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停 車 場

明日の自分に会いに行く

北  行 (5日目)

2006年12月13日 | 日記
いよいよ最後の日。
外に出ると暖かい。昨日の寒さはなんだったんだ…。

今日は1本目を適当な踏み切りで撮影した後,白滝へ向かった。2年前もラストショットを撮った場所にもう一度向かう。そこは白滝村,村名発祥の地と石碑がある場所で,川沿いの線路を撮るポイントです。しかし,これまた崖の上から撮る素敵な場所であります。いざ列車が来る時間になると,雨と雪が混じった天気になって露出が死亡・・・・。最後がこれとはね…トホホ…。

まぁがっかりせずとも十分満喫できた旅だと思います。

というわけで新千歳までクルマを飛ばし,14時のJALで帰ってきました。
長かった旅も終わりましたが,飛行機というのはやはり感覚をおかしくさせる乗り物です。つい2,3時間前に人気のいない場所で撮影してたのに,横浜に着くと…人の多さに発狂しそうになりました。そして皆,オシャレです。僕だけ登山用の上着とデッカイカメラバッグを背負っていたので,浮いていました(苦笑)

兎にも角にも,大満足な北海道旅行でしたとさ。
また行きたいなぁ…

北  行 (4日目)

2006年12月12日 | 日記
さすがに疲労の色が出てきた4日目の朝。
放射冷却からか,天気はいいけど,気温が滅茶苦茶低い。テレビの天気でこの冬一番の寒さと言っていた。耳が引きちぎれそうです。

で,一本目を何処で撮るかと話し合った結果,146kmポスト付近にとりあえず向かうことにした。だけど,陽が線路に当たっていないので没。すると!なんと146kmポイントから先の道路が除雪されているではありませんか!!どっかのマニアが路を切り開いてくれたらしい。というわけで,オフロードをさらに進むことにした。だけど,圧雪アイスバーン状態のオフロードなので,油断した瞬間にハンドルが取られるという恐ろしい路が延々と続く…。途中何度も崖の方向へ滑り,冷や汗をかきまくった。

そしてたどり着いた常紋信号所。クルマのドアを開けた瞬間,凍て付く寒さが全身を覆う。見たら,ススキが凍ってるではありませんか!勘弁してくれ…。だけど,写真を撮るときは一瞬のミスも許されないので,素手で金属ボディのカメラに触ります。1本目。上手く撮れたんじゃないんでしょうか。少し満足。

来た道を戻り,新しい撮影ポイントを開拓しようということで,144kmポスト付近を散策。すると何とか山肌を登って線路を俯瞰できるポイントを探し当てた。とりあえず生田原に戻ってブランチ。携帯の電波が届かない所と届く所を行ったり来たりなので,携帯の電池の消耗が激しい…。

そして,午後の二本目の貨物列車を撮るべくさっき発見したポイントに戻って。機材をもっての山登り。一昨日から何度やってることやら…相当体力使います。カメラとレンズの入った鞄で既に2kg,プラス三脚で5kg近く?を背負って,急斜面をよじ登るわけです。しかも熊笹とか枯れ木,蔦などが体に絡んで全然前に進めないことも。勿論雪で斜面は滑りやすいので,何度も転びつつしながらです。おかげで足は痣だらけです。で,よじ登ったポイントで撮影。ここでもまぁまぁなんではないでしょうか。

そして再び常紋信号所に戻って1本目の復路の撮影。
その後は再び144kmポスト近くの踏切で3本目の貨物列車の撮影。夕暮れ時の貨物列車は何処と無く寂寥感がある絵になりました。

ラストは留辺蕊駅のバルブ撮影。

最後の方は疲れ果ててしまいました。
しかし,最後の夜ってことで,サッポロビールで乾杯。そして生田原アイスで舌鼓。北海道を満喫できたと思います。

(写真は1本目の復路を常紋信号所で。映像からの抜き出したために画質が悪いです)

北  行 (3日目)

2006年12月11日 | 日記
今日も6時半に起床。今日の一本目は懸案の150kmポスト付近の雑誌で紹介される有名ポイントを探すために早起きした。昨日の情報交換で146kmポスト付近から常紋信号所への山道は除雪されておらず,車でも無理ということが判明したので,国道で遠回りをして150kmポストへ向かう。この遠回りで時間のロスが激しく車を止めたときには貨物列車が来るまであと30分ほどしかなかった。で,場所を探すが見つからない。熊笹と雪に閉ざされた自然林をさまよい続けるが雑誌で紹介されるような写真が撮れる場所が無い!
仕方が無いので,猛ダッシュで146kmのポイントへ引き返すことに。しかし,途中で撮る予定の貨物列車とすれ違い,思わず「ちくしょう!!!」と叫ぶ。

生田原のコンビニで時間を潰し,今度こそはと500kmポスト付近のポイントを探す。検討をつけて,山登りを何度も敢行するが,どの場所にも見当たらない。1km以上線路に沿って歩きまわり,そして何度も山に登ったがわからない。そして,その途中悲劇は起きた。山の斜面を降りている途中,私は足を滑らせた。「あっ」と思った瞬間山の斜面をすべり転ぶ!!「このままじゃ死ぬ!!」つめがはがれるくらいに,手を雪にかけて何とか止まった…。しかし,背負っていたカメラバックのチャックが開き,1日目と2日目に撮った写真の入ったフィルムが山底へ消えていった…。探そうと思ったが,先輩はこの事実に気づかず,先を進んでいたので,急いで追いつこうという意思が先行,急いで山の斜面を登り,道に戻った。

唯一見つけたポイントは大俯瞰の景色。これは帰りの列車にとっておくことに。

そして,場所を移動し今度は144キロポスト付近の撮影ポイントを探すことに。だがこっちも見つからない。オマケに自然林をさまよううちに,先輩と逸れてしまった!耳を澄ますが,先輩の熊笹を掻き分ける音がしない。大声で叫んでも,反応が無い。「やば…」と思い,とりあえず最初の位置に戻る。そうするとようやく声が聞こえ,何とか遭難の危機を脱出した。やれやれ・・・


もう一度146キロポストで2本目の臨時貨物列車を撮った。

そして先に見つけた150キロポストの俯瞰で1本目の復路の姿を撮る。

この辺で日没。
しばらく留辺蕊の町のコンビニで時間を潰し,留辺蘂の駅に向かった。
2本目の復路が留辺蘂駅で4分停車するので,バルブ撮影をするためだ。
駅を俯瞰できる歩道橋の上でカメラを構えていると,貨物列車の運転手がわれわれに気づき,わざわざライトを消してくれ,撮影しやすくしてくれた。サンクス!
手を振ってお礼の意を示すと警笛で返してくれた。

激動の3日目が終わった。
この夜は生田原駅に隣接したホテルに宿泊した。
(写真は150kmポスト付近の俯瞰)

北  行 (2日目)

2006年12月10日 | 日記
6時起床。ストーブをガンガンに焚いていたが,窓冊子から寒さが伝わってくる。
ただ,昨日はあんまりいい天気ではなかったが,今日は良い様だ。

気合を入れて,7時に出発。石北本線146kmポストに向かう。石北本線常紋峠は有名な撮影ポイントが連なり,秋から春にかけて走る臨時貨物列車を撮るファンが訪れる。しかし,厳しい自然条件の為にその数は少なく,比較的ゆったりと撮れる地域なのだ。だが,さっきも言ったように自然条件は厳しい。ポイントへのアクセスはWRCもびっくりなオフロードを進み,後は徒歩でしかいけない。徒歩にしても,除雪されていない山道を降りたり登ったり。命を落とす危険も当然あるわけで,覚悟がいります。

で,146kmポストへ行く山の途中に車が1台置かれていた。北見ナンバーのレンタカーで。やはり今日もファンが来ているようだ。ポイントに着くと運転手の人が到着し,さらにもう1人が到着。情報交換を行う。ここの情報交換は結構重要で,案の定,今日は設定されている3往復の臨時貨物のうち,1往復しか走らないとのこと。残念。

で,撮影!何とか上手い具合に撮れたんじゃないんでしょうか。銀塩は直ぐに確認できないのが痛いわな。

時間が余っていたので,常紋信号所に向かった。ここは蒸気機関車~国鉄末期時代に列車の行き違いに使われていた信号所で,現在は使われておらず,駅員もいた母屋も廃屋となっている。で、、、ここは有名な鉄道心霊スポット。近くにある常紋トンネルの建設の折,網走刑務所の囚人たちの強制労働が行われ,人柱やリンチなどが横行し,今でも人骨が発見されるなどする場所。運転士や信号所の職員が何度も心霊体験をしている。そんな場所で写真撮影。きちんと合掌しておきました。

その後は撮影ポイントを散策しながら,朝撮った列車の帰りを撮るポイントへ。150kmポストにアクセスするところにクルマを置いて,山を登る。カメラと三脚を担いでなので,相当に体力を使う。登っていくと,絶景ポイントにたどり着く。構図を決めて,いざ撮影。一瞬の為に,数時間かけるのが鉄道写真の醍醐味でしょう。

そして,再び瀬戸瀬温泉へ帰還しました。
(写真は150kmポイントの山の上の風景)

北  行 (1日目)

2006年12月09日 | 日記
金曜の夜は北海道行きを誘ってきた先輩の家で宿泊。
そして今日は4時半起き。かなり眠いが,頑張って成瀬から横浜線で東神奈川,京急に乗換えて羽田へと急いだ。6時55分発の日本航空にギリギリで間に合い,いざ北へ向かう。

新千歳空港へ降り立った瞬間,頬が凍りつくような寒さ。寒気が入り込んで気温が下がるというのを聞いていたが,マジで寒い。早速マフラーと防寒具を着込む。予約していたレンタカーを借りて,いざ撮影旅行の開始です。

まずは千歳線西の里信号所に向かって北斗星3号を狙うことに。貨物列車も数本撮れ,まずまずの出だし。場所を移動し,今度は旭川に近い場所の有名な撮影地でディーゼル機関車重連の貨物列車を狙おうとするが,時間が迫ったので途中の踏切で狙おうと。コレも迫力ある構図で狙えた。そして,本来狙っていた撮影地に着くが,すでに日没コールド気味。北の夜の訪れは早い。

高速道路で今日宿泊する瀬戸瀬温泉へ。夜の高速道路を只管走った。途中,高速なのにアイスバーンになっている部分があって,リアル怖かった。というか一瞬ドリフト気味になり,冷や汗がたっぷり…。

瀬戸瀬温泉は遠軽の奥座敷と言われているらしい。確かに,電灯が1つも無い路を9km進み,ようやくたどり着いたのでした。当然,携帯の電波が届かず。明日はいよいよ石北本線

六  五

2006年12月08日 | 日記
真珠湾攻撃から65年、遺族ら500人集まり追悼式典
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061208i508.htm?from=main5

今から65年前の12月8日。空母赤城を旗艦とする日本海軍機動部隊は,アメリカ太平洋艦隊の基地である真珠湾を奇襲した。これを契機に太平洋戦争が始まった。その後の歴史は周知の通りである。

そして,65年後の現在,当時戦った兵士達も歳を取り,「生き残った仲間ももう年だ。わたしの参加は最後だろう」と語る人たちも多い。歴史の語り部が減る。しかし,忘れてはならない。この事実を。

京  都

2006年12月07日 | 日記
前々から約束して,伸ばしていた京都行。一段落着いたところで,行って来ました。
11時に京都駅でMoto君と待ち合わせして,京都のラーメンを食したあと,インクライン跡と南禅寺に向かった。南禅寺は石川五右衛門が「絶景かな」と叫んだとされる門があるらしい。インクライン跡は趣深く,南禅寺境内は紅葉の最後で非常に良かった。

ゼミに出るというMoto君と一旦別れて,自分は二条近くの「勝利の神様」という武信稲荷神社に向かった。しかし,ここの場所が分かりにくく,30分四条大宮と壬生の街を歩き回る結果に。たどり着いた時には,クタクタだった。

四条大宮からは京福電車(嵐電)に乗って,嵐山に。紅葉は終わってたけど,夕暮れの嵐山は趣き深かった。

再び嵐電で四条大宮に戻って,今度は阪急で四条へ。
ここで少し小腹が空いたので,喫茶店で珈琲を。

19時に出町柳でMoto君と待ち合わせして百万遍近くの定食屋で鍋を食す。そして,なぜか京大のカフェに侵入して,甘い物を食べた。

その後,Moto君の家周辺で銭湯に行って,京都旅行終了。家では,ネタトーク。

いやあ,楽しませてもらった。

欲  望 

2006年12月05日 | 日記
自由をください。

いや,ナーバスなわけではないんですよ,ええ。
明日からお出かけするんですがね,どうもそういう時になると,用事が入ったり,頼まれ事があったり,頭が冴えて,忘れてた事項を思い出して手をつけたり。

あぁ何と言う運命か。
俺に自由をくれーーー!!!