祇園祭の喧噪も静まりを見せ始めた土曜日、仕事を早めに切り上げて、
長らく訪ねていなかった京都市左京区の府立植物園に行ってみた。
以前に来たときは、地下鉄(烏丸線)もなく、北大路橋の正面入り口だけだったが、
今回は、裏門に当たる地下鉄入り口から入ったため方向がまるで違う。
それでも、京都独特の方向感覚と、ときたま太陽の位置を頼りに進んでいった。
しかし、入って数分も経たないうちに、24万㎡もある敷地内の植物の密生には、ただオロオロするだけで、
花々を鑑賞したり、木々を分析したりという状況ではなかった。
ところで何故、こうした場所に炎天下、足の苦痛に耐えながらも、向かわせたのか、
自分でも明白な答えを自覚しているわけではないが、
たぶん、先日読み終えた宮脇昭『木を植えよ!」があったのだと思う。
人の命を森の深い歴史的かかわり、たとえば防災など暮らしと木々や森について訴えている。
また、先頃、朝日新聞の論評に、昨今の「躍る言葉に背を向けて、土の匂いを(記憶)」という
日本人と森林の関わり合いを紹介した女性作家(悔しいがいま思い出せない)の文があった。
炎天下であっても、涼しい木陰あり、ベンチあり。
12万の植物に見守られながら、呼吸は整ってきたように思う。
長らく訪ねていなかった京都市左京区の府立植物園に行ってみた。
以前に来たときは、地下鉄(烏丸線)もなく、北大路橋の正面入り口だけだったが、
今回は、裏門に当たる地下鉄入り口から入ったため方向がまるで違う。
それでも、京都独特の方向感覚と、ときたま太陽の位置を頼りに進んでいった。
しかし、入って数分も経たないうちに、24万㎡もある敷地内の植物の密生には、ただオロオロするだけで、
花々を鑑賞したり、木々を分析したりという状況ではなかった。
ところで何故、こうした場所に炎天下、足の苦痛に耐えながらも、向かわせたのか、
自分でも明白な答えを自覚しているわけではないが、
たぶん、先日読み終えた宮脇昭『木を植えよ!」があったのだと思う。
人の命を森の深い歴史的かかわり、たとえば防災など暮らしと木々や森について訴えている。
また、先頃、朝日新聞の論評に、昨今の「躍る言葉に背を向けて、土の匂いを(記憶)」という
日本人と森林の関わり合いを紹介した女性作家(悔しいがいま思い出せない)の文があった。
炎天下であっても、涼しい木陰あり、ベンチあり。
12万の植物に見守られながら、呼吸は整ってきたように思う。