*「魁!!女塾」*

京都でギターを弾いています。

アウトサイダーたち

2023年09月13日 | blog


先日、京都劇場に清春さんのライブに行った。


精神障害者施設とのコラボ公演で

精神障害のある人が描いた絵と
清春さんの歌が混じりあう世界だった。
(滋賀県にある「やまなみ工房」という障害者就労施設)



わたしには精神障害のある兄がいるけれど
兄の就労施設にも、なんとも鮮やかでサイケデリックな絵を描く人が多数いる。
兄もまた、緻密で斬新な絵を描く。


わたしに精神障害の兄がいることと
今回のライブに特に関連はない。
ただ清春さんを見たい、と思いチケットを買ったら、たまたまそんなコンセプトのライブだった。


だけど、その「たまたま」が
わたしにとって、思いがけず大きな発見の日となった話です。




清春さんはMCで
こんな内容のことを言っていた。


 

「やまなみ工房の絵に惹かれて
工房に行くようになった。
そこで絵を描く障害のある人を見て
いろんなことを初めて知った。
衝撃も受けた。

でも、僕が言いたいのは
障害がある人が頑張っている、ということじゃなく
単純にその絵が素晴らしいということを言いたい」

 


 

清春さんは24時間テレビのようなことを言わない。

「障害があるけど頑張っている」ではなく
絵の素晴らしさだけを。


そして清春さんは
彼らのことを「アウトサイダーたち」とサラッと呼んだ。

 

清春さんが「アウトサイダー」という言葉を使った時
わたしはなんだか、自分が
落ち着くところに落ちついたような気がした。


 

わたしは障害者本人ではないけれど
昭和という野蛮な時代、
家族に障害者がいるということで、差別にくるしみ
普通じゃないということを、いやというほど思い知って大きくなりました。


マイノリティであることによって
心は逆境に強くなったかもしれない。
16でロックをやるようになって
マイノリティだった経験はむしろプラスになったかもしれない。
いろんなモチベーションにつながったとも思う。

でも一方で
普通だったらどれだけ良かっただろうと思ったことも、数えきれないほどある。





そんな気持ちを深いふかい意識下に、
なかったことのように生きているけれど

清春さんが「アウトサイダー」という言葉を使った時

 

あっ、なんだ、そっか♪

と思った。


上手くいえないけど

みんな同じですとか
差別はいけませんとか
障害がある人も頑張っています

とか、そんなやさしい正論に
なぜか余計に傷ついてしまうこともある。
そうは言っても実際そうじゃないギャップに、二重に苦しむのだと思う。



でもさ


アウトサイダーたち

いいじゃん。


アウトサイダーたち

We are outsiders

We were born as  outsiders

I was born as outsider

なんて。
おお、いいね

いっそアウトサイダーでいいじゃん
むしろアウトサイダーでいいじゃん

と思った。



アウトサイダーなんかじゃないと言われるより
同じになれなくて苦しむより
いっそアウトサイダーの方がいい。

兄はアウトサイダー。

わたしもアウトサイダー。

アイム・アウトサイダー。



そして、よく考えれば
そのジャンルによっては
世の全員が、もれなくなんらかのアウトサイダーであると思う。

ユー・アー・アウトサイダーだ。


みんな平等とか
みんな同じとか

そんな昭和な雰囲気じゃなくて
いまの時代は、同じにならなくていい時代だから。

全員アウトサイダーでいいと思った。
アウトサイダーのままでいいと思った。



長年考えていて、もやもやしたままのことが

人のひとこと
映画のいちセリフ
曲の歌詞
本の一節

なんかであっさり「そっか」と思える日が来たりする
単純だけど、そうなんだと思う。
いろいろ考えて「そうだよな」と自分を納得させても、またいつの間にか元に戻ってしまうことがある。

単純に「そっか」と思えることって、意外と強力なのかもと思った。



なんかうっとうしい長文を書いてしまいましたが
ここまで読んでいただいた方ありがとうございます




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