ニッポン都々逸の旅

桜、緑、花火、紅葉、雪、街、できごと、歌会…いろいろな都々逸を僭越ながら披露させていただきます。

7月31日。

2006-07-31 16:32:09 | おもいで。

汗が流れて受付ひとり 真夏の暑さが暑すぎる

7月31日。
この日は私にとって 「特別な」 日でもあります。

私がはじめて一人で企画から出演交渉、会計までを手がけた落語会 「広小路八耐」(於・お江戸上野広小路亭)が9年前のこの日にスタートしたのです。

この会は落語・講談・浪曲・マジック・太神楽などの若手が、昼12時から夜8時までぶっ通しでかわるがわる出演するという、文字通り 「八時間耐久」 の会で、最初の1年間で5回開催、その後は毎年7月31日に開き、一昨年まで計12回開催した、ごく一部で 「伝説」 となっている落語会です。

とにかく全てを一人でやるのですから、受付も私
冷房もない上野広小路亭の受付は、ただでさえ暑い日をより暑くさせましたが、入ってくるお客さんに励まされ、出番を終えた芸人さんに励まされ、帰られるお客さんに声をかけていただいたりしたおかげで、なんとか受付も 「八時間耐久」 を完走することができました

会の日が近づいてくるまでの不安な日々とから、会が終わって芸人さんと朝まではしゃいだ打ち上げとのギャップは、それまで 「もう今年で終わりにしようか…」 と思っている私を、「また来年も…」 という気持ちにさせるには充分のものでした。
この楽しさがあるから、12回も開催できたのだと思います

第1回目から9年の月日が流れた、ということは、それから晴れて真打に昇進したひと、テレビで活躍しているひと、いまひとつ伸び悩んでいるひと、そして残念ながらこの世界から足を洗ったひとなど、その後の道はさまざま。
でも、一緒に八時間を闘った仲間として、この人たちのことは一生忘れないでしょう

あと10年ほど経って、第1回から20年となったら、出世したひともそうでないひとも集めて、思い出の会を開きたいなぁ、という夢もあります
そのときは 「ギャラは負けといてね」 と一言付け加えることになると思いますが

来年の7月31日、また今日と同じことを思い出すことでしょう。


「しぐれ」 7月歌会。

2006-07-30 19:18:52 | 都々逸・歌会・句会

作り手から見る目線になって ジャッジは今夜の胸しだい

28日(金)は、「しぐれ」7月例会でした。
出席34名(たぶん)。

今月の題は、「耳」 「豆」 「悪」 「走」 「美」 →並べて読むと 「みずあそび」 になります→の5題。
私は 「耳」 の選者だったので、今回は3章×4題の計12章の出詠でしたが、今回も締め切りギリギリまで喫茶店で粘ったものの、「走」 は2章しか出せず、11章の出詠となりました。

私の題 「耳」 は、木耳(きくらげ)、土耳古(とるこ)といった難読?の素材がいくつかあり、「表現自由=字結び(作品の中に題の文字を入れて作ること)可」 という出題形式の面白さが出ていました。

選者の中には、こういうある種 「奇をてらう」 作品を好む人もいますが、どちらかといえば、私は 「字の使い方に気をとられて、肝心の中身が伴わない作品」 は落とす傾向にあります。
もちろん、中身がよければ採ることもありますが、大部分において 「奇をてらった」 題の使い方をした作品は、それで満足してしまうのか、中身が伴っていないケースが多いようです。

また、普通なら 「トルコ石」 と書くところを、題が 「耳」 だからといって 「土耳古石」 にする、というのもあまり好みではありません。
表現上、必要のない使い方だからです。

私にも 「奇をてらう」 ものを多く使った時期もありましたが、思考がだんだん 「シンプル」 になってきつつあるようです

そんなこんなで選んだ作品は次の通りです。

人位 … 隣のイヤホン シャカシャカ聞いて ラッシュの苦行が積み上がる(阿部勲)
地位 … 女心の声転がして カラオケ耳から迫られる(吉住義之助)
天位 … 耳に馴染んだ波音乗せて 僕へ真夏がやってくる(嶋本遊幾)

こうやって見ると、上の七七が 「聞い」 「転がし」 「乗せ」 で終わって、最後が 「積み上が」 「迫られ」 「やってく」 で終わってるんですね
なんとワンパターンな選者でしょう

ちなみに、私の結果ですが、

豆挽く音だけBGMの 無口に浸った純喫茶(豆)
言い出せないまま帰った夜の 奥歯に挟まるピーナッツ(豆)
悪戯ていどが裁判沙汰になって 出世は崖っぷち(悪)
善人悪人そのバランスへ 都会は闇から朝になる(悪)
お互いゴメンが言い出せなくて 掃除機無言で走らせる(走)
日記の結びをきれいに仕上げ いい日をいい日にして眠る(美)
告白その時花火の音が 君の笑顔を照らし出す(美)

以上7章が入選しました。


ゴルフとわたくし。その3

2006-07-27 12:11:40 | おもいで。

スコアの苦心も楽しくなって やっとゴルフが趣味になる

結局、2年生になる寸前にゴルフ部は退部。原因は先輩とのちょっとした 「いさかい」 でした。
それでも1試合だけ大会(南関東新人戦)に出場、参加230人中108位という成績は、「半分より上」 という点ではなんとなく良かったなぁ、と思ったのを憶えています。

それからもお父っつぁん、兄2人と行くゴルフは続きました。

お父っつぁんと一番上のあんちゃんは、飛距離こそ出ませんが、なんとなく小技でスコアをまとめるタイプ。
二番目のあんちゃんと私は、「あとはボールに聞いてくれ~」 的な、とにかくスッ飛ばすゴルフで、我々の組に当たったキャディさんは、いつも右往左往しています。

ある日のあるホールでの出来事。
距離の長いパー5のホールで、数百メートル先のバンカー(砂場)から左にカーブするレイアウト。バンカーを越えてしまうと崖になっていて、OB(打ってはいけないエリア)でペナルティになってしまいます。
二番目のあんちゃんがキャディさんに 「バンカーまで何メートルくらい?」 と聞くと、キャディさんは 「だいたい300メートルちょっとだけど、心配しなくていいよ、誰もバンカーまで届いたことがないんだから」 と答えました。

お父っつぁんがまず打ち、その次が私。思い切り振った1打はなかなか出ない会心のショットで、最後は転がってバンカーへ。
キャディさんが 「あれ~、1打目でバンカーに入れた人は初めて見たよ~」 と目を丸くしています。
続いて二番目のあんちゃん。
こちらも珍しいナイスショットが出て、ボールはノーバウンドでバンカーを越え、スーッと崖下へ消えていきました。
「わ~、とんでもない組にはいっちゃったな、こりゃ」 と、さらに驚くキャディさん。
そんなカッ飛ばしても、いざカップインすると、飛距離はぜんぜん届かないお父っつぁんの方が良かったりします。
それがゴルフの醍醐味なんでしょうね

そんな親子4人のゴルフは10年近く続きましたが、兄弟3人の環境も変わり次第に回数は減っていき、
ここ数年はそんな機会すらなくなりました。

最近では二番目のあんちゃんの長男、つまり私の甥っこがゴルフに興味を持ち、今年の正月はついに 「お父っつぁん、あんちゃん、私、甥っこ」 の4人で久しぶりにコースへ出ました。
コースデビューが中3、初コースが館山と、私とおなじ状況でスタートした甥っこは、さすがにスポーツをやっているだけあって 「スジ」 が良く、私もあっという間に抜かれてしまうかもしれません。
これから甥っこがどうゴルフと関わっていくか、私も楽しみになってきました

ところで、お父っつぁんはこれで 「息子3人とコースへ出る」 の夢に続き、「孫とコースに出る」 の夢も果たしたことになります。
無趣味人間だったお父っつぁんが唯一ハマった趣味、ゴルフ。
その趣味で息子、そして孫と時間を共有できるのですから、こんなに嬉しいことはないはずです。

もう思い残すことはないでしょう


ゴルフとわたくし。その2

2006-07-26 12:15:37 | おもいで。

紳士のスポーツだけれどここも 体育会系だったとさ

私立S学院高校に入学した私は、文化系では音楽部、体育系ではゴルフ部に入部しました。
昨日の通り、ゴルフ部は 「勢い」 だけ…。

おっとりしたスポーツに見えますが、部の体質はモロに 「体育会系」 でした。
汚い部室、厳しい上下関係、けっこうきつい練習…などなど。
練習では、近所の 「打ちっぱなし」 練習場や、埼玉県志木市のショートコース(距離の短いゴルフコース)にも出向きましたが、基礎体力づくりの練習も当然ありました。

部員は、引退間際の3年生が3人、2年生が5人、1年生は私を含め2人と、こじんまりしたもの。
唯一の 「同期」 であるK.Oクンは、歌手の●ミ●田さん(←伏字にする意味なし)の一人息子です。

1年の夏休み、福島のゴルフコースに、1週間の合宿を張りました。

朝4時30分起きでまず1ラウンド(18ホール)、朝食後、午前中1ラウンド、昼食、午後1ラウンド、そしてランニングという、今思うと 「よく死ななかったな」 と思うほどのメニューをこなします。
もちろん、近頃のゴルフ場のように 「乗用カート」 などはなく、ゴルフバッグを肩にかついでのラウンドです。
食事こそ、ゴルフ場で用意されたものでしたが、宿舎の掃除や洗濯などは、みんな1年生の仕事です

Oクンと私は、合宿初日、練習メニューをこなしつつ、掃除、洗濯に奔走しました。

2日目、朝4時30分に起きると、宿舎のテーブルの上にメモが置いてあります。

Oクンの字で 「辛いです。帰ります」 という内容(ハッキリ憶えてませんが)のものでした。
えぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~!!!!!?????
ちょっとちょっと、あと合宿は5日も残ってるのに、何だこれはぁぁぁ~~~!!!!????

あわてて顧問の先生のところへ走ると、どうも夜中にOクンが泣きついてきたそうで、先生いわく 「自殺しかねない」 ほどの状態だったとか。

ともあれ、残りの5日間、とにかく無我夢中で合宿をこなしました。
その間の記憶がほとんど無いのは、よほど辛かったので、記憶から抹消してしまった可能性がありますね

夏休みが明け、Oクンに 「オトシマエ」 を…と勇躍教室に乗り込むと、Oクンのクラスの子が
「Oは退学したよ、自主退学だって」
と一言。
はぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~!!!!!?????

それから20年以上経ち、まだOクンに対する握りこぶしは握ったまんまです。
今頃なにをしているのか、ほんのちょっと知りたくなりました。
おっ母さんは、ときたま~にテレビで見かけますけどね


ゴルフとわたくし。その1

2006-07-25 16:39:58 | おもいで。

素質がなかったクラブを振って 止めててよかった今になる

初めてゴルフクラブを握ったのは、小学校3年の頃だったと思います。
お父っつぁんに連れて行かされた練習場で、それまではボールで遊んだり、ロビーでテレビを見ていたりだったのですが、いきなり 「ちょっと打ってみろ」 といわれ、こわごわクラブを振ったことを憶えています。

「飛ぶ」 というより 「転がる」 ボールを打ち続けていましたが、何十発に一発はまっすぐ 「飛ぶ」 のもあって、その弾道に胸がスゥ~っとする感覚は、なんとも気持ちの良いものでした

その感覚がほしくて、練習場に行かない日が続いたりすると、逆に 「連れてってよ~」 とおねだりするようになり、だんだんと魅力に引き込まれていったのです。

それから6年後、親子3人で千葉の館山に旅行に行ったときのこと。

いきなりお父っつぁんが 「今日、コースに出てみるか」 と一言。
「え!いいの!?」 という嬉しさと、「でも、ちゃんと回れるかなぁ」 という不安が一気に襲ってきました。
私たちがむかった 「館山カントリークラブ」 は、夏場、夕方4時以降は9ホール限定で割安になるキャンペーンをやってて、それなら初心者でも安心して(お客さんはほとんどいなかったので)回れるだろうと、お父っつぁんは踏んでいたようです。

果たして、忘れもしない1984年8月13日、館山カントリークラブの1番ホールのティーグラウンドに立つことになったのです

緊張の第1打、私の打ったドライバーは、信じられないくらいの弾道でまっすぐ飛び、飛距離は大したことはなかったと思いますが、私のコースデビューショットは、不思議と満点の出来でした

さすがにその後は普段の練習場と同様に、あっちに行ったり、こっちに行ったりのものでしたが、打って、走って、また打って、の繰り返しは何と楽しく、そして充実した9ホールとなりました。

その後は兄2人を加えた4人でコースへ出ること数回、後でおっ母さんに 「親子4人でコースに出るのが(お父っつぁんの)夢だったのよ」 と聞かされました。
そう聞かされると、ふだん出来ない親孝行をしているようで、なんだかくすぐったい気分になるものです。

そして高校入学。
どの部に入るか考えていた私は、勢いだけでゴルフ部入部を決意してしまったのでした


The Open。

2006-07-24 14:10:50 | 雑感

期待はするまい三打差七位 それでも夜更かしするテレビ

昨夜まで熱戦を繰り広げていた全英オープンゴルフが終わりました。
優勝はタイガー・ウッズ。これまで勝ってきたメジャータイトル10勝すべてが 「最終日を首位で迎えた」 という先行逃げ切りのタイプとはいえ、終盤9ホールの爆発っぷりは圧巻でした。

ウッズは先月の全米オープンでまさかの予選落ち、その約1ヶ月前にはお父さんを亡くすという技術・心のコンディションが回復しないまま、この全英に臨みましたが、ここ一番の爆発力と集中力は、見ていてため息が出てきます。

これだけの選手なので、ショットの前には心無いギャラリーからペースを乱すような野次が飛び交っていましたが、持ち前の集中力で克服。後半、そんな野次がピタッと止んだのは、「もうウッズにはどんな野次も届かない」 と、ウッズが 「思わせた」 結果だったのでしょう。

お父さんを思い出したのか、最終18番ホールのグリーンへ向かうウッズの表情が、心なしか泣きそうな顔になっていました。そして勝負が決した後、みるみるその顔が崩れていきます。
こんなウッズ、見たことがありませんでした。

2位に入ったクリス・ディマルコもまた、この大会の直前にお母さんを亡くされています(これは今朝のニュースを読むまで知りませんでした)。

つくづく、世界のトッププレイヤーの精神力の強さに驚かされます。

ところで、全英オープンが私の中で 「大盛り上がり」 になった要因の一つには、「谷原秀人」 選手の大健闘でしょう。
順位は5位と、1982年に倉本昌弘選手がマークした4位という日本人最高順位には届かなかったものの、その内容は、谷原選手が世界を相手に渡り合える選手であることを証明しました。

三日目を終えて、首位のウッズとは3打差の7位。一時はスコアを落とし 「これまでか」 と思わせましたが、その後後半にはいってグングンスコアを伸ばし、ウッズと2打差の3位にまでつける堂々たる試合運びでした。
今までの日本人選手のパターンとして、3日目まで好位置にいても、最終日でアッという間に優勝戦線から脱落…というのを数多く見てきたので、今回もあまり過分な期待はしていなかったのですが、その分余計にこの健闘は嬉しかったし、燃えました。

先月のJCBクラシック仙台で優勝した谷原選手は、優勝インタビューで 「やっと僕の時代が来ましたね」 と冗談めいた雰囲気で答えていましたが、それが何やら冗談じゃなくなってきそうな雰囲気さえ出てきたように思います。

宮里藍選手や横峰さくら選手などの台頭で大盛り上がりになっている女子ゴルフツアーに比べ、いまいちパッとしなかった男子ツアーですが、谷原選手の活躍で、復調への兆しが見えてきたのではないでそうか。

久しぶりにゴルフの中継で 「盛り上がった」 ので、明日からちょっと私とゴルフのことについて書こうかなぁ~…なんて思います


リフレッシュ整体。

2006-07-23 01:05:55 | 雑感

思わぬところの指摘もされて 整体痛くて気持ちいい

最近、どうも首から肩にかけての痛みが抜けず、いつも行くスーパー銭湯 「笑がおの湯」 の 「リフレッシュ整体」 を初めて受けることにしました。

銭湯や温泉によくある 「マッサージチェア」 なら何度か経験はあるのですが、プロにやってもらう整体・マッサージの類は初めての経験だったので、ちょっと緊張

ここの整体を何度も受けているカミさんが慣れた様子で受付を済ませ、ひとっ風呂浴びてからいよいよ整体ルームへ。

ベッドにうつ伏せになると、息ができるようにちょうど顔のところに穴が開いています。何せ初めてなもので、こんなところも 「へぇ~」 っていう感じ

整体師さんがタオルを全体にかけ、いよいよ開始です。

軽く摩られたのち、だんだんツボを押す指に力が入ります。

周りのお客さんの様子を聞いていると、あまり 「痛い!」 とか 「う~っ」 という声が聞こえないので、ここは痛くてもガマンでやりすごすものだと悟り、たとえピンポイントで痛いところに入っても、そこはガマンガマン

約40分の整体がアッという間に感じるほど、途中からは 「いた気持ちいい~」 の世界に浸っていました

終わってから整体師さんが 「首から肩にかけて、相当張ってたね。パソコンとかやってる?」 と聞いてきました。やっぱりそういうのが出るんですね。
ってゆ~か、そういうのが指先だけで判るっていうのが、さすがプロ!
…え?素人でも判る?いや、なにせ初めてなもので

帰ろうとすると、整体師さんが 「股関節が相当外に広がってるね」 と言ってきます。
「?」 と思って聞くと、だからって健康上特に問題はないのですが、歩き方がどうしてもガニ股になるので、足を挫き易いのだとか。
そういえば、我が家はお父っつぁん、兄二人とも相当なガニ股で、足の太い細いに関わらず、椅子に座っていても足がまともに組めない一族でした(足を組もうとしても、膝の上にやっと足首が乗っかるていど)。
これは生活上の問題ではなく、いでん

整体師さんから、矯正する歩き方を伝授されましたが、やってみるとこれが痛い

帰り道でその歩きかたを実践したところ、カミさんに 「あはは、なんか可愛い」 なんて言われました。

もう二度とやるもんか


Gの嵐。

2006-07-20 14:13:30 | 都々逸・歌会・句会

ゆるキャラみたいな扱い受けて 嵐と詠んでる高円寺

昨夜放送(関東)された 「Gの嵐」(日本テレビ系列)に、佐藤孔亮氏(揚巻の会 主宰、都々逸しぐれ吟社・東京番傘川柳社 同人)ほか数名の川柳家が出演しました。

「Gの嵐」 は、普段なかなか陽の当たらないスポーツや文化を、アイドルグループ 「嵐」 が体験、紹介し、そして応援する番組です。
番組タイトルの 「G」 は 「ガンバレ」 のGなんだとか

今回は 「川柳」 ということで、いくつかの紆余曲折(?)を経て孔亮氏に白羽の矢がたち、今回の出演となったもので、孔亮氏からは、この話が出てから他の参加者の人選などで相談を受けたものの、私自身は仕事もあり、参加できませんでした。

もともと、6月29日放送の予定でしたが、出演者に問題が発生し、一時は 「お蔵入り」 のおそれもあったものの、問題が解決したのか晴れて昨夜の放送となりました

放送では高円寺の商店街を散策しながら嵐のメンバーが川柳を詠むという構成になっていましたが、このシーンに至るまでにも紆余曲折があって、シーンが大幅にカットされたそうです。
内容は、商店街を散策しながら川柳を詠み、孔亮氏の判定で 「○」 なら花バッヂを、「×」 なら顔に墨を塗られるという 「ありがち」 なもの。
番組そのものは、嵐のメンバーが気に入って数多く川柳を詠んでいたこともあり盛り上がっていましたが、同行した川柳家の皆さんは画面には登場するものの、名前・句はおろか声も出てこなかったことは残念でした

それにしても孔亮氏が嵐の面々にいいように 「いじられて」 いましたが、こういったシーンを見ると、孔亮氏が適任だったのかなぁ、と思います。
墨を塗られた嵐が逆襲に転じ、孔亮氏の顔に墨を塗るシーンは、マイルドな 「オヤジ狩り」 を思わせるものでした

番組はその後、調布のスタジオに移動し、嵐と 「ダメホスト5人衆」 なるホスト連中が、いわゆる 「川柳相撲」 で対決、負けた方がバケツの水を浴びせられるというシーンに移ります。

勝負の判定は、タレントのきたろうさん、孔亮氏、そして日川協会長の今川乱魚さんの3人でしたが、乱魚さんですら、その声がテレビから聞こえてくることはありませんでした

知った顔がテレビに出るということで(しかもその1時間半前まで田原町で句会の打ち上げで一緒でした)、30分の放送時間を楽しく観ることができましたが、番組サイドの都合とはいえ、それぞれスケジュールを割いて参加していただいたかたがた(テレビに顔すら出なかった参加者も4名いらっしゃいます)への配慮がもう少しあっても良かったかなぁ…とは思います。
何はともあれ、これが川柳の発展に貢献できればこれ以上嬉しいことはないのですが…


夜ふかし。

2006-07-18 16:53:46 | 雑感

いい風いい空いい朝焼けへ いいことありそな街の白

連休前の14日(金)、久しぶりに 「徹夜」 をしました。

結婚する前は、週に1度、多いときで2度の 「徹夜&始発お帰りデー」 があったのですが、ここ最近ではとんとごぶさた。
とはいえ、句会の打ち上げでは 「よくある」 ことなんですが

先日の 「徹夜」 は、マンガ喫茶とゲームセンターに終始しました

朝3時45分頃、千葉のマンガ喫茶を出たとき、空はまだ真っ暗。
そこから歩くこと約15分、だんだんだんだん東の空が明るくなってきます。

この 「もうすぐ夜明けだよ~」 という明るさが、私の1番好きな時間です。
冬場、仕事に出かけるときにもこの明るさに接することがありますが、それはかえって 「嫌いな時間」

これから休日という夜明けの時間帯は、何の予定がなくても 「これから何しよう」 という 「ワクワク感」 に満ち溢れています。

さらにアパートに向かって歩くと、周りの風景がハッキリわかるくらいの明るさになります

ちょっと上を見上げると、まだ巣立ったばかりの燕が、おぼつかない羽ばたきで一生懸命に飛んでいます。

雀の子は、まだ人っ気のない道路を、チュンチュン歩き回っています

私たちと同じように徹夜をしたのか、ネコが眠そうな足取りで線路を横切っています。

そんな休日の朝は、「ワクワク感」 だけではない、なんとも 「癒される」 時間帯です
まぁ、充分に癒されたその日は、夫婦そろって昼過ぎまで爆睡してたんですけどね


千葉モリコロパーク。

2006-07-14 13:06:50 | ニッポン都々逸の旅

こんなところに立つモリゾーの 姿がちょっぴり寂しそう

今日(7月15日)から 「愛・地球博」 会場の跡地に 「愛・地球博記念公園(通称:モリコロパーク)」 がオープンする、というニュースがありました。

昨年の 「地球博」 そのものは行けなかったので、記念公園にはぜひ行ってみようかと思っています。

ところで、私の住む千葉にも、これにちなんだ(?)建物が建っています。
私たち夫婦が命名した 「モリゾービル」 がそれです。

千葉駅西口を出てすぐ、改札を出ると徒歩1分という絶好の立地条件にもかかわらず、ビルのテナントさんはほとんどなく、ビルそのものに灯りがついているのも、10日に1回あるかないか。
建物は蔓系の雑草が複雑に絡み合い、その大部分を覆いつくしています。

冬には葉がすべて枯れ落ち、建物の地肌(というのでしょうか)がやっと露わになり、実は外壁がレンガっぽい作りになっているのが判ります。

新緑の時期になると、再び建物を緑が覆い 「モリゾー復活!」 をアピールしています。

毎朝、駅までの道すがらでモリゾービルの成長っぷりを眺める毎日です。

地方都市らしい賑わいを見せる千葉駅東口とはうってかわって、モリゾービルを中心に寂しい景色が広がる西口地区ですが、仮に開発が進むにせよ、モリゾービルだけは残してほしいなぁ…と願っています

別に 「荒廃の象徴」 っていう意味じゃなく…ね