見たから仕訳帳

多くは見るだけならタダ。視点を変えたり眼力を鍛えることで素敵な暮らしができる。実は見ることは生きるということなのです。

炎天下、京都府立植物園

2013年07月21日 | 日記
祇園祭の喧噪も静まりを見せ始めた土曜日、仕事を早めに切り上げて、
長らく訪ねていなかった京都市左京区の府立植物園に行ってみた。
以前に来たときは、地下鉄(烏丸線)もなく、北大路橋の正面入り口だけだったが、
今回は、裏門に当たる地下鉄入り口から入ったため方向がまるで違う。
それでも、京都独特の方向感覚と、ときたま太陽の位置を頼りに進んでいった。
しかし、入って数分も経たないうちに、24万㎡もある敷地内の植物の密生には、ただオロオロするだけで、
花々を鑑賞したり、木々を分析したりという状況ではなかった。
ところで何故、こうした場所に炎天下、足の苦痛に耐えながらも、向かわせたのか、
自分でも明白な答えを自覚しているわけではないが、
たぶん、先日読み終えた宮脇昭『木を植えよ!」があったのだと思う。
人の命を森の深い歴史的かかわり、たとえば防災など暮らしと木々や森について訴えている。
また、先頃、朝日新聞の論評に、昨今の「躍る言葉に背を向けて、土の匂いを(記憶)」という
日本人と森林の関わり合いを紹介した女性作家(悔しいがいま思い出せない)の文があった。
炎天下であっても、涼しい木陰あり、ベンチあり。
12万の植物に見守られながら、呼吸は整ってきたように思う。

保昌山という山

2013年07月18日 | 日記
京都下京区東洞院通松原上ル当社事務所の前を行く燈籠町の保昌山。
(16日朝デジカメ撮影)
 旧名に「花ぬす人山」という。藤原大納言方の孫である致方の子で武勇にすぐれた平井保昌は和歌も堪(たん)能であった。
妻は和泉式部。恋した女官から紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれた保昌が首尾よく一枝を得た。
しかし北面の武士に発見され、射かけられた矢が頭をかすめ、保昌はほうほうの態で逃げ帰ったという。盗難除け、縁結びのお守りが授与されるという。
祇園祭りというと、大きな「鉾」の巡行が誌上に紹介されるが、
このようなサイズの「山」にも歴史がある。

おおまんどころおたびしょ

2013年07月12日 | 日記

京都の中心部は、人盛りや賑わいを見るにつけ、いよいよ祇園祭りの気配でいっぱいである。
昨日あたりから、匠な職人による山鉾の組み立てが所々で始まっている。
この社は、烏丸通りに面し、当社の事務所からほんの数分のとことろにある。
大政所御旅所の写真、立札には祇園祭(八坂神社の祭礼)神輿渡御のとき、
3基の神輿のうち大政所神輿と八王子神輿を安置した場であったと、書かれている。
この地に住んでいた秦助正や織田信長の名前も出てくる。
それにしても、この蒸し暑さは何だろう。