wakuwakuなエトセトラ

出来ればこのブログで、読書の経歴と韓流ドラマの変遷を残しておきたいと思っています。

「鎌倉ミステリー紀行」 私のバイブルになった。

2013-03-20 14:29:16 | 読書日記

平成25年3月20日(水)、

この斎藤 栄さんが書いた「鎌倉ミステリー紀行」(かまくら春秋社)が私の歴史好きを刺激している。

   


2月に鎌倉へ行った時、東慶寺に行ったり、源氏山に行ったり、鎌倉文学館に行ったりした。

その文学館で「ミステリー小説家」として、また、鎌倉に行かりのある作家として、この斎藤栄さんが紹介されていた。

帰ってから早速、図書館にリクエストして、借りたのがこの「鎌倉ミステリー紀行」である。

あまり期待して読んだわけではなかったが、読み始めると、今まで歴史の断片に接してきた知識が、つながる快感を経験できてホント面白かった

是非、このブログに 載せておいて、実際に訪ねてみようと思う。

大船にある常楽寺」   

 三代目の執権北条泰時が妻の母の菩提を弔うために建立した寺。

 木曽義高の首塚もある。この義高は、木曽義仲の長男であり、頼朝の娘婿である。非情にも頼朝は、義仲を殺すと、すぐさま、家臣に命じて、婿の首を切ってしまう。冷酷である。

 泰時は、かつて歩いたことのある「朝比奈切通し」を開いたとされている。私が歩いた時は、和田義盛の三男、朝比奈三郎が作ったと書かれていた。大男で稀に見る力持ちであっ たから、この切り通しを開いたのだと。だが、実際は和田合戦が終了してから27年も経ってからつくられているし、この朝比奈三郎はこの和田合戦後行方不明になっているというのだ。でも、名前だけは使われて残っている。

 なぜなのか。斎藤氏は、このことを、この朝比奈三郎の母は義盛の妾で、巴御前といい、とても大柄な女で、安房ノ国の大陸系の人が住むところで育ったとされ、そこから生まれた三郎は、日本人離れした武将で北条に恐れられていたのではないかということだ。だから追及されずに安房国に逃れられた。でも、みんなに知られていて、人気のあったから、江戸の人が付けたということだ。

 ちなみに、その朝比奈切り通しにあった「刀洗水」は、梶原景時が、上総介広常(かずさの すけひろつね)を切った時、その刀を洗ったとされる。確かにちょろちょろ流れていた湧水があった。



西御門にある来迎寺そばの太平寺

 鎌倉尼五山の一つで尼が住職をしていた禅寺。尼寺は今では東慶寺だけが残っている。

 そこの住職の青岳尼は、古河公方の血を引く、足利義明の娘として生まれた。現在の千葉市あたりに小弓城を持ち、楽しい生活をしていた。ところが父義明は、北条氏綱に敗れて戦死する。そして、娘二人は鎌倉に連れてこられて尼になる。

姉を青岳尼といい、妹を旭山尼と称して、それぞれ太平寺、東慶寺の住職となる。その時おそらく青岳尼は七・八歳であった。そして20年近い歳月が流れ、この間二人は父親の菩提を弔った生活をしていた。

この時31歳になっていた、かって青岳尼の許嫁であり、義明を支えた有力武将であった里見義弘は、何と20年も経ったのに突然、軍艦80隻をつらねて、鎌倉に侵攻して、真っ先に太平寺に突入し、青岳尼を奪い去り、安房国へ連れ去ったのである。そして、還俗させて自らの妻として、晩年まで楽しく過ごしたということである。後北条の3代氏康が、旭山尼宛に手紙を書いているので、ほんとのことなのだろう。すごいロマンスである。愛の強さである。

そして、東慶寺には、太平寺ゆかりの聖観音菩薩立像が あるという。この仏は、かつて太平寺の本尊であったものを、青岳尼は安房国へ持っていった。ところが、その翌年に、旭山尼が急逝してしまったので、妹の供養のために、この仏を東慶寺に渡したという経緯がある。

先月行った時に、こんなことを知らなかったので、この立像を確認できなかった。是非もう1回行って、見てみたい像である。 

 

 

 

 

 


「いじめの根っこ」から 根本は家庭なんだな~

2013-03-20 13:47:01 | 読書日記

平成25年3月15日

「いじめの根っこ」内田 玲子著を読んだ。

 

 

「家庭教育の根っこにあるもの」を全国各地で講演で話していて、それをまとめたものだ。教育相談されたいじめに関する例を挙げて、それの解決した事例を、具体的に書いていた。

そこで感じたことは、根本は家庭教育が、親の育て方がいじめを生むと言っている。

「どんな悲惨ないじめでも、根っこはあるものです。「いじめ育て」が根っことなっているのです。姑との感情の吐き気に使われた子供、夫との争いの中で育てられた子供、陰口、悪口、中傷、非難の大好きなお母さんに育てられた子供、うぬぼれが強く、威張り散らした子育て、知識だけの押し付けの子育て、二人の子供がいれば、上の子にはイライラと口うるさく、下の子には甘くの差別の子育て、等はいじめの根っことなります。」

「「三つ子の魂位百まで」の諺は、この時期に親がどんな生き方をしたかが、成長していく過程で必ず出てくるということなのです。つまり、3歳までの間に何をすることが大切なのか、親が、しっかりとした、人間らしい生き方の基礎を一つ一つ、くり返し見せていくほうが先なのです。」

 このところを見ただけでも、子供は小さい時に、きちんとした生活習慣をつけさせていくことが大切なのかが分かる。そして親は親として、自信を持って生活をしていく。子供は強いものに、確固たるものに依存して成長していくものである。

親からの相談を受けたときに、この内田さんは以下のものを組み合わせてカウンセリングしている

①子供に合わせる

②叱り過ぎない

③朝はきちんと起きる

④約束は守らせるものではなく、お母さんが一つ守り、子供が一つ守るというように訓練を重ねる。

⑤家の中は一列にしておくこと。

どれもなるほどと納得がいった。きちんと朝おきてご飯を食べさせる。それだけでも、子供にとっては訓練になり、生活の基盤になるんだな~。毎日やってきたことが大事なんだと、改めて思った。