おおらかな男女関係だ。
平安時代の貴族たちは何とおおらかな男女関係を築いていたのか!
この「天上紅蓮」を読んで、驚いた。
白河法皇の寵愛を一身に受け、女としての栄光の階段を駆け上った、中宮璋子(出家して待賢門院璋子・たいけんもんいんたまこ)が主人公である。
この璋子さんは、白河法皇の子どもである鳥羽上皇のお妃さんで、位が一番高い正室の中宮なのである。二人の間の第一子は後に崇徳天皇になるのだが、この子の父親はなんと白河法皇なのである。
鳥羽上皇と結婚してもしばらくは関係を結ばないで、白河法皇の「第一子は自分の子を」というたってのお願いを義母やまわりの御付きの方と画策を練って、里帰りと称して会ったりと段取りを組んで、子どもをつくってしまわれた。いくら、小さい頃から手をかけた子で愛おしく、女性として最高の地位を授けたいという白河法皇の願いがあったとしても・・・。
白河法皇の絶対権力者の雰囲気が伝わってくる。また、鳥羽上皇はこの崇徳天皇のことを「叔父子」(おじこ)と呼んでいて、自分の子どもではないとうすうす感じていたということである。
後にも、この璋子さんは、自分の夫(鳥羽上皇)と関わりがあり、子どもまで生んだ女性を自分の下で働かせている。
やっぱり、おおらかな男女関係としか言い表せられない。
話が変わるが、この崇徳天皇と鳥羽上皇と璋子との第四皇子の雅仁親王(後の後白河天皇)が対立して、保元の乱や平氏の乱が起こるのである。
今回の大河ドラマ「平清盛」を楽しみにしている私にとって、偶然にも読んだ本が、平清盛の背景に関係があって、なおかつ新聞によると、平清盛は白河上皇落胤説ということが書いてあったりと、大変な繋がりがあることが判明した。
父との対面場面も組まれているという。楽しみが倍増した。
ちなみに、1156年の保元の乱(後白河天皇と崇徳上皇の対立)では、平清盛は、源義朝(頼朝のお父さん)と組んで後白河天皇について勝者側になる。
負けた崇徳上皇は讃岐(今の香川県)に流される。
1159年の平治の乱(後白河法皇と二条天皇の対立)では、平清盛は、最初は中立の立場であったが、いろいろな背景が絡み、反藤原信頼の立場から二条天皇を擁護する側になる。結果的には清盛の力が影響したのか、二条天皇が勝利を治める。藤原信頼と行動を共にした、源義朝は敗死して没落していく。ここで嫡男である頼朝も捕らえられて処刑のために京に送られたが、清盛の継母である池禅尼(大河では和久井映見が演じていた・キーパーソンである)によって余命嘆願され、蛭が小島に流された。ここで20年余過ごした後、旗揚げし、天下を取るとはこの時は誰も知る由もなかったであろう。
時代はめぐりめぐる。平家物語の「驕(おご)れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。盛者必衰のことわりをあらわす」とはこういうことをいうのであろう。
平安時代の貴族たちは何とおおらかな男女関係を築いていたのか!
この「天上紅蓮」を読んで、驚いた。
白河法皇の寵愛を一身に受け、女としての栄光の階段を駆け上った、中宮璋子(出家して待賢門院璋子・たいけんもんいんたまこ)が主人公である。
この璋子さんは、白河法皇の子どもである鳥羽上皇のお妃さんで、位が一番高い正室の中宮なのである。二人の間の第一子は後に崇徳天皇になるのだが、この子の父親はなんと白河法皇なのである。
鳥羽上皇と結婚してもしばらくは関係を結ばないで、白河法皇の「第一子は自分の子を」というたってのお願いを義母やまわりの御付きの方と画策を練って、里帰りと称して会ったりと段取りを組んで、子どもをつくってしまわれた。いくら、小さい頃から手をかけた子で愛おしく、女性として最高の地位を授けたいという白河法皇の願いがあったとしても・・・。
白河法皇の絶対権力者の雰囲気が伝わってくる。また、鳥羽上皇はこの崇徳天皇のことを「叔父子」(おじこ)と呼んでいて、自分の子どもではないとうすうす感じていたということである。
後にも、この璋子さんは、自分の夫(鳥羽上皇)と関わりがあり、子どもまで生んだ女性を自分の下で働かせている。
やっぱり、おおらかな男女関係としか言い表せられない。
話が変わるが、この崇徳天皇と鳥羽上皇と璋子との第四皇子の雅仁親王(後の後白河天皇)が対立して、保元の乱や平氏の乱が起こるのである。
今回の大河ドラマ「平清盛」を楽しみにしている私にとって、偶然にも読んだ本が、平清盛の背景に関係があって、なおかつ新聞によると、平清盛は白河上皇落胤説ということが書いてあったりと、大変な繋がりがあることが判明した。
父との対面場面も組まれているという。楽しみが倍増した。
ちなみに、1156年の保元の乱(後白河天皇と崇徳上皇の対立)では、平清盛は、源義朝(頼朝のお父さん)と組んで後白河天皇について勝者側になる。
負けた崇徳上皇は讃岐(今の香川県)に流される。
1159年の平治の乱(後白河法皇と二条天皇の対立)では、平清盛は、最初は中立の立場であったが、いろいろな背景が絡み、反藤原信頼の立場から二条天皇を擁護する側になる。結果的には清盛の力が影響したのか、二条天皇が勝利を治める。藤原信頼と行動を共にした、源義朝は敗死して没落していく。ここで嫡男である頼朝も捕らえられて処刑のために京に送られたが、清盛の継母である池禅尼(大河では和久井映見が演じていた・キーパーソンである)によって余命嘆願され、蛭が小島に流された。ここで20年余過ごした後、旗揚げし、天下を取るとはこの時は誰も知る由もなかったであろう。
時代はめぐりめぐる。平家物語の「驕(おご)れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。盛者必衰のことわりをあらわす」とはこういうことをいうのであろう。