番いいラストだった」って書いたけど、これもすごくいい。ウィッチのようなカタルシスは無いけど、ゆったりと切なく、情緒がある。そして、やはり寂しい。それも、未来への希望と、不可分の寂しさだ。不快感ではない。
シリーズを通して見ても、神への祈りが戦争に利用されていることとか、その戦争もまた、政治の一部でしかなかったりとかハードな要素が、少女達の愛憎劇、青春劇と合わさって、すごく、何と言うか、ある意味神聖な雰囲気を醸し出していて、最初はあんまり見れなかったけど、自爆テロあたりからすごく面白くなっていった。
ああ、しかし、本当にこの寂しさは、何処からくるのだろう。
『うたわれるもの』最終回
特に言うことはないぜ!(シムーンで力を使い果たした)
『桜蘭高校ホスト部』最終回
後半からの、疾走感のある活劇は純粋に燃えた。
それにしてもこの作品、イケメンと金持ちしか出てこないんだけど、ひがんだりする気持ちに全くならないからすごかったなぁ。キャラクターがいいんだ。
今日はここまで。
それにしてもシムーンは明日にしときゃよかった。『私が・棄てた・女』については、あんまりシムーン自体には関係ないかもしれないのですが、最近読んで感動したのでつい。まあでもなんとなくニュアンスとして、似ている、ような気がしないでもないか、と。お勧めです。生きてるうちに読むべき。
さあ、今日も今日とてアニメ感想だよ。それにしてもシムーンは良かったな。
『仮面ライダーカブト』
いよいよカブトがハイパーフォームに進化だ。引っ張りすぎという感がなくはないが。
そしてハイパークロックアップの能力は「時間を巻き戻す」というものだった。またタイムリープネタか。ひぐらしとかシムーンとか、流行ってるんでしょうか。
進化したカブトは目茶苦茶強い。吉良吉影かキングクリムゾンみたいだ。もしくはリンゴォ。ガタックとか、全然比較にもならない。
来週負け犬が二人コンビを組んだところで、相手にならないと思うなぁ。
『NHKにようこそ』
先輩との逢引だと思っていたら自殺オフ会だった、というオチ。
俺は生まれ変わるんだ!と意気込んで精一杯はしゃぐ佐藤君。しかしオフ会参加者側からみれば、死を前に完全に気が触れてしまった精神異常の自殺志願者にしか見えなかったんじゃないかな。
『ゼロの使い魔』最終回
戦争のやり方が間違っている!
っていう指摘はこの場合無粋なんだよなぁ。
でも王女さまが開戦を主張するくだりは、恋人を殺された王女さまの私怨とも取れるし、自ら出陣というのも無茶があるだろうという気がする。
それはともかく、まあ1クールだし話の落としどころとしては無難な最終回だと思った。
『アリア』最終回
全編通して雪球を転がすだけの話。
しかしそれでもやっぱりこの作品らしいいい話。
最終回としては地味だと思うけど、アリアならいいか。
それにしてもアクアは善人だらけだなあ。きっとそんな星に生まれていたら、引き篭もりとかしなくてもいい人生が送れるんでしょうねぇ(遠い目)。
『シムーン』最終回
しかし、この寂しさはどこからくるのだろう。もし、ミツがぼくに何か教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか。寂しさは、その痕跡からくるのだろうか。そして亦、もし、この修道女が信じている、神というものが本当にあるのならば。神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話しかけるのか。しかしこの寂しさは何処からくるのだろう。 (遠藤周作 『私が・棄てた・女』より)
「誰もが少女だった」という台詞が印象的だった。そう、誰もがかつては少女だった。純粋で、何の作為もなしに空を飛べたのである。
しかしいつかは大人になる時がやってくる。いつかは少女だった時代のことを忘れていく。だから少女達は、自分たちが少女であったことを、永遠に刻みつけようとする。アーエルとネビリルはこの役割をになった。
大人になることは、寂しいことだ。色々なものを学ぶかわり、色々なものを棄てねばならない。
けれど、その寂しさは、何処からくるのだろう。
思うにそれは、少女だったということが「永遠に刻み付けられている」という、まさにそのことからくるのではないか。
ラストシーン。うち棄てられたアルクスプリーマに刻み込まれた少女達の落書き。突然ぶつりと途切れる音楽……
かつて確かにあったもの、今はもう戻れないあの頃、それを思い出す瞬間、自分自身にどうしようもなく「永遠」が刻み付けられていることを自覚してしまうのだ。きっと。
余韻が鮮やかで、いいラストだった。
「ウィッチ」の感想書いたとき、「一番いいラストだった」って書いたけど、これもすごくいい。ウィッチのようなカタルシスは無いけど、ゆったりと切なく、情緒がある。そして、やはり寂しい。それも、未来への希望と、不可分の寂しさだ。不快感ではない。
シリーズを通して見ても、神への祈りが戦争に利用されていることとか、その戦争もまた、政治の一部でしかなかったりとかハードな要素が、少女達の愛憎劇、青春劇と合わさって、すごく、何と言うか、ある意味神聖な雰囲気を醸し出していて、最初はあんまり見れなかったけど、自爆テロあたりからすごく面白くなっていった。
ああ、しかし、本当にこの寂しさは、何処からくるのだろう。
『うたわれるもの』最終回
特に言うことはないぜ!(シムーンで力を使い果たした)
『桜蘭高校ホスト部』最終回
後半からの、疾走感のある活劇は純粋に燃えた。
それにしてもこの作品、イケメンと金持ちしか出てこないんだけど、ひがんだりする気持ちに全くならないからすごかったなぁ。キャラクターがいいんだ。
今日はここまで。
それにしてもシムーンは明日にしときゃよかった。『私が・棄てた・女』については、あんまりシムーン自体には関係ないかもしれないのですが、最近読んで感動したのでつい。まあでもなんとなくニュアンスとして、似ている、ような気がしないでもないか、と。お勧めです。生きてるうちに読むべき。